父 瀧澤幸世は、9年前、小学校からの幼馴染の村会議員たちに請われて、生まれ育った長野県木島平村に戻って来ました。
当時61歳。
3度バブルで倒産し、負債を抱えたスキー場リフト目の前のリゾートホテル。
ユングフラウ、フェローズイン、ホテルの名前はコロコロ変わりました。
3度も倒産すると、誰も買い手がつかなくなる。
施設も老朽化。塗装もはげてきていてボロボロになっていました。
幽霊屋敷になってしまうのか、また、当時、オーム真理教が買うなんて話も。
そこで、急遽、木島平村としてこのホテルを買い上げることに。
ところが、村で買い上げても、ホテルを経営する人がいない。
そこで白羽の矢があたったのが父 瀧澤幸世。
三井物産退職後、マルイチ産商、スターフーズの取締役として会社再建に関わり、見事復活。
スターフーズのときは、陳健一さんと一緒に料理の鉄人シリーズを手がけたりして、会社を飛躍させました。
仕事が一段落し、他からもいろいろとお声がかかっていたちょうどその頃、故郷の木島平村から、ホテルの経営をしてくれないかとお願いがありました。
故郷の木島平村のことがわかり、村の人脈もあり、経営感覚もある。適任でした。
小学校からの同級生だった村議会議員たちからの三顧の礼。
そして、いつかは故郷に恩返しをしたいという想い。
しかし、負債とホテルの改装諸々のため、1億円という負債を個人で背負うことに、母は反対。
失敗したら、住んでいる東京の家も無くなってしまう。
ましてや、知り合いもいなく、住んだこともない田舎に引っ越すなんて。
家族会議。
息子の私は、最終的には父がやりたいことをやるべきだと思い、父が田舎に帰ることを応援。
父は一度決めたら頑として動かない亭主関白な性格。母もしぶしぶ木島平村へ。
村に来て、9年。
村の改革に信念を貫いていました。
村の支出を減らし、村の収入を増やすにはどうしたらよいか。
改革断行。
ムダを減らし、痛みを伴う改革。
ホテルのスタッフもついてきてくれました。
職員、スタッフの給料を減らし、諸手当の削減の余波は木島平村全体に波及。
様々な村の委員会の取りまとめ役になるとバッサバッサと無駄なものを切っていく。
村はぬるま湯状態からの脱却に。
どうやったら、赤字状態のホテルを黒字にさせるか。
そして、このリゾートホテルを核にして村の観光産業をどう活性化させるか。
さらに、村がどう自立していけばよいか。
鋭い指摘と厳しいチェック。
村の職員から恐れられていました。
そんな父を母はずっと影で支えていました。
父のために料理を作り、家事を行い、忙しい父に代わって、手書きの資料や統計を慣れないパソコンで作成。
ボケ防止にはよかったかのかもしれません。
スキー人口が減っていき、少子化の時代。
厳しい時代です。
ツアー会社、旅行会社とタイアップしたり、インターネットを活用して集客をはかり、あらゆる広告媒体に挑戦し、さまざまなアイデアと人脈をフル活用。
やっと、おととし、ホテルの経営も黒字化し、負債も完全返済し、経営も順調に。
しかし、今のままでは3年後にホテルはつぶれるぞ。今のうちに転職先を考えておけと従業員にプレッシャーをかけていました。
東京ではリュックを背負って、あちこちに出向いて、木島平村をアピール。
品川のケーブルテレビにも出演。
また、村の女の子たちだけで構成される「鬼島太鼓」をバックアップ。
鬼島太鼓は、ついに、全国大会 一般の部で優勝も。それも2回!
この鬼島太鼓のイベントを企画し、チケットを売り歩いたりして、木島平村をPR。品川区、調布市と共催で様々なイベントを仕掛けてきました。
木島平村の観光大使あるいは外交官といった感じでした。
市町村合併では、木島平村は自立を選択。
村長選挙では、自立を選択した候補者 現:芳川村長を応援し、見事初当選に。
このままでは、村はつぶれるぞ。
どうやって自立していったらよいか。
どうやったら、村の支出を減らし、収入を増やすか。
いつも考えていました。
改革断行。
市町村合併を拒否し、村が本気で自立していけるのか
どう活性化できるか。
昔のような活気のある村にするにはどうしたらよいか。
村の未来に希望を持たせ、変革を推進していく
第3セクターのホテル パノラマランド木島平を核とした村の観光産業の建て直しがこれからというときに、改革の先導者である父がいなくなってしまいました。
村もホテルも父はまだ東京出張中のような雰囲気で。
そんな状態で年の瀬を迎え新年が明けようとしています。
父は天国から、村を見守っていると思います。
レールは敷いた。
あとは自分たちで頑張れと。
母には、春になったら2人で海外に行ってゆっくりしようと言っていました。
10年のパスポートも更新したばかり。
そんな改革の先導者は、木島平の千の風となって、見守っていると思います。
葬儀ではたくさんの方々に参列していただき、父を見送ることができました。
本当にありがとうございました。
当時61歳。
3度バブルで倒産し、負債を抱えたスキー場リフト目の前のリゾートホテル。
ユングフラウ、フェローズイン、ホテルの名前はコロコロ変わりました。
3度も倒産すると、誰も買い手がつかなくなる。
施設も老朽化。塗装もはげてきていてボロボロになっていました。
幽霊屋敷になってしまうのか、また、当時、オーム真理教が買うなんて話も。
そこで、急遽、木島平村としてこのホテルを買い上げることに。
ところが、村で買い上げても、ホテルを経営する人がいない。
そこで白羽の矢があたったのが父 瀧澤幸世。
三井物産退職後、マルイチ産商、スターフーズの取締役として会社再建に関わり、見事復活。
スターフーズのときは、陳健一さんと一緒に料理の鉄人シリーズを手がけたりして、会社を飛躍させました。
仕事が一段落し、他からもいろいろとお声がかかっていたちょうどその頃、故郷の木島平村から、ホテルの経営をしてくれないかとお願いがありました。
故郷の木島平村のことがわかり、村の人脈もあり、経営感覚もある。適任でした。
小学校からの同級生だった村議会議員たちからの三顧の礼。
そして、いつかは故郷に恩返しをしたいという想い。
しかし、負債とホテルの改装諸々のため、1億円という負債を個人で背負うことに、母は反対。
失敗したら、住んでいる東京の家も無くなってしまう。
ましてや、知り合いもいなく、住んだこともない田舎に引っ越すなんて。
家族会議。
息子の私は、最終的には父がやりたいことをやるべきだと思い、父が田舎に帰ることを応援。
父は一度決めたら頑として動かない亭主関白な性格。母もしぶしぶ木島平村へ。
村に来て、9年。
村の改革に信念を貫いていました。
村の支出を減らし、村の収入を増やすにはどうしたらよいか。
改革断行。
ムダを減らし、痛みを伴う改革。
ホテルのスタッフもついてきてくれました。
職員、スタッフの給料を減らし、諸手当の削減の余波は木島平村全体に波及。
様々な村の委員会の取りまとめ役になるとバッサバッサと無駄なものを切っていく。
村はぬるま湯状態からの脱却に。
どうやったら、赤字状態のホテルを黒字にさせるか。
そして、このリゾートホテルを核にして村の観光産業をどう活性化させるか。
さらに、村がどう自立していけばよいか。
鋭い指摘と厳しいチェック。
村の職員から恐れられていました。
そんな父を母はずっと影で支えていました。
父のために料理を作り、家事を行い、忙しい父に代わって、手書きの資料や統計を慣れないパソコンで作成。
ボケ防止にはよかったかのかもしれません。
スキー人口が減っていき、少子化の時代。
厳しい時代です。
ツアー会社、旅行会社とタイアップしたり、インターネットを活用して集客をはかり、あらゆる広告媒体に挑戦し、さまざまなアイデアと人脈をフル活用。
やっと、おととし、ホテルの経営も黒字化し、負債も完全返済し、経営も順調に。
しかし、今のままでは3年後にホテルはつぶれるぞ。今のうちに転職先を考えておけと従業員にプレッシャーをかけていました。
東京ではリュックを背負って、あちこちに出向いて、木島平村をアピール。
品川のケーブルテレビにも出演。
また、村の女の子たちだけで構成される「鬼島太鼓」をバックアップ。
鬼島太鼓は、ついに、全国大会 一般の部で優勝も。それも2回!
この鬼島太鼓のイベントを企画し、チケットを売り歩いたりして、木島平村をPR。品川区、調布市と共催で様々なイベントを仕掛けてきました。
木島平村の観光大使あるいは外交官といった感じでした。
市町村合併では、木島平村は自立を選択。
村長選挙では、自立を選択した候補者 現:芳川村長を応援し、見事初当選に。
このままでは、村はつぶれるぞ。
どうやって自立していったらよいか。
どうやったら、村の支出を減らし、収入を増やすか。
いつも考えていました。
改革断行。
市町村合併を拒否し、村が本気で自立していけるのか
どう活性化できるか。
昔のような活気のある村にするにはどうしたらよいか。
村の未来に希望を持たせ、変革を推進していく
第3セクターのホテル パノラマランド木島平を核とした村の観光産業の建て直しがこれからというときに、改革の先導者である父がいなくなってしまいました。
村もホテルも父はまだ東京出張中のような雰囲気で。
そんな状態で年の瀬を迎え新年が明けようとしています。
父は天国から、村を見守っていると思います。
レールは敷いた。
あとは自分たちで頑張れと。
母には、春になったら2人で海外に行ってゆっくりしようと言っていました。
10年のパスポートも更新したばかり。
そんな改革の先導者は、木島平の千の風となって、見守っていると思います。
葬儀ではたくさんの方々に参列していただき、父を見送ることができました。
本当にありがとうございました。
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