常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

水鉄砲製作

2010年08月10日 | 季節の便り
夏休みの子供たちと水鉄砲を作って遊んだ。
作り方が判らない子供たちが「せんせい、せんせい」と寄って来た。


横浜物語(義兄の遺稿より)

山荘の電子レンジで焼く食パンが美味しくて、妻は高原のパン屋を自認していた。

亡くなる少し前、妻はしきりに山荘に行きたがった。

肝機能障害が進んだ妻に信濃は遠い、主治医から妻の余命を宣告されている僕にとってそれはつらい選択だった。
しかし哀願するような妻の口調に結局僕が折れた。

晩秋の高原には既に落葉を運ぶ風が吹いていた、山荘の澄んだ空気に触れて妻は少しだけ元気を取り戻したようにみえた。

この山荘で過ごした日々を懐かしみ、秘め事を持つ僕を励ますように妻は饒舌になっていた。 
帰る前日、夜になってから妻は食パンを一斤焼いた。

焼いた後又タイマーをセットして、朝までに焼きあがるようセットした。

こんなことはなかった 二斤のパン。

翌朝、妻は前夜の食パンの屋根の部分を剥がして食べた。

そして僕には、「あと全部食べてね」と言った。

僕は時間がないからと少し食べ、「車の中でゆっくり味わっていくんだ」と残りを紙袋に入れた。

車中で食べた食パンは湿っているように思えた。

それが、高原パン店の閉店記念の食パンになってしまった。

その日から3ヶ月も待たず平成4年1月13日午前1時35分 僕を残して、最愛の妻は息をとめた。

 

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横浜物語

2010年08月09日 | 横浜物語
露草


横浜の旅の後もくだんの旅行会は日本の各地を回る旅を重ねた。

何年かして義兄は癌の宣告を受け、つらく厳しい癌治療を受ける身になった。

病状は一進一退し、義兄から強い意志と、弱気が交錯する便りを何度か頂いた。

秋になって 衝撃的な手紙が届いた「残されたわずかな人生を息子夫婦と姉妹に見守られて静かに終わりたい、これまでのご厚情に感謝しつつも、今後の交流は没とし、今後見舞はもちろん葬儀に関わる一切の関係を断ち切って欲しい」という内容だった。

納得がゆかず問い合わせた電話口の家族は、癌の末期特有の激痛をモルヒネで抑えながら、来るべきその日を待つ状態だという。

本人の堅い意志なので、どなたの見舞いもお断りしているという家族に懇願し、ようやく入院先を突き止め、早朝鎌倉大船の病院に急いだ。

甥夫婦と姉さんが迎えてくれ、重苦しい雰囲気が漂う中病室に案内された、そこには、体を海老のように曲げて、束の間の安眠に浸る義兄がいた。

ゆり起こそうとする甥を制して病室を出た、そして甥夫婦が駅まで送るというその好意に甘えた。

あまり親しい付き合いがなかった甥夫婦のこの申し出が嬉しくて、さっきまでの胸のつかえが取れた思いがした。

しかし 道すがら様々な思いが胸に溢れてきて声にならなかった、駅に着くと甥の嫁さんが急行券を買ってきて、新宿まで急行電車で行けば疲れも少ないからと言いながら渡してくれた。

電車が発車するまで二人で見送ってくれた。

しばらくして天国に旅立った義兄から銀河鉄道を経由して手紙が届いた。
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横浜物語

2010年08月08日 | 横浜物語
日本丸

松工は初戦を飾ることはできなかった。
残念には思うれど、精一杯全力を尽くせたらそれでいいと思う。
ありがとう。
横浜物語
姉夫婦は辻堂 茅ヶ崎と移り住んで、横浜の新興住宅地に居を構えた。
二人は高原で出会って恋に落ちたと聞いている。
しかし姉は50歳半ばで肝炎のため早世した。
義兄の憔悴を見かねて、私共兄弟姉妹が相談し年1回の旅行会を企画し実行した。
義兄の気力は年を追うごとに回復し、ある年の晩春、旅行会は義兄の発案で横浜に相集った。
義兄が案内してくれた、日本丸も、港が見える丘も、外人墓地も、夜の中華街もそれぞれに心に残るものになった。











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立秋

2010年08月07日 | 季節の便り


残暑厳しい中 甲子園に想いを馳せながら横浜世界大会へ。
小型ラジオをポケットにしのばせて
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ワイズメンズクラブ国際大会IN横浜

2010年08月06日 | 季節の便り
国際大会フラッグセレモニー(国旗入場)

2010年ワイズメンズクラブ国際協会横浜大会の開会式を見物できた。

参加72カ国の国旗入場が圧巻であった。

当たり前のことなのだけれど国際大会は全て英語で物事が進行する。

イヤホーンから同時通訳の日本語は流れるけれど、聞き慣れていないからしっくりしない。

英語・仏語・独語・火星語の区別もつかない我が身である。

電車も会場も、会場に向かう通路までエアコンが効いていて快適であったが疲れた。

松工野球部OB川口さんからメールを頂いた。

「7月25日松本市営球場で和42年卒業の仲間4人で松工野球部の大逆転劇に感動しました。
松商ベンチのうなだれた選手たちの姿に、今までの松工野球部部員が味わった積年の無念をダブらせながら、体が震えるほどの感激を味わいました。

早速 敬愛する池野直正先輩(32年卒)の墓前にと、信濃毎日新聞社「松工甲子園出場号外」を送りました。

折り返し 奥様より、主人の墓前に悲願達成報告ができましたと、感激に声を詰まらせた電話をいただきました。
7日は大阪で10時より商談があり、宿舎に激励に行こうと目論んでおりました。
まさか第一試合とは思っても見ませんでした。

新しい歴史と感動を与えてくれた野球部員、中村監督(私の1年後輩)他、関係者の努力の賜物と思います。
本当にうれしいことです」

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開幕試合

2010年08月05日 | 季節の便り
シュウカイドウ


朝から強烈な夏の日差しである。
あらゆる種類の蝉が一斉に鳴きだしてこれは雑音だ。

松本工業高等学校は7日の甲子園開幕試合を引き当てた。
強運と言うべきか、対戦相手は熊本の強豪九州学院である。
まともには勝てないかもしれないが、開幕試合という緊張感の中に勝算はある。
私には不幸なめぐり合わせで、7日は年間を通して調整できない数少ない日である、テレビ観戦もままならない状況下におかれる。
1勝上げて次の試合で甲子園での応援を体験させてほしい。
今日はこれから横浜で涼しい浜風に吹かれて避暑してくるつもり。
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夏山は招く

2010年08月04日 | 常念100景

8月4日 晴れわたった稜線が続く

どこまでも深い紺碧の夏空が広がる。

キャンプや山登りはいつでも楽し想い出だ。

生まれた時から山坂で鍛えた脚力は、どんな山でもひけをとることはなかったのだが、足腰に自信がなくなって歩くことから遠ざかっていた。

踏破した山脈の青い稜線がくっきりと見渡せると、身の程も忘れて無性に昇りたくなる。

中高年の山岳事故が多発している、中高年の枠をはみ出した年代であれば、なおさら無理はしたくない。

折角無料になった安房トンネルを使って、新穂高温泉からロープウエイを乗り継いで、一気に西穂高岳直下まで楽に登る方法もある。

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いざ甲子園へ

2010年08月03日 | 季節の便り
早乙女草


「熱闘、甲子園出場成る!!」

高校野球選手権大会出場記念募金依頼の封書が着いた。

差出人は松本工業高等学校甲子園出場実行委員会である。

早速同窓会館にお祝いを兼ねて心ばかりの募金を届けに伺った。

間の悪いことに、地元テレビ局が取材したいという、10分ほど前にカメラ設置を終わり、募金に来る人を待ち構えていたらしい。

汗を拭きながら、しどろもどろに答えた。

テレビの街角インタビューで、向けられた質問を正確に理解し、即座に自分の意見をまとめ、的確に受け応えする人のセンスにはいつも脱帽する。

赤羽校長先生が在室との事だったので、お祝いの挨拶に伺った。

大変お忙しいご様子だったが本当にうれしそうだった。
高野連等関係部署の挨拶もあって、試合の前日から甲子園入りされるという。

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集中豪雨

2010年08月03日 | 季節の便り
ヤブラン


集中豪雨

昨日夕刻松本市の西部を中心に1時間50ミリという記録的豪雨が降った。

コンクリートで塗り固められた市街地の一部で床下浸水があったという。

その時刻、集中豪雨の直撃を受けた市街地を車で抜けた、側溝から雨水があふれ出て道路には濁流が流れた。

消防車の放水を浴びたような雨量にワイパーは全く役に立たない。

自家の横を流れる小川の増水を心配して家路を急いだ。

家に近づくに従い豪雨は小雨に変わり空も明るくなってきた、約5キロの距離である「夕立は馬の背を分ける」という言葉が久しぶりに実感できた。

 

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夕涼み

2010年08月02日 | 季節の便り
8月1日


空一面に薄い雲がかかって太陽が直視できる。
雲を透してみる太陽の輪郭は普段の10倍も大きい。 
昼間の暑さに空気がどんよりして、室内にこもった熱気は動こうともしない。
こんな夜は夕涼みがいい。
橋の上はいつも涼しい風が吹いて時折蛍が飛んだ。
流れの中に漁火が揺れて、大人たちがガラス箱を覗きながらヤスでカジカを漁った。
時は大きく過ぎて、何もかも変った様にも思うし、変わらないようにも見える。
何十年ぶりの夕涼みも悪くないな



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