私にはもう一つ以上のブログがあります。同級会の席上で披露すると「そんなこと覚えていられるものだ」と言われますが、もう一つ以上の情報をかませています。
先生が赴任して間もない秋の休日を利用して村探訪の意味で桐山地区へ遠足が行われた。もちろん,有志だけの参加であり、豆だか、小豆、蕎麦の収穫期だったと思われる。男子は健次郎、私、豊、三男、英雄、他にもいたと思うが、女子は夏子、佐代子、清子、美喜子、或いはまき子、後不明である。ちぇチャンや良子がいたかもしれない。
学校を出発して、上野の現在村の診療所の在る付近から馬曲に下り、川手という地名のところで、直忠の家や法蔵寺のほうへ行く道と分かれて、「この道を行けば直忠のだ。」「四年の時に遠足で北畠分校へ行っている。」「猫が、経を読んだという伝説の伝わっているお寺がある。」「法蔵寺というのだ。」「それよりお前、伝説の詳しい内容を知っている。」「四年のときに説明されたけれど忘れてしまった。」と話しながら、沢の宮の小川神社ところで休憩して、大きな杉の木を見ながらから、英雄や三男は手を伸ばしてその杉に抱きつくなどの方法で木の周りを測ったと記憶しているのだが確証はない。誰かが「先生二人で手を繋いでどのくらいまであつた。」と報告していたようだが、ここからは急な坂を登り桐山分校についた。
後で先生の話によると先生の恩師がどうも桐山出身だったらしいのである。また、余談として付け加えておくならば、この分校の出身者は我々のクラスにはいなかった。昼食をとり少々遊び、かえりは尾根の細い道をアルプスの眺望を楽しみながら、その美しさに感嘆の声をあげているものもいた。
普段見慣れている風景でも自分の位置を変えればこんなにも豊かな光景を手に入れることが出来るのである。「この道も戦国時代の作戦上開拓された道なのだろう。」「歴史的には川中島の戦いの頃か。」「どんな格好で歩いたのだろうか。」「鎧兜などを身につけていたのだろうか。」「鎧は重いだろうなぁ。」「だけど馬が通るにはちょっと細すぎないか。」「こんなに木の枝が出ているなら槍を持った人は大変だったと思うなぁ。」「そういう時はちゃんと枝や下草は刈られているのだわ。」戦国時代にタイムスリップしたかのような感想を口々にしていた。
女子はなんかの歌を歌ったものと思われるが、どんな歌だったのかは記憶していない。輪唱のもみじの歌だったかも知れない。そんな歌を歌いたくなる雰囲気の季節であるような気がしているだけである。しばらく、アルプスの眺望や雑談などをしながら尾根つたいに歩くと馬曲城址跡に出た。
そこでしばらく休憩した後、畑の中の細い道を駆け下りた。駆け下りなくても自然に足が速くなるくらい急勾配であった。豊かだか英雄がつまずいて畑の中に頭から突っ込んでしまったと思うが、健次郎だったかも知れない。・・・、その頃は城址の直ぐ下のところまで耕されていて、この村の勤勉さをうかがい知るものであった。
実はこのことも忘れないものにするためのある方策を講じてあるが、一緒に行った人で何か気が付いた人がいたら一報下さればと思います。(参考文献、面白中学の三年間とその後)
公表しましょう。実は私たちのクラスじゃない。厳密には三年生が一人このレクレーションに参加していたことです。
先生が赴任して間もない秋の休日を利用して村探訪の意味で桐山地区へ遠足が行われた。もちろん,有志だけの参加であり、豆だか、小豆、蕎麦の収穫期だったと思われる。男子は健次郎、私、豊、三男、英雄、他にもいたと思うが、女子は夏子、佐代子、清子、美喜子、或いはまき子、後不明である。ちぇチャンや良子がいたかもしれない。
学校を出発して、上野の現在村の診療所の在る付近から馬曲に下り、川手という地名のところで、直忠の家や法蔵寺のほうへ行く道と分かれて、「この道を行けば直忠のだ。」「四年の時に遠足で北畠分校へ行っている。」「猫が、経を読んだという伝説の伝わっているお寺がある。」「法蔵寺というのだ。」「それよりお前、伝説の詳しい内容を知っている。」「四年のときに説明されたけれど忘れてしまった。」と話しながら、沢の宮の小川神社ところで休憩して、大きな杉の木を見ながらから、英雄や三男は手を伸ばしてその杉に抱きつくなどの方法で木の周りを測ったと記憶しているのだが確証はない。誰かが「先生二人で手を繋いでどのくらいまであつた。」と報告していたようだが、ここからは急な坂を登り桐山分校についた。
後で先生の話によると先生の恩師がどうも桐山出身だったらしいのである。また、余談として付け加えておくならば、この分校の出身者は我々のクラスにはいなかった。昼食をとり少々遊び、かえりは尾根の細い道をアルプスの眺望を楽しみながら、その美しさに感嘆の声をあげているものもいた。
普段見慣れている風景でも自分の位置を変えればこんなにも豊かな光景を手に入れることが出来るのである。「この道も戦国時代の作戦上開拓された道なのだろう。」「歴史的には川中島の戦いの頃か。」「どんな格好で歩いたのだろうか。」「鎧兜などを身につけていたのだろうか。」「鎧は重いだろうなぁ。」「だけど馬が通るにはちょっと細すぎないか。」「こんなに木の枝が出ているなら槍を持った人は大変だったと思うなぁ。」「そういう時はちゃんと枝や下草は刈られているのだわ。」戦国時代にタイムスリップしたかのような感想を口々にしていた。
女子はなんかの歌を歌ったものと思われるが、どんな歌だったのかは記憶していない。輪唱のもみじの歌だったかも知れない。そんな歌を歌いたくなる雰囲気の季節であるような気がしているだけである。しばらく、アルプスの眺望や雑談などをしながら尾根つたいに歩くと馬曲城址跡に出た。
そこでしばらく休憩した後、畑の中の細い道を駆け下りた。駆け下りなくても自然に足が速くなるくらい急勾配であった。豊かだか英雄がつまずいて畑の中に頭から突っ込んでしまったと思うが、健次郎だったかも知れない。・・・、その頃は城址の直ぐ下のところまで耕されていて、この村の勤勉さをうかがい知るものであった。
実はこのことも忘れないものにするためのある方策を講じてあるが、一緒に行った人で何か気が付いた人がいたら一報下さればと思います。(参考文献、面白中学の三年間とその後)
公表しましょう。実は私たちのクラスじゃない。厳密には三年生が一人このレクレーションに参加していたことです。
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