今回は、第1期の最終配本の感想。これにて第1期全33巻が完結した。
別巻『Fの森の歩き方』は今週金曜日発売予定。ブログの更新をさぼっていたら、別巻の発売間近になっていた。特に忙しかったというわけでもなく、今月は何となくブログの更新が滞ってしまった。
・『ドラえもん』第8巻
今回は、1968年度生まれ編。第1巻は3年度分まとめての収録だったから、全集第1期で10年分が収録されたことになる。
前巻から本の後半分はシンエイ版アニメ放映によるドラえもんブームの中で描かれた作品が収録されている。この時期の話を発表順に読むと絵柄の変遷が読み解けて面白い。本巻収録の「小学六年生」掲載分になると、後期F作品の特徴である「服の肩のシワ」があったりなかったりで、定着までには少し時間がかかったのだと分かる。
と言っても、もちろん単行本化時に描き足されたコマは一律にシワ付きになので、そこは注意する必要がある。てんコミ32巻に収録された「野比家が無重力」や「しずちゃんさようなら」などは、描き足しまでに少し時間がかかったせいで、初出そのままのコマと描き足しコマの絵の変化が顕著で、見分けやすい。
また、ラスト前に収録された「のび太が消えちゃう?」は、のび太の両親の出逢いのエピソード追加など、かなり描き足し&描き変えの多い話だ。てんコミ末期の43巻収録なので、どこが描き足しなのかを見分けるのはさらに容易だろう。
『ドラえもん』の短編連載が続いていたとしたら、パパとママのエピソードは「のび太が消えちゃう?」とは別のエピソードで語られていたのかもしれない。そうではなく、既存の作品への描き足しという形になったのは、もう『ドラえもん』の新作短編を書くことは出来ないかも知れないので、ここで描いておきたいと言うF先生の意志があったからではないだろうか。
あと、「痛みはね返りミラー」扉絵でのび太の持っている道具が原稿段階と発表時で異なっている点について特別資料室で触れられているが、今回カバーイラストにも使用された原稿版の道具は、どう見てもチクタクボンワッペンだ。調べてみたら、「痛みはね返りミラー」と「チクタクボンワッペン」は発表時期が一ヶ月しか違わない。
「痛みはね返りミラー」の方が発表が早いので、扉絵を入稿した時点では「チクタクボンワッペン」を描くつもりだったのが、何らかの事情で「痛みはねかえりミラー」に変更となり、「チクタクボンワッペン」は翌月にあらためて描かれたと言うことなのだろう。原稿版の絵は「チクタクボンワッペン」の扉絵として見ても違和感がない。
それにしても、こんなに細かいところまでこだわって紹介しているのは素晴らしい。出来ればその調子で、「オーバーオーバー」の描き変え前も紹介して欲しかったところだが、『ジャングル黒べえ』が復活したとは言え、人種問題については下手に触れたくないのだろう。
・『パーマン』第8巻
前回の感想で触れたが、この巻は全悪連絡みの話に傑作が多い。理事長の凄まじい歌唱力を描いた「全悪連盟歌」(ジャイアンとぜひ対決して欲しい)、めずらしく格好つけたナレーションが妙に印象的な「全日本悪者連盟の選挙」、名ゼリフ「じゃあ、ラリルレロ順」が笑える「パーマン警報器」などなど、笑える話が揃っている。
旧作の全ギャド連が新作の全悪連に変わってから、明らかにコミカルな面が強調されるようになったが、これは新作の作風にマッチしていて成功だったと思う。それだけに、シンエイ版のテレビアニメに全悪連が出なかったのは、もったいない。ドン石川の声は平成劇場版の内海賢二氏がはまり役だったので、テレビアニメでも内海さんの声で喋るドン石川と子分たちを観たかった。
本巻では、「タイムマシン」が珍作として見逃せない。これも全悪連&魔土災炎絡みの話だが、ここで登場したタイムマシンは形も機能も明らかに『ドラえもん』の「タイムベルト」そのまんま。魔土博士、透明薬は無理でもタイムマシンは発明できるのか。どっちにしても凄い人物だ。そんなタイムマシンを、金庫室に侵入するためだけに使うあたりがみみっちくて泣ける。
この話は藤子不二雄ランドでは、セリフの「22年前」と「22年後」を間違えるミスがあって長年気になっていたのだが、今回はようやくちゃんと訂正されてすっきりした。
・『エスパー魔美』第5巻
こちらも最終巻。あらためて『エスパー魔美』後期の話を読むと、魔美が悪人退治に堂々と超能力を使って「あたしはエスパー、でも他言無用」で済ませてしまう話が多くなっている。最初のうちはなるべく力がばれないようにとしていたし、以前には黒沢のような奴もいただけに「それでいいのか」と、ちょっと引っかかってしまう。
そのせいか、本巻では「マミを贈ります」「思い出を運ぶハト」「ドキドキ土器」「占いとミステリー」など、悪人退治をしないエピソードの方が、より印象深くて好きだ。あとは、ある意味『エスパー魔美』最大の問題作と言える「リアリズム殺人事件」を忘れるわけにはいかない。アニメ版の改変には本放送当時から賛否両論だったことが当時のアニメ誌でわかるが、これを原作通りに作っていたら鬼気迫る凄い作品になったのではないだろうか。その点ではアニメ版は残念な出来だった。
また、長期連載にはありがちな事だが、絵のタッチも1巻と比べるとずいぶん変わった。一番変化が激しいのは高畑くんだろう。本巻では、顔が正面から描かれている時に鼻が丸くなっている事があり、何だか別人を見ているみたいで気になった。
ともあれ、全5巻で全集版『エスパー魔美』は完結。カラーを全て再現した初の「完全版」の意義は大いにあったと思う。5巻に限って言えば、カラーがないのでちょっと物足りないが。そして、『エスパー魔美』最後の掲載は1983年5号だから、直接的な作品終了の原因は新作『パーマン』の連載開始だったのだろうか。その『パーマン』と同時に全集版が完結したことには、奇妙な因縁を感じた。
別巻『Fの森の歩き方』は今週金曜日発売予定。ブログの更新をさぼっていたら、別巻の発売間近になっていた。特に忙しかったというわけでもなく、今月は何となくブログの更新が滞ってしまった。
・『ドラえもん』第8巻
今回は、1968年度生まれ編。第1巻は3年度分まとめての収録だったから、全集第1期で10年分が収録されたことになる。
前巻から本の後半分はシンエイ版アニメ放映によるドラえもんブームの中で描かれた作品が収録されている。この時期の話を発表順に読むと絵柄の変遷が読み解けて面白い。本巻収録の「小学六年生」掲載分になると、後期F作品の特徴である「服の肩のシワ」があったりなかったりで、定着までには少し時間がかかったのだと分かる。
と言っても、もちろん単行本化時に描き足されたコマは一律にシワ付きになので、そこは注意する必要がある。てんコミ32巻に収録された「野比家が無重力」や「しずちゃんさようなら」などは、描き足しまでに少し時間がかかったせいで、初出そのままのコマと描き足しコマの絵の変化が顕著で、見分けやすい。
また、ラスト前に収録された「のび太が消えちゃう?」は、のび太の両親の出逢いのエピソード追加など、かなり描き足し&描き変えの多い話だ。てんコミ末期の43巻収録なので、どこが描き足しなのかを見分けるのはさらに容易だろう。
『ドラえもん』の短編連載が続いていたとしたら、パパとママのエピソードは「のび太が消えちゃう?」とは別のエピソードで語られていたのかもしれない。そうではなく、既存の作品への描き足しという形になったのは、もう『ドラえもん』の新作短編を書くことは出来ないかも知れないので、ここで描いておきたいと言うF先生の意志があったからではないだろうか。
あと、「痛みはね返りミラー」扉絵でのび太の持っている道具が原稿段階と発表時で異なっている点について特別資料室で触れられているが、今回カバーイラストにも使用された原稿版の道具は、どう見てもチクタクボンワッペンだ。調べてみたら、「痛みはね返りミラー」と「チクタクボンワッペン」は発表時期が一ヶ月しか違わない。
「痛みはね返りミラー」の方が発表が早いので、扉絵を入稿した時点では「チクタクボンワッペン」を描くつもりだったのが、何らかの事情で「痛みはねかえりミラー」に変更となり、「チクタクボンワッペン」は翌月にあらためて描かれたと言うことなのだろう。原稿版の絵は「チクタクボンワッペン」の扉絵として見ても違和感がない。
それにしても、こんなに細かいところまでこだわって紹介しているのは素晴らしい。出来ればその調子で、「オーバーオーバー」の描き変え前も紹介して欲しかったところだが、『ジャングル黒べえ』が復活したとは言え、人種問題については下手に触れたくないのだろう。
・『パーマン』第8巻
前回の感想で触れたが、この巻は全悪連絡みの話に傑作が多い。理事長の凄まじい歌唱力を描いた「全悪連盟歌」(ジャイアンとぜひ対決して欲しい)、めずらしく格好つけたナレーションが妙に印象的な「全日本悪者連盟の選挙」、名ゼリフ「じゃあ、ラリルレロ順」が笑える「パーマン警報器」などなど、笑える話が揃っている。
旧作の全ギャド連が新作の全悪連に変わってから、明らかにコミカルな面が強調されるようになったが、これは新作の作風にマッチしていて成功だったと思う。それだけに、シンエイ版のテレビアニメに全悪連が出なかったのは、もったいない。ドン石川の声は平成劇場版の内海賢二氏がはまり役だったので、テレビアニメでも内海さんの声で喋るドン石川と子分たちを観たかった。
本巻では、「タイムマシン」が珍作として見逃せない。これも全悪連&魔土災炎絡みの話だが、ここで登場したタイムマシンは形も機能も明らかに『ドラえもん』の「タイムベルト」そのまんま。魔土博士、透明薬は無理でもタイムマシンは発明できるのか。どっちにしても凄い人物だ。そんなタイムマシンを、金庫室に侵入するためだけに使うあたりがみみっちくて泣ける。
この話は藤子不二雄ランドでは、セリフの「22年前」と「22年後」を間違えるミスがあって長年気になっていたのだが、今回はようやくちゃんと訂正されてすっきりした。
・『エスパー魔美』第5巻
こちらも最終巻。あらためて『エスパー魔美』後期の話を読むと、魔美が悪人退治に堂々と超能力を使って「あたしはエスパー、でも他言無用」で済ませてしまう話が多くなっている。最初のうちはなるべく力がばれないようにとしていたし、以前には黒沢のような奴もいただけに「それでいいのか」と、ちょっと引っかかってしまう。
そのせいか、本巻では「マミを贈ります」「思い出を運ぶハト」「ドキドキ土器」「占いとミステリー」など、悪人退治をしないエピソードの方が、より印象深くて好きだ。あとは、ある意味『エスパー魔美』最大の問題作と言える「リアリズム殺人事件」を忘れるわけにはいかない。アニメ版の改変には本放送当時から賛否両論だったことが当時のアニメ誌でわかるが、これを原作通りに作っていたら鬼気迫る凄い作品になったのではないだろうか。その点ではアニメ版は残念な出来だった。
また、長期連載にはありがちな事だが、絵のタッチも1巻と比べるとずいぶん変わった。一番変化が激しいのは高畑くんだろう。本巻では、顔が正面から描かれている時に鼻が丸くなっている事があり、何だか別人を見ているみたいで気になった。
ともあれ、全5巻で全集版『エスパー魔美』は完結。カラーを全て再現した初の「完全版」の意義は大いにあったと思う。5巻に限って言えば、カラーがないのでちょっと物足りないが。そして、『エスパー魔美』最後の掲載は1983年5号だから、直接的な作品終了の原因は新作『パーマン』の連載開始だったのだろうか。その『パーマン』と同時に全集版が完結したことには、奇妙な因縁を感じた。