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ときめきの日々を過ごしたい

時間がありましたら読んでみてください。

2010-10-10 13:15:45 | Weblog

 流れ星何処へ降りたら良いのやら
霧の世はとまる木のない迷ゐ鳥
  
写真ネットより

警察官僚から「おやじ日本」へ(npo法人おやじ日本理事長)  竹内  豊  

   私が「おやじ日本」に関わって早七年目。多くの学校におやじの会を作り、父親の子育てにもっと積極的に参加せきるようにしようと微力ながら取り組んで来ている。共鳴する方も次第に増えて、ついに最近もおやじ日本広島を立ち上げてくれた。そこに参加したおやじの会の若い父親から、「離婚が増えて子供たちが苦しんでいます。思いあまって私にポソットなぜこんなことになったのかとつぶやいた子もいます」といわれて、やっぱりなと思うと同時に、「あなたはよいことしたね。誰か話を聞いてくれれば少し落ち着ける」としばし話し合った。それにしても、秋葉原無差別殺人事件のような、多数の無関係な人々を殺傷するといった事件が当たり前になってしまったような今という時代。私は、長く、警察や東京都で、犯罪や青少年問題に携わってきたが、社会の奥底から搾りだされてくるような数々の事件に暗澹たる思いを重ねてきた。池田小事件など理解不能な動機による凶悪事件の多発、児童売春事件、児童虐待事件、ストーカー事件等が深刻化した。これらは、平成七年頃から発現し、今に続くこれまでにない現象だ。これらの事件が象徴するのは、この国の社会的病理、しかも症状はかなり重い。自殺者が急増し、三万人をこえたのも平成十年、離婚率の急増。景気の低迷や、政治の不安定。社会も苦しんでいる。こんな中で育つ子供は災難だ。現に、若者の社会的不適合が広がり、ひきこもり、二―トといったといった言葉が定着してしまった。フリーターが急増し、外国に行きたがらない若者が増えたこと等。子供たちの不登校問題の深刻化、学力、体力の低下・・・・・。
子供たちを育てることに関しては、私たち世代の大人社会にも反省することがあるように思う。というのも、このような社会病理が次々と明らかにきたのに、この間の大人社会は、あまり強い危険感を持たず、たいした手当をしなかったばかりか、無意識のうちとはいえ問題を深刻化させることに手を貸してきたといってよいからだ。早い話が、携帯電話が子供たちをメール中毒にし、出会い系サイトが児童買春の被害の温床だというのに、仲間外れになってはかわいそうだからと安からぬ通信費を払ってそれを買い与えてきた親たち。表現の自由や通信の自由を盾に重い腰をなかなか上げようとしなかった大人社会。子供たちの深夜徘徊も度を越していた。子供を信じているともっともらしい理屈をつけて、子供たちとの争いを避けた親も親だが、カラオケや漫画喫茶で寝泊りする子供たちを見過ごしてきた大人も大人だ。学校教育とて、こんな時代に生きていくたくましい子どもを育てることに懸命だったとは思えない。ゆとり教育は、学校週五日制を取り入れ、子供を家庭と地域で育てようとしたが、その家庭や地域が劣化を続け、子どもたちを情報の洪水とゲームの誘惑が襲ったことから目をそらしていたのだ。現に、その目的を達し得、逆に危険深まったではないか。大人社会、総体としてその間、いつか必ず国はよくなる。そこそこ反映は取り戻せると高を括っていたのだろう。そんな大人社会の錯覚が、子どもたちに伝わり、大人として生きていく現実社会の厳しさを見誤らせることになったという側面は否めないと思う。私たちはこれまでの過ちをまず自己批判した上で、一人前の大人に子どもたちを育てるための具体的な行動を起こす責任がある。冒頭のおやじの会の若い父親の役割を、大人たちは担わなければならない。
                             「文芸春秋11月号より」

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