晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・日置氏の正体は? 1/11

2010-01-13 | 雨読

2010.1.11(月・祝)晴

 水谷氏のいう「太陽の道」には確かに古代の重要な遺跡がある。同時にそのあたりは地形的に中央構造線、あるいは領家変成帯にあたり、鉄や水銀などの鉱物の宝庫でもあるわけだ。そのことが古代国家の成立と発展に大きく寄与していることは水谷氏も周知のことと思われる。また、ご丁寧にNHKの取材中においても、あらゆる手段を持って「鉄」のことを助言されているようだ。それらが総て無視されて放映、出版されたものだから、著書の中に批判文の一項を設ける結果となったようだ。しかし、古代の遺跡がある緯度に沿って存在すること、その測量の方法については言及されているわけでない。「鉄」に対する洞察が欠落していること、日置氏についての顕彰が誤っているということを云っておられる様だ。
 しかし水谷氏はディレクターという立場であって、番組の本旨は既に決まっているだろうし、放映予定だって決まっているだろうから、途中で他の要素が現れても無視するしかないのではと予想する。ましてや昨日書いたように「スジが単純であること、意外性をもつこと、ヤッタという感じがあること」という番組ヒットの原則を貫こうとすれば、「鉄」の要素をストーリーに組み込むことは考えられないのではないだろうか。と考えると、この二冊の本は同じ古代の日本を扱いながら、方や学術論文であり、方や視聴者に受けるドキュメント番組という風にスタンスをまったく異にするのではないだろうか。だからその間で批判をすること自体が無意味なんじゃないかと、わたしの間では結論づけた。これで一件落着ということになるのだが、どうしても見逃せないことがあるので書いておきたい。それは下衆の勘ぐりと思われるだろうし、またそうであって欲しいのだが、本書の帯に松本清張氏が賞賛の文を寄せておられる、そのことについて気に掛かることがある。文では、古代のいわゆる「太陽の道」を検証したことはすごい事だと賞賛し、後半に著者はNHKで「日本史探訪」など歴史ものを長らく手がけてきたチーフディレクターであり、古代史の知識は専門家の域であり、その探求心は専門家以上であると絶賛しているわけである。Img_3745
 わたしはこの書が、番組作製を目的として取材、研究されたことを書かれている書だと結論づけ、真弓氏が言う欠落があってもしかるべきという結果になったのだが、松本氏はいわゆる歴史書としてみておられるようだ。そうすると、氏の「古代探求」でおっしゃっているアマチュア歴史家に対する苦言(本ブログ2009.11.9参照)と矛盾するのではないか。

「これは史料や資料から、自分の仮説に都合の良いところばかりを択ってくる独善的な態度にも云えることである。」

思えば古代史ブームなどといって、学者の間でしか語られなかった邪馬台国や古墳などを一般人の間に広めていただいたのは松本清張氏らの書物とNHKなどの歴史ドキュメントであった。「清張古代をゆく」は水谷氏がディレクターとして作製されたものだそうだ。そういう親しい間柄で書かれた讃辞なのかなと思う。

今日のじょん:朝、散歩から帰ってきて妙なことに気付いた。実は夕べ急激に気温が下がって、窓に大量の結露が着いていて、二階のベランダから水滴が一階のベランダに落ちていたのである。それは丁度じょんが外を覗いているあたりで、そこにはベビーチェアーにポリ袋が被せてあるのだ。水滴は数分おきにポタッと落ちるわけで、じょんの吠えたのも一定の間隔を置いていた。Img_3744じょんの名誉に関することだから、安易に断定は出来ないが、一応チェアーを除けてみて様子を見よう。

こいつが犯人か?

コメント
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