晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置氏の正体は? 1/10

2010-01-12 | 雨読

2010.1.10(日)雨、曇

 「知られざる古代 謎の北緯三四度三二分をゆく」なんという魅惑的なタイトルだろうか。水谷慶一氏というNHNのディレクターによって書かれた書は幻の一族日置氏の正体を白日の下にさらそうというものだ。
 丹後に日置(ひおき)があるのは従前から知っていたが、上林に日置谷(へきだに)があるのを知ったのはこちらに越してきてからである。上林に存在するだろう古代の部民は日下部氏、弓削氏そして日置氏である。前二者が鉱山、金属に関わる部民であることは想像できるのだが、日置氏については今ひとつはっきりしない。草壁に日下部姓は残っていないし、弓削、日置谷にも弓削姓、日置姓が残っていないのはどういうことだろう。日置谷は日置と日置村中の小字と綾部市史にあるが、寛政年間の丹波國図を見ると日置殿となっており、現在は日置谷と殿村に分かれているが、府道51号線遊里を過ぎたところにも日置殿町という小字がある。日置氏については如何なる部民であったかいくつかの説はあるのだが、どうも納得しかねる部分が残っている。
 この本は北緯三四度三二分に沿って古代の重要な遺跡が存在し、その間に日置氏の痕跡があるので、日置氏は測量を専門とする一族であるという主旨だ。ところが「古代の鉄と神々」(真弓常忠著)の中で、一項を設けてこの説を批判されている。これがわたしがこの書を読もうとした動機である。歴史の一場面を見方が違えばどう変わるものなのか見てみたかったというものだ。
 「知られざる古代」は今までに読んだ歴史に関する本とは違って、あっという間に読み進めたし、理解するために二度読み三度読みする必要もなかった。話は昨日の古本談義に戻るけど、インターネットで古本が売買されるようになって、本の値段がとんでもないものもあるけれど、一般的に本の価値と価格が比例するようになったと思う。例えば今日現在、「古代の鉄と神々」は1500円、「知られざる古代」は580円の値が付いている。単純には言い切れないが、わたしはそれらの本の価値はそのようなものかと思っている。前者は学術書的な本であり、後者は読者に興味もたれるように、悪くいえばおもしろおかしく書かれた本のように思える。表紙の裏には「スリリングな知的探求の書である」と書かれている。Img_3743

 「知られざる古代」とそれを批判している「古代の鉄と神々」


 本書の後書きに、「前文略、、、この主題について吟味を加え、適当な取捨選択を行って構築してゆくのはこれからの作業だし、おそらく、それは、わたしの任ではありません」とある。つまりこの書はNHKの同題のドキュメントを作製したのと同じスタンスで書かれているものだろう。水谷氏がK氏の言を借りて言っているように、番組がヒットするための条件は、スジが単純であること、意外性をもつこと、ヤッタという感じがあることだそうだ。そういう意図でもって書かれた書なのではないか。
 真弓氏の批判は、「太陽の道」ではなくて、「鉄の道」だということだ。つまり古代祭祀の蔭に「鉄」の文化があったことへの視点がまったく欠落しているいう点である。また日置氏についても、太陽の運行によって測量をするのは必ずしも特定の氏族でなくともよく、日置部の職掌は日神祭祀であり、製鉄に関わった氏族でもあるという主旨で批判されている。その反論というか反証が16ページにもわたって書いてあるのだが、なかなか難しい内容で、理解するのに苦労するところもある。つづく

今日のじょん:今夜のじょんの吠え方は強烈だ。サークルの中で寝ていたと思ったら急に飛び出し、窓の外をジッと見つめ、わたしの方を見て、目が遭うと吠え出すのだ。無視をすると「うーうー」となんとも言えない唸りを上げてうろうろする。これは何者かが外にいるのだろうと、外に出て見渡すが何もいない。耳を澄ましても何も聞こえない。毎日一度二度はあるのだが、一定期間をおいて何度もあることは珍しい。かみさんは、「こうやってじょんが追い払ってくれているから、見に行っても何もいないんだ」と肯定的な考えをしているが、わたしは半信半疑である。先日風の強いときも同じようなことがあり、窓の外にカバーのビニル袋が飛んできて、風に揺れていたことがある。
 昨晩はヘイヘイが脱走してきてキュンキュン鳴いていたがこういうときは吠えることはない。へいへいもじょんのび村に来たいのかな。元旦に遊びに来たから憶えているみたい。Img_3702  

コメント
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