或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

14区 レイモン・ロスラン通り

2010-02-23 05:53:44 | 830 パリ紀行
画家、佐伯祐三のパリでの足跡を辿るシリーズの第7弾そして最終回は、14区にあるレイモン・ロスラン通り(Rue Raymond Losserand)。前回紹介した「扉」を描いたのが1928年の2月。そして有名な「郵便配達夫」、「ロシアの少女」を描いた後、3月に結核で病床へ。この通りにある上の写真のアパートに移ったのが4月で死の4ヶ月前。つまりここがパリでの最後の住居。

この頃には経済的にも困窮しており、モンパルナス大通りのアトリエに居続けることは難しく、より安い家賃のアパートへの転居を余儀なくされていたらしい。当時の通りの名前はレイモン・ロスランではなくヴァンプ(Rue de Vanves)。モンパルナス墓地のすぐ裏手にあり、最初の渡欧時に住んだシャトー通りからは交差点を曲がってすぐ。裏通りという言葉がぴったりの通り。

このアパートに移った頃には体が衰弱し、精神的にも錯乱し始めていて。6月には精神病院へ、そして8月にそこで死去。享年30歳。この日の朝からずっと彼のパリでの足跡を追い続けていたのだけど、このアパートにたどり着いた時にはそれまでの昂ぶった気持ちが不思議にすーっと治まって。小雨に濡れながら彼のパリでの生活と短い人生にしみじみと思いを馳せたかなあ。

それにしても、今思えばいくら近所とはいえ午前中だけで7ヶ所も周ったとは。余程気合いが入っていたんだなと。でも現地では半日しか時間を割かなかったことを逆に後悔していて。というのもモンパルナスと共に彼の多くの作品の画題となったセーヌ川右岸のカルチェ・ラタンへ足を伸ばせなかったから。事前に何処にいくか詳細に調べておいたのに。まあそれはこの次のお楽しみということで。なんていつになるか、行けるかどうかも分からないけど。

帰国して1年近く経つけど、記事を書いていると各々の場所の情景がはっきりと脳裏に浮かんでくる。それくらい自分の中では特別なんだろうなあ、佐伯という存在が。また何処かでゆっくり彼の絵を眺めたい、おそらくこれまでとはまた違った気持ちで。