ひこね歴史手習塾の一つとして中井均先生による、山山城跡の現地見学会が行われました。
山山城は、土の城の跡と石垣の城の後に分かれていて、石垣の城の跡が彦根市によって整備されています。彦根城・佐和山城に続く見る事のできるお城です。
石垣の城の入口には堀切があります。
ここを背にして急な坂を見上げると
虎口のようになっています
ここからの一郭が桝形虎口のようでもあり、また主殿があった場所にも思えるとの事で、メインの段階からいきなり謎を呼び起こすような場所なのです。
また、屏風折れが二か所もあります。
現在残っている石垣も、様々な妄想を掻き立てます。
これらの残っている石垣を見ると、低く何となく幻滅してしまいますが、これは一国一城令の時に大名が藩内の城を破城したためだそうで、本当は7段くらいの石垣があったのではないか?との事でした。
上の石垣は壊して新城築城に転用したり、山の下に落としてしまい、その上から土をかけて痕跡を消してしまうのだそうです。
ですから、残った基礎の石だけで自由に発想するのも城見学の楽しみなんですね。
山山城は、土の城の跡と石垣の城の後に分かれていて、石垣の城の跡が彦根市によって整備されています。彦根城・佐和山城に続く見る事のできるお城です。
石垣の城の入口には堀切があります。
ここを背にして急な坂を見上げると
虎口のようになっています
ここからの一郭が桝形虎口のようでもあり、また主殿があった場所にも思えるとの事で、メインの段階からいきなり謎を呼び起こすような場所なのです。
また、屏風折れが二か所もあります。
現在残っている石垣も、様々な妄想を掻き立てます。
これらの残っている石垣を見ると、低く何となく幻滅してしまいますが、これは一国一城令の時に大名が藩内の城を破城したためだそうで、本当は7段くらいの石垣があったのではないか?との事でした。
上の石垣は壊して新城築城に転用したり、山の下に落としてしまい、その上から土をかけて痕跡を消してしまうのだそうです。
ですから、残った基礎の石だけで自由に発想するのも城見学の楽しみなんですね。