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はるにわ日記

古民家再生の記録、薪ストーブ、子供との戯れ、大好きなバイクと英国旧車のこと、サッカー、カフェ。徒然なるままに・・・・。

100均グッズでコーヒー焙煎機を作りました3

2019年02月17日 21時17分04秒 | コーヒー

改良版です。

まず、バイク屋さんんでスポークをもらってきたので、中学生時代の大事なブラックエンジェル・スポークは他にいろいろな用途で使用するので(けっこう便利なんです)外して、もらってきたスポークで組み立て直します。

ただ新しいスポークは、小径自転車のものなのか、ちょっと短い・・・

まぁどのみち2本は組み合わせないといけないので問題無し。

軸が真っ直ぐなので、ザルとかっちり固定できず、軸を回してもザルがついてきません。

先を90度曲げてザルに固定したうえで回すのですが、そうすると今度軸にならないので、軸と回転させるためのクランクの2本を組み合わせて作りました。

 

スポークを固定するときは、網に負担がかからないようにザルの骨に針金で固定。

長さの決めや、固定する場所などなんだかんだでけっこう時間がかかりましたが、完成です。

クルクル回す取っ手(クランク)の部分が、ともするとスコーンと網の目からすり抜けて落ちてしまう。

なので、余った番線でスムーズに回るように、金具を作ってみました。

クランクの持ち手が上に行ったとき、網目からクランクの角の部分が落ちないように、それからクランクが網と接触してガシャガシャしないように

変わった形状ですが、勘と偶然の産物です。
が、後からいろいろ作ってみた中でも、最初に製作したこいつの出来が一番よかったのでした

この針金の弧に沿ってクランクがスムーズに回転します。

この弧に沿ってずり上がる時に、金具がガタンと動きます。
この動きがまた。。。

 

金具の先(写真の右下の方)は、90度曲げられて、網に刺さっています。

ガタンと金具が動くと、この先が振り子のようにひょこっと動き、でも90度曲げられた先の部分は十分に長いので、網から抜けたりはしません。
回すと、カチャンカチャンと機械仕掛けのおもちゃのように金具が動くので、かなり面白い

 

ただこれ、知恵の輪みたいになっていて、恥ずかしながら、ちゃんとうまくハメるのにかなり時間を要します・・・

もっと単純化できるのでは? うん出来そうな気がします。

そこで、無い知恵を振り絞り、いろいろ作ってみました。
できるだけシンプルに、無駄のない形状で、しかも動きはスムーズ、を、目指します

 

これはちょっと動きがぎこちない。

こちらはさらにシンプルとなり、ただこの写真の状態から上に上がる時に引っかかりがあるので。。。

ちょっと改良を加えて、このようになりました。

でもやっぱり、一番最初に直感で作ったアレが、最良の出来になります 

さあ、これでコーヒーを焙煎してみましょうかねぇ。。。


「親の死に目に会えない」とは

2019年02月17日 02時24分09秒 | つぶやき

先日、母親が亡くなりました。

意外と落ち着いています。

涙も出ませんでした。

悲しいという感覚も無く、淡々と通夜、告別式を終え、いろいろ片付けて、今家に帰ってきています。

不思議ですね、もう少し感情的になってもいいのに、と思うのですが・・・

 

母は58歳の時に脳溢血で倒れて、それ以来寝たきりでした。

左半身は動かず、右半身も動きますがコントロールは出来ないので、何一つ自分ではできず、言葉も不自由で、何を話しているかは家族以外はほとんど理解不能だったのではないでしょうか。

20年くらいはずっと自宅療養で、父親がひとりで面倒をみていましたので、毎週バイクでツーリングがてら帰省していました。

が、4~5年前でしょうか、父親の体がもたないということで、施設に入ってからは、「マザコンと思われる」「暴走族と思われる」「うらやましがられる」とかいう理由でそんな頻繁に来るな、と言われて、徐々に減らし、最近はもう月に一度くらい。

倒れて寝たきりになってから四半世紀、毎日毎日寝たまま何もできない日を過ごして、それでもボケもせず、行けば不自由な口でお説教を垂れる母でしたが、肺炎にかかって入院し、朝の6時に一人で息を引き取りました。

亡くなる4日前に会った時は、酸素マスクを着けて苦しそうでした。

昨年も同じ病気で入院したので、ボク自身はあまり心配してなかったのですが、自家焙煎機を作った話をして、今度のお盆に実家に帰ってきたときに美味しいコーヒーを淹れたるわ、と言ったら

「もうええわ」

と。

そのときは「なんで?」と思っただけですが、本人はもしかしたら死期を悟っていたのかもしれません。

いずれにせよ、ボクは、もう動かない母を前にしても、何も感じず、心の動揺も無く、悲しみも寂しさも同情も後悔も何も無く、ただ呼吸でお腹が動いたような気がするほど生きているような母の前に座っていました。

なぜこんな風なのか、ホントによく分かりません。

 

唯一動揺したのが、骨上げの時です。

火葬場で焼かれて骨になって出てきたとき、吐き気がして倒れそうになりました。

係の方の「こちらが足の骨、腰の骨、、、これが頭蓋骨です」という解説で、言いようもない激しい怒りがこみあげてきました。

なんでこんな恐ろしいひどいことをするのか、分からなかったのです。

遺体を焼いて、遺族に骨を拾わせる。。。

今思い出しても頭が痛くなります。

これは、

「遺体を見ても何も感じないのは、魂が無い以上これはもう母ではないから」

なのだと思っていたのと、矛盾します。

よく分かりません。

この後悲しみが襲ってくるのでしょうか。

でも、最も悲しい瞬間は過ぎたのではないでしょうか。

あとは忘れていくだけ?

 

「お風呂のあとに爪を切ると親の死に目に会えない」

と、言います(少なくてもウチの地方では)。

これまで切らないようにしていました。

が、特に親の死に目に会わないといけない気がしていたわけでもありません。

ただ会えた方が良いな、と思っていただけです。

今も会えなかったからどう、ということは自分としてはありません。

でも、思い違いをしていました。

親の死に目に会いたいのは自分ではありませんでした。

誰しも最後の瞬間には特別な事情が無い限り一人で逝きたいわけはなく、子供が出来て分かることかもしれませんが、特に親であれば最後にはまず子供に会いたいのだと思います。

親の死に目に会えないとは、そんな親を寂しく死なせてしまう、ということ。

子がそんな親不孝をしないように、そしてそれで後悔しないように、子は親の死に目に会わないといけないのです。

そうなのでした、勘違いしてました。

息を引き取ったのは早朝で、近くに住む兄も間に合わなかったそうなので、どうしようも無いのですが、もう少し何かに気を付けていれば、結果は変わっていたのでしょうか。

 

今、心の中に虚無感のようなものが生まれている気がしますが、とてもかすかなものです。

もしかしたら、これからこれがどんどん大きくなっていくのかもしれません。

それはそれで無条件に受け入れることにします。

あとはただ母の冥福を祈るだけです