或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

Suzanne Valadon

2008-08-21 06:20:05 | 300 絵画
印象が薄らぐ前に記事にしようと思っていたのが、ユトリロの母で画家でもあったシュザンヌ・ヴァラドン。ひろしま美術館で開催されていた”芸術都市パリの100年展”で驚いたのが、企画展のサブタイトルにもなっていたユトリロ本人の作品は2枚だけなのに対し彼女の作品は5、6枚あって。今回の展示の中でもそのスペースはかなりのものだった。

まず肌で感じたのがエコール・ド・パリの匂い。特にパリ市立近代美術館所蔵の色彩豊かな「縞の毛布の裸婦」(1922年)からは、華やかさの中にどうにもならない暗さが伝わってきて。”青の時代”のピカソに通じるかな。それにしてもインパクトは強烈。特に赤と対比をなす暗めのエメラルドグリーン。個人的に弱いんだなあ、この色に。どうも妖しげな雰囲気を感じてしまう。

どんな女性だったのか強く興味を持ったのは確か。家に帰って調べると、田舎の農村の出身でパリに出てきてモデルをやりながら絵を学んだとか。上の写真は展示してあったポンピドゥー所蔵の自画像(1883年)。彼女が18歳の頃に描いたもの。父親がおらず貧しい生活をしながらも、気丈で恋多き女であったといわれる彼女だけど、どことなくその芯の強さが伝わってくる。

彼女はユトリロの実の母親だけど、未だに誰か明らかになっていないのが父親。画家ではルノワール、ロートレック、ドガ、音楽家ではサティ等の名前は多く挙がっているけど、彼女自身が息子にさえ終生明かさなかったらしい。本人も分からなかったりして。まあ藤田もそうだけど、当時は毎日がお祭りでなんでもあり。彼女の絵からも、そんな酒池肉林の世界の毒々しさが。

だけど展示されていた中で最も印象的だったのは、地味な木炭画の「もの思いのユトリロ」(1911年)。28歳頃の彼を描いたもの。画家の性(さが)というか、被写体を見つめるクールな視線が、自分の息子を描いたにしてはあまりにも哀しかった。

縞の毛布の裸婦(1922)もの思いのユトリロ(1911)