吾郷は雪の中なり雛かざり
歴史雛栄枯盛衰見てをりぬ
柳本良子さんが寄贈された九人飾りの御雛さんは、慶応四年江戸時代の最後、当時江戸まで出向いて最高なものを求めたと記している。また。交通の悪かった当時に、どうやって江戸まで行き、それを持ち帰ったのだろうと!!!」。その頃の「飯山仏壇」は盛々とし、儲かった時代であったのだろう。
野田平、野田荘、野田重、野田家、野田由と後数件の野田という名の店があった。その東家は歴史のある飯山豪商の老補、「栄枯盛衰」苦難の歴史を経て、今も数店が営業を続けていなさる。この近年の大きな時代の変遷のなかに、老補を守っていくには。 色々大変なことがあると思いますが、同じ商人上がりとして立派なことだと称賛します。
いよいよ桃の節句ですね。
今日はとても、
昔のお雛様を見せて頂きました。
もう100年にもなりますね。
お見事です。
今日も、
有難う御座いました。