彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

徳川家康と卯年

2023年01月22日 | ふることふみ(DADAjournal)
 2023年の卯年が始まった。現在では十二種の動物をメインにした「十二支」ばかりが注目されているが、以前は古代中国からの思想である「十干」を加えた「干支」が重視されていた。十二と十の最小公倍数である六○で干支がひと回りするために、我々も60歳で生まれ変わるという思想が誕生し、満60歳(数え61歳)を「還暦」として祝うのである。これを踏まえると2023年の干支は「癸卯」になり、五行では「相生」と呼ばれ、順送りに相手を生み出す年とされている。そんな年に大河ドラマ『どうする家康』が始まった。

 徳川家康の幼少期をあまり描かずにいきなり桶狭間の戦いがメインに語られたことに賛否もあるようだ。しかし私が驚いたのは「寅の年、寅の日、寅の刻」生まれであることが伝説として伝えられていた家康が、実は卯年(癸卯)生まれであるという説を採用していたことである。
 家康が卯年生まれだったのではないか? という説は古くからあった。有名な話では、家康が征夷大将軍の宣下を受けたときに自らの年齢を61歳と記したことである。家康が征夷大将軍に任ぜられた慶長8年(1603)は卯年であり、寅年生まれであるならば家康の年齢は数えの62歳になるはずである。  
 当時の家康の実力ならば寅年で還暦でもある慶長7年に将軍宣下を受けることもできたであろう。なぜ慶長8年だったのか? その答えとして、実は家康が卯年生まれではなかったか? とされていたのだ。

 実際に家康はウサギを好んでいる。

 本誌では謡曲『竹生島』に絡む波乗り兎を小太郎さんの記事で紹介されることがあるのでご存じの読者様も多いと思う。その竹生島紋様を家康が羽織に使っていたことも知られている。また竹生島に残る大坂城極楽橋の遺構も家康の寄進による物であった。

 私たちは、ウサギは弱々しく可愛い動物だとイメージしているが、戦国時代には兜のデザインにも使われていた。大きな耳で情報を素早く聴き取り、高く跳ねて、早く走る。そして後ろには引かず常に前に向かって進むのがウサギだと信じられていた。また月の神の加護があるとも信じられていたのである。
 海を渡るウサギと言えば昔話の『因幡の白兎』を思い浮かべる方もいらっしゃるだろう。彦根市下稲葉町の稲葉神社には石灯に波乗り兎が刻まれていて、これを「稲葉の白兎」として昔話に批准する説もある。波乗り兎なのか? 昔話の舞台なのか? 卯年だからこそそんな歴史の浪漫に触れてみては如何だろうか?

 さて、癸卯の年に生まれた徳川家康は、癸卯の年に征夷大将軍の宣下を受けた。そして癸卯の年に大河ドラマとして一年中注目されることになる。徳川家康は「どうする」と問われ「どうしよう」と悩みながら令和の私たちになにを生み出してくれるのだろうか。


稲葉神社(彦根市下稲葉町)の波乗り兎
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