現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

克己心

2011-08-29 20:01:01 | インポート

友人から電話をいただいた。研究会の仲間である。「おまえさんの、いくつかのブログを覗かせてもらった」というのだ。

「相当、アクセスがあるのか」と聞いてきた。「それほどじゃないけれど、多くて、300くらいじゃないかなぁ」「ブログランキングとかにエントリーしているのか」「いいや、人と競争してまですることじゃないと割り切っている」「そうか、宣伝にはなると想うけれどなぁ」

「少々、受けの良くない事まで投稿している事になる」「それって、ポピュリズムとか言うことか」「ときには、とんでもない事まで書いている。抽象的に表現しているので良いけれど、・・・・・。」

「一人の人が、最初から、最後まで、本のように読んでもらえれば、本望だけれど、・・・。」「電子書籍でも先取りしているような物言いだ?」と聞かれた。

「幾つものブログがあるけれど、他の人と競争している訳じゃない。自分のいくつかのブログと競争しているのだ。」


高校生レストランを手がけたのは

2011-08-23 21:10:40 | インポート

新たな町おこしのモデルにはなるでしょう。テレビで放送された高校生レストランを仕掛けたのは一人の町役場の職員だった。

新しい形の地域起こしのモデルにはなる。トータルプランナー的な発想が要求される。

それを高校生が担当することで話題作りになる。もちろん、映像の中に彼の考え方も反映している。もう一度見直していただきたい。

指導者の人選、素材の吟味、農家等の協力。どれ一つかけても完成はしないでしょう。少々の右よう曲折は織り込み済みだったのだろう。

試行錯誤しながら落ち着くべきところに落ち着くという事だが、・・・・・。求められているのはこの種の発想でしょう。

この国(信濃の国)には豊かな素材がいっぱい転がっています。一般食品であろうが、スイーツであろうが新たな創造は限りなくある。

どうやって、コンセンサスに近づけるのかというシステムが不足しているだけだ。役場とか、県の商工部とか。商工会議所とか、いくつかのグルーブでそのきっかけをつけるだけで良さそうだ。

折しも、サイトウキネン  フェステイバルが開催されている。一つ一つの楽器がいくつも重なり合って初めてあのすばらしいハーモニーを奏でるような状況を作り出すことでしょう。

アイデアと試作と宣伝と販売が、そして、商品が新しい関係性を高めなくてはなりません。

何よりも、高校生レストランを参考にしていただけますか。


カリスマ翁は借家の住人だったけれど、・・・?

2011-08-14 19:43:00 | インポート

森本哲郎氏カリスマ翁は借家の住人だったけれど(参考文献、氏の「人間への遙かなる旅」・・・・・。)

人は皆、借家の住人ではないでしょうか。

しっかり、読まれることをおすすめします。

どこか、「成功聖書」(参考文献、PGM)に通じるところがある。(ナポレオン・ヒルの「成功哲学」ではありませんが、共通項で括れるかも、・・・・・・・・。)


勝手ごりー

2011-08-06 13:10:58 | インポート

本当はカテゴリーのことですが、私的には「勝手ごりー」ということになる。「垣根の垣根の曲がり角」という童謡がある。カテゴリーを垣根というなら、私には垣根がないということだ。

「おやき」という範疇だから「おやき」の領域でしか提案していませんけれど、多くの含みを含んでいます。つまり、「おやき」にこだわっていないといえます。

味噌を具材に混ぜるおやきにおいて、その味噌に酒粕と鰹節を添加することで、いままでおよそ具材になりそうもないものまで利用できることになります。

その一つが、キュウリやズッキイニーでしょう。「冷製おやき」となり、冷やして食べる夏場のおやきだ。我がでは「夏色のおやき」と命名しています。「急、カバーおやき」でも良さそうです。なんと言ってもキュウリを使っている。そして、熱中症等を予防しうるはずだ。

なんと言っても、味噌にかすと鰹節を混ぜただけでも新規の液味噌にはなる。それなりの素材を添加すればドレッシングにもなる。粕や補助的に添加するものによっては特定保健用食品の指定がとれそうだけれど、・・・。ちょっと、高価になる。

添加するものによって機能がちがってくるのだ。シンドロームさえ解決する配合の仕方さえあるでしょう。

次の言葉を引用しておきましょう。「長寿社会と言われているけれど、肉よりも野菜、肉よりも大豆。薬よりも食品で達成される社会がベターではなかろうか」そして、付け加えさせていただけるなら。病院で管につながれた長寿ではなく、ppkが理想なれど、・・・・。

実際、お婆ちゃんの認知症に対応するために添加したものがある。そして、自然素材だけでそれが達成できるかもしれないのです。

これを勝手ごリーと表現しているのです。つまり、いたって、主観的な判断で分類していると言うことだ。