平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2008年11月23日 いつものとおりのさだまさし

2008年12月23日 16時13分34秒 | Weblog
   いつものとおりのさだまさし

 天城での連盟の宣教会議、年次総会、そして御殿場での学生YMCA創立120周年記念フォーラムにおける講演を終えて、日曜日(16日)の深夜に帰宅した。一週間分のメールをチェックしていると、法学部のT教授からの驚くべきメールが入っていた。

 19日の福岡サンパレスでのさだまさしデビュー35周年記念コンサートのあとに、楽屋で私がさだまさしに会うことをさだまさし本人が了承したからそうするように、と書かれていた。マジで?と驚愕したが、翌日T先生から次のような事の次第を聞いた。

 日頃から私がさだまさしファンであることを知っている彼は、西南の神学部長がいつかさだまさしに会えるようにセットしてくれないか、と数日前に西日本新聞のK記者に、私に無断で依頼したのだそうだ。するとKさんはすぐに、偶然にもそのとき別のコンサートで大宰府に来ていたさだまさしに、私の書いた朝日選書の『どう読むか、聖書』を持参しながらそう依頼してくださった。

 さだまさしは「面白そうな本ですね」と言ってその本を手に取り、「いいですよ、19日のコンサートの後に楽屋に来るようにお伝えください」と言ってくれたというのだ。何という信じ難い取り計らい。しかし19日は水曜日で、教会の祈祷会をサボッてまでコンサートにいくつもりなどなかった私は、チケットを持っていない。しかしコンサートを聴きもしないで楽屋に直行というのはいかにも不義理である。そこで平良先生に事情を話してお許しを得てから、宗教部のA課長がチケット一枚なら何とかなると言ってくれたので、入手を依頼すると、運よく一枚が手に入った。

 この話を聞いた「西南学院大学さだまさし後援会」の副会長のK教授(会長は私)はどうしても同席したいと言って、立見席のチケット入手のためにその日早くから会場に並んだ。これまた運よく一人の婦人が一枚のチケットを他ならぬ彼に譲ってくださって入場できた。コンサートの最中は、このあとさだまさしはほんとうにわれわれに会ってくれるのだろうか、との一抹の不安を抱き通しであった。

 しかしK記者からわれわれの訪問を告げられたさだまさしは、三時間半のコンサートのあとだったにもかかわらず、まったくいつものとおりの(初対面の人に「いつものとおり」などと言うのはおかしな話しであるが、そうとしか表現できない)暖かくにこやかな立ち居振る舞いで楽屋から出てきて、「とてもよい本をありがとうございました」と言いながら握手してくれた。

 私が説教・講演集を、K先生が彼の説教集を、そしてAさんが大学広報やチャペル週報に私が書いたさだまさしについての文章をそれぞれ押し付けがましく手渡すと、彼はいちいち丁寧にお礼を言いながら頭を下げた。「こんなもの読む時間はないでしょうけど」と言う私に対して、「それがそうでもないのですよ」と彼は言ったが、超多忙なスケジュールの中で軽々とそう言ってのけるその姿勢に深く感銘を受けた。十分間ほどのやり取りについて書きたいことはたくさんあるが、いつか彼が、聖書や聖書の読み方などについての彼の考えを、彼の得意なあのトークの中で語ってくれたなら、それに優る喜びはない。


青野師

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