2010.8.13(金)曇
ユリについては柳田国男氏の説が圧倒的で、他の説が見あたらないのだが、今のところ唯一別の説は「古地名の謎」(畑中友次著)で由良、五十村(いうら)の語源としてアイヌ語説を書いておられる。
まず香川県山田郡(現高松市由良町)の由良神社は由良山の麓にあって海辺ではないと主張されているが、縄文海進、弥生海進時には汀線であったと見て良いのでは無かろうか。また、群馬県新田郡宝泉村由良(現太田市由良町)も平原であり、海岸沿いではないと書かれている。確かにこの地は汀線であったとは言えない。ただし利根川と渡良瀬川の中間にあり、それらの流域、或いは大きな沼であったと想像できる。東側に低い山稜があり、この麓に拡がった地域と考えられる。この地は近隣に金山町、別所、多々良などの地名があり、東光寺、金井稲荷神社などもあって、古代の製鉄地と考えられる。
2006.11.15、自転車旅行では太田市辺りの混雑を避け、渡良瀬川の自転車道を走った。正面は赤城の連山。
氏は「Iwor(一人称)Iwori(三人称)イうオル、神々の住む世界、具体的には狩りや漁場としての山や海を語源としている。これによると由良、由理の関係も解ってきて由良は漁場、由利、由理はその漁場の意となる。」と記している。どうして、由良を一人称で由利を三人称で呼ぶのかまったく理解できない。要するに氏のアイヌ語地名考は単なる語呂合わせとしか思えない。
由良については和歌山県日高郡と兵庫県津名郡(現洲本市)の由良をあげておられるが、何れも海岸沿いで或いは湾内で、波の作用で広げられた地形という柳田説に合致するところである。前者には恵美寿神社が在り、後者には戎神社が在るのが気になる。漁場として見るのではなく、本来の意味、神々の住む場所と言う意味があるのだろうか。
五十村(いうら)という地名は現在消えている。南河内郡国分と書いてあったので柏原市の郷土資料館に電話して聞いてみる。現在は開発が進み旭ヶ丘という地名になっている。由緒ある地名が消えてつまらない地名となっているのは淋しいが、五十村廃寺という遺跡が残っているそうだ。応神天皇陵の東方にあり、伯太彦神社を祀る玉手山丘陵の麓辺りをいうそうだ。畑中氏は「国分より竹内街道に出る道に五十村峠あり、之も由良と同じで、ここは山の狩り場の意であろう」と書いておられる。
確かに海から離れた場所ではあるが、古事記にある神武東征の上陸地点日下の地は、五十村の北にある。つまり、弥生海進の時代にはこの地は汀線であったと考えられる。畑中氏はアイヌ語地名について10数年研究されたと言われているが、アイヌ(私は原日本人と考えている)が各地に居住していたと思われる時代の地形について考慮されていないようだ。これは地名研究について大きな欠陥となっているのだが、それでもって氏の著書が意味がないということではない。50年以上過去の研究は情報も、学会等の研究成果も現在とは雲泥の差である。手探りの状態でこれだけの書物をまとめ上げられた努力は並大抵のものではないだろう。ユリ、ユラについては同意できなかったが、他の仮説には傾聴すべきものがあり、今後も本書を参考書として使わせていただくつもりである。
【作業日誌 8/13】
どぶ板一枚完成
茗荷収穫、ちと遅すぎた。
今日のじょん:いくみちゃんが来て大喜び。
うれぴー。