晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

若狭の廃村 8/24

2010-08-25 | 山・峠

2010.8.24(火)晴、曇

 若丹国境の峠を調べていたら「Myあやべ」に上林から若狭に降りていく尾根上にいくつかの廃村があることが載っていた。宝尾、生守、大多和、上津である。この記事が従来から載っていたのは知っていたがあまり気にも留めずにいたところだ。ところが今回峠の件で読んでみてびっくり、とんでもない寺院があったりして歴史の重みというか偶然性というか不思議な運命を感じるものである。早いものは室町時代に廃村となっており、遅いものは28年の水害時となっている。最も規模が大きいのは宝尾で川上入口にある看板には「6世紀中頃、宝尾山に摩野尾山一乗寺が建てられたといわれています。一時、七堂伽藍を持つほど云々」と書いてあるそうだ。仏教伝来が538年とか言われているので、誇張があるとしても相当古くて由緒のある寺院のようだ。昭和の初期まで住人がいたそうで、村の跡も残っているようだ。いつかは川上からこの地を通って市茅野まで歩いてみたい。「Myあやべ」ではこれらの廃村について映像付きで詳しく書いておられて、古文書なども綿密に調査されている。
 最も詳しく検討をされているのが、国境上にあったとされる生守村(いもりむら)であって、「胡麻峠から三国岳に廃村生守を探しに行く」というタイトルで(1)~(4)まで、これまた懇切丁寧な映像付きで紹介されている。他の廃村と違ってその位置も村の概要もわかっておらず、わずかな古文書のヒントを頼りに綿密な調査をしておられる。考察についても的確な考察をしておられると思うが、本当はもっと凄い着想をしておられるが、証拠固めが出来なくて発表されていないのではとげすの勘ぐりをしているところである。私も生守村については着想はあるのだが、まず訪れてから書くべきだろうと思っている。いづれにしても国境の向こうに想像を絶する文化が定着している。上林の歴史と文化を語るとき、若狭を抜きにしてはあり得ない。Img_1221

何気なく撮った写真に大島半島(おおい町、高浜町)が写っている。つけ根の湾が青戸であり、戸が海峡を意味して、かつては島であったと思われる。この地にニソの森という森の信仰がある。石見、対馬、薩摩大隅、種子島、沖縄などにも名前を変え同様の信仰がある。社殿を持たず森そのものが聖なるものとして祀られる。ニソの森ではタブの木が主人公である。タブはかつて海洋民俗が丸木船に加工した木だといわれる。私はこの森の信仰の延長に生守ヶ嶽、生守村があるのではないかと秘かに想像しているのだが。Img_2831

沖縄、久高島クボー御嶽(ウタキ)も聖なる信仰の森である。ここの主人公はクバ、つまり蒲葵だそうだ。男子禁制なので確認はしていない。
(2007.2.28)

【作業日誌 8/24】
生姜追肥と土寄せ
秋蒔き野菜準備
藤棚作り柱立て、梁渡し

今日のじょん:じょんシャン日で体重測定をする。2週間毎に量っているが、17.8、17.4、そして今日17.2kgとなっている。夏やせと言っていいのか、一月余りで600gの減がどのようなものなのかよく解らない。ちなみに私の体重に換算すると2.2Kg減となる。別に心配することは無いように思うのだが、、、、。Img_1254 こういう写真だと余計元気無さそうに見える。

コメント
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