晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

薪割り上達 1/25

2010-01-25 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.25(月)曇、雨

 三日前から昨年来集めた薪の整理をしている。枯れ木の薪割りと、以前に玉切りしたたが、太すぎると思われる薪を割っている。途中で雨が降ってきたので中止したが、あと一日ぐらいで完了する予定だ。集めに集めてうずたかく積まれていた木々がやっと薪となって小屋に並ぶのは大変嬉しい。作る尻から使っているので、月々の使用量とかワンシーズンの必要量とかがよくつかめない。大体2年半分ぐらいあるだろうと思っていたのだが、どうも1年半分ぐらいの様相である。それともう一つ薪小屋を作るに当たって大きなミスがあった。それは薪を表からも裏からも取れるようにしておくべきだったということである。薪は消費している冬期に補充するからである。特に二列、三列として使う場合、どちらからも取れるようにしておかないと、後入れ先出しが出来ない。Img_3796 Img_3798
 薪割りも何千回と振り下ろしていると上達してくるものである。薪割りの極意は脱力である。力が入ると狙った場所に刃が入らない。これはゴルフのスイングと同様である。しかし薪割りの方がゴルフより簡単である。薪の直径は少なくともゴルフボールより大きいから、、、、。写真左は大きな栗の木を四つに割るものだが、これだけの堅さだと一度や二度の振り下ろしでは刃の跡がつくだけで、割れるものではない。90度づつ木を回転し、中心から十字の歯形を付ける。四度目の振り下ろしで、ケーキのカットの様に1/4の薪がとれる。これは、自分で言うのもなんだが、芸術である。四回中心を違えずに刃を降ろすのは名人の域である。あまりに嬉しくなってカメラを取りだした次第だ。
 薪割りの刃を降ろすところは一般的には薪の中心だが、必ずしもそうでもないのが薪割りのおもしろさである。切り口が必ず水平にカットされているわけでもないし、木が常に真っ直ぐなわけでもないからだ。最も難儀なのが節のある木だ。木目が節の勢力範囲にあるときは、目一杯振り下ろしても、跳ね返されるだけだ。薪割りは字のとおり薪割りで、薪切りではないのだ。ではどうするかというと、節の勢力範囲でないところをそぐように割っていくわけだ。写真右はそぎ落としてどうしようもない部分が残ったところ、これ以上は鋸かチエンソーの出番だ。以前は残る部分が大きかったけれど、今ではそのまま燃やせるだけの細さになっている。うーむ上達するものだ。教えて欲しい人には教えてあげても良いけど、慣れない人は柄を折ってしまうので、薪割りを持参できる人なら教えてあげましょう。

【作業日誌 1/25】
薪割り

今日のじょん:ドッグランを作り始めたのだが、先ずはオープンクローズの看板造りから、、、、。肉球を使って解りやすい看板をつくろうと思うのだが、一体肉球ってドンなんかなあと、じょんが寝ている間に写真を撮る。じょんのびのトレードマークの肉球と随分違うなあ。Img_3793 Img_3794 Img_3795

 

コメント
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