現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

ある社長さんの嘆き

2009-06-04 08:37:25 | 研究とニーズの乖離現象

(ゲーテのファウストの嘆きに似てはいないか。)

 「大学と産学官の連携事業で研究して特許をとったけれど、売れて何ぼのものだ。」といっている社長さんに会った。確かに、時間や、労力、お金をかけて研究した成果が特許になって、商品化して普及しているが,消費者の意識レベルはまだ、そこまで行っていないのだ。レベル2の段階とレベル5の段階ではおのずと心理的な温度差(ボルテージ)が発生する。その商品における生産者と消費者の心理的乖離現象が発生している。

ここにもコミュニケーションの難しさがある。資本論の商品の項の命がけの飛躍の記述が思い出される。市場において消費者の厳しい選択に会うということである。特許にしてもその全部が売れるという保証は何処にもない。特許にしなくてもお客のほしいものは如何してもほしいものである。

さまざまな商品がある中で消費者に受け入れられいっぱい売れているものは恐らくその素材の大部分が皆さんに認識されているものから作られている。消費者にすれば「よいことはわかるのだけれど、まだ、そんな状況ではない。」とか「頭では理解できるけれど、行動を起すまでにはなっていない。」ということかもしれない。

このような現象に突き当たった時、ある経営者はそこへ行き着くために迂回生産方式を採用して乗り切った人もいないことはないが、新たな投資が必要になってしまいかねない。研究所や研究者にもここに突き当たることが起きてくる。

本当は、専門的なことは噛み砕いて、或いは、言い換えてわかりやすく伝えていかなければならないはずであるが、なかなかそのように表現している人は少ないような気がする。ファウストの「ああ、オレは哲学も、法学も、医学も、よせばよいのに神学まで熱心に研究し尽くした。その挙句が、こんな哀れな愚か者だ。少しもえらくなっていない。そして、俺たちは何も知りえていない。ということを悟った。」

彼の時代はまだ、こんな広い範囲で教養を積むことが可能であったのかも知れない。現代に至ってはおよそ、そんなに広い範囲では研究が不可能である。医学一つとってもさまざまな領域がありその全部を知りうる環境にはないのである。【知識の増加がある時点から加速度的に増加してしまっているということである。バビロンの石の図書館宜しく、建物の建設が追いつかず石に記録された知識が野積みされたような状況が時代こそ違うものの現代の知識を取り巻く環境である。現に博士号を持っている人たちが研究や教職につけなくて36万人もいてパートなどをしながら生計を立てていると言う特集が組まれたことがある。】

研究室でも実際、多くの人が何を望んでいるのかということはなかなか知りえない状況になっている。前出の『非まじめのすすめ』の中でも、「波が高くても、けして沈まない船を作れ。」という研究テーマが与えられていたにもかかわらず、良い発想が生まれなくて研究所を飛び出した人が、何気なく土手で思い巡らしていると彼の目に飛び込んできたのは魚釣りをしている少年であり、さおの先で揺れている浮きの構造であった。研究員の「これだ。」という声が聞こえてきそうな雰囲気を想像してみてください。

実際、フィリップ研究所の船は観測地点に行けば、船に水を入れることで立ち上がった状態になり、過酷な環境においても浮きの構造で安定している。其れはそうだ、三分の一くらいに水を入れて既に沈んでいる構造に成っているではないか。研究室で数字や、船の設計図や構造を眺めていたのでは生まれえなかった発想である。案外大きな波が来ても倒れないヨットの構造を知っていた人はそこまで行きつけたのかも知れないが、研究所にいただけでは到底達成されない成果である。技術者や研究者が現場に足を運ぶ意味を感じ取っていただきたいものである。

野外科学方法論のような、現場学の知恵が求められているといえる。特に、政策決定や商品開発、共同事業の計画立案に携わる人には大切な資質ではないかと考えられる。何処に似たような情報や、試みをしているか探すことも課題を解決する一つの方法である。

アイシタインほどの力があれば実験室はいらない可能性がある。彼の理論の多くはペーパー上で構築されたものだという言い伝えがある。現在でも、いくつかはパソコン上で発明や発見が起きるらしいが、多くのものは現場及び実験室である。(コンダクターさえしっかりしていれば、参照)。発想とイメージが出来上がってしまえば残された課題は小さなパーツをそれに対応できるようにするだけである。

何よりも必要なことの多くは人間の側にあるといえなくもない。誰もが陥りやすい心の廻旋からどのように抜け出すのかというきつい命題が突きつけられているのである。

注 丸山真男氏の

to be or not to be

  (生きるべきか、死すべきかをハムレット的命題。)

  to do or not to do

  (するか、しないか。関わるか、関わらないか。ファウスト的命題という図式

     に仕立ててあります。適切であるかは疑問であるけれど、・・・・。)

   【参考文献、ゲーテ ファウスト】

   【参考文献、非まじめのすすめ 森政弘著 講談社刊】