彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

中山道ウォーク&湖東ふるさと塾

2010年09月27日 | 湖東定住自立圏地域創造事業
湖東定住自立圏地域創造事業の一つとして、2010年9月26日に『秋の一日まるごと中山道! 中山道ウォーク&湖東ふるさと塾』と題した中山道沿い高宮・豊郷・愛知川の各宿場町合同のイベントが行われました。

それぞれの宿場町を歩いて巡りながら、多賀杉で作られた通行手形に12か所のスタンプを集めるウィーキングイベント『中山道ウォーク』では、

高宮宿のメインである多賀大社の大鳥居を中心に…

近江上布の商人だった堤惣平の店・布惣が活用された“座・楽庵”



など、なかなか入る機会が無かった場所にも入りました。

豊郷では先人を偲ぶ館

伊藤忠兵衛旧宅

など、近江商人の足跡を辿れる場所が多くあります。

そして愛知川には
近江上布伝統産業会館で近江湖東地域の特産品である近江上布を学びます。




また、明治天皇が二度の休憩場所とした竹平楼もポイントの一つでした。


中山道の3つの宿場を通る事で、近江商人や近江上布を知る機会があり、そして12か所のスタンプは天秤棒を担いだ近江商人の姿から当時を少しでも振り返る機会になるのではないでしょうか?
約10キロのコースは、秋晴れの中でそんな思いも巡らせてくれます。



そして『湖東ふるさと塾』では、3つの宿場の会場で中山道の旅や近江商人・近江鉄道の鉄道路線絵地図の講演や、湖東焼・近江上布・びん細工手まりの体験もできたのです。
全てを受講することは無理ですが、それぞれに選びながら体験したり受講したりできるようになっていました。

管理人はこの中から、 高宮での『近江鉄道の時代 明治~昭和の鉄道沿線絵地図を読みとく』と題された講演と、豊郷での『わがまちの近江商人 近世湖東近江商人の活躍』と題された講演を聴講しました。



『近江鉄道の時代 明治~昭和の鉄道沿線絵地図を読みとく』は、大正期の吉田初三郎の鳥瞰図を資料として初三郎地図の魅力についてお話がありました。
鳥瞰図から、当時の人々のグローバル化された意識を読みとったり、吉田初三郎が絵図を描くために現地を訪れた事や、その絵図の用途に合わせて必要な情報を大きく見せた工夫、欄外を上手く取り入れた技法などが聴けました。
講演後に「鳥瞰図で描かれた案内図が、今は正確な地図を使った図に変わっています。これはお客さんのニーズの変化なのでしょうが、いつ頃からなのでしょうか?」と質問すると、「ちゃんと調べたことはありませんが、今でも鳥瞰図のような地図が使われるので、今は混在しているのではないでしょうか」とのお答えでした。
普段なら捨ててしまうようなパンフレットに描かれる地図にも、その時代を反映する魅力があるのだと知りました。


豊郷小学校の講堂で、アニメファンの方々が出入りする中で行われた『わがまちの近江商人 近世湖東近江商人の活躍』と題された講演では、明治後の生糸・麻・綿を使った製品や琵琶湖疏水事業などを通じての近江商人の生き方が聞けました。
琵琶湖疏水ができる事で、大津の酒造業者が壊滅状態になった話や、賢が力を入れた彦根製糸工場が浜縮緬との兼ね合いで繭不足になった話。そして近江上布の原材料に亜麻を使うことがブランド低下になった話など興味深い話も多かったです。

また質問の中から、西村捨三・大東義徹・中井弘・弘瀬助三郎(日本生命)・近江商人らの繋がりの可能性などもこれからの研究の一つの議題として面白さが浮かび上がってきた様子がありました。

全ての事を一度に体験できる物ではありませんでしたが、選んでそれぞれに楽しむ。そんな一日がありました。

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