現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

瞑想の館を自己の内部に築くこと

2009-03-25 15:01:51 | コミュニケーション

瞑想してみるという心の作業について

 【秋の夜はビール片手に会いに行くもう独りいる自分の心に】

 この歌の雰囲気だけ理解していただきたい。缶ビール一つを持って心の中を旅することこそ、もう独りの自分とコミュ二ケーションすることは一人ブレーンストーミングの真髄である。

 実は立体思考とは本来の立場以外に所に自分を置いてみて、そこから見える風景や、人々の立場にたって見るさまざまな事柄であるといえる。富士山でも、アルプスでも見る方向が違えば異なった印象を受けるものである。【幼い頃、あこがれたアルプスの向こう側から見た世界。】

 ゾウをなでた盲目の人の話はゾウの一部分であり、それを総合する作業が必要である。総合や分解してみるという作業を自己の内部に瞑想という形で持ち込むことによって、総括と創造と次のステップの為に良い影響を与えてくれるものである。

 社会のさまざまな分野が饒舌で埋め尽くされて仕舞った現代の時間の片隅に、静寂に包まれた心のための時間紀行(タイムトラベル)を、多くの子供たちにそれが理解できる年齢になった時に瞑想してみるという心の作業を、教えなければならないと感じているのは私だけではないはずである。

 かなり若い頃、あるスポーツ選手に座禅を組ませることで、スランプを克服させた監督の話を聞いた事がある。瞑想と座禅は心の状態において少々の隔たりがあると考えている。座禅は無我の領域のものであり、瞑想は完全には無我でなくても良いのかも知れない。詳しいことはどういう心の状態を言っているのかよく理解できないが、その辺はイメージでよかろう。

 瞑想の中にはおそらくいろいろな立場に立っている自我が存在しているのかも知れない。だが、自我の領域を超えた部分も含む可能性もある。その状態を没我と言うことも出来そうであるがちょっと違和感が残る。

 いずれにせよ、さまざまな情報をクロスさせるには良いことである。書斎並びに事務所及び駐車場の余りのスペースにそのための場所を用意した。商品、素材、理論、実験及び試作品などのさまざまな情報同士がスパークし合うということになる。研究会に参加することや、議論するという意味もまたここにある。

 二人以上の頭脳のハーモニー効果が生まれてくるといえる。情報をクリエイテブに変えうる心の作業がこの瞑想してみるということの中にあるのではないでしようか。

注 ブレーンストーミングとは、新製品の開発の会議において相手の提案を批判するのではなく、私だったらこうする、ここをこのように改善すれば利用範囲が広がるとか、効果が上がるという建設的な意見を出し合う会議のあり方。オズボーン博士の提唱。

  【参考文献、ものの見方について 笠 信太郎著 角川書店】

 


成り立たない会話

2009-02-17 08:53:56 | コミュニケーション

 私の知り合いは結婚斡旋を生業としている。「66歳になるので年金をいただきながら人々の役に立つ仕事をしているのだ.」と言っていた。何年間かあっていなかったが久しぶりに訪ねてきた。旧知の何人かで酒を酌み交わした。その中で彼が言うには「お見合いの段取りをして会わせたことは会わせたのだが、二時間一言も話をしないで分かれてきてしまった。」「これには驚かされた。」と言い出した。「恋愛離れ、結婚離れは起きていることは知っていたが、そこまで来ているのか。」と実感させられる出来事である。

私たちの多くは団塊世代の前半とその少し前の人たちである。「話の材料なんていくらでもありそうなものだけれど、・・・・。」ともう一人が言い出した。「若者たちはコミニケィションが下手になっている。テレビを通じて物事を理解している部分があって、豊かな原体験が不足しているのではなかろうか。感動的な原体験が少ないのかもしれない。」と言うやり取りになった。

「趣味と言うものも持っていない人がいるらしいぞ。」「漫画を読んだだけでも話題にはなりそうなものだが、どうも人種が違うのかもしれない。」断絶の時代はいよいよ表面に現れてきたような気がしてきた。

「めんどうくさいことを避けているのではないか。と新聞で報道していたことがある。」「彼らにとっては結婚も、恋愛も面倒くさいらしいぞ。」と切り出すと、「全部の人ではないけれど、何人かそういう人を見てきた。」「結婚も子育てもしなくなればますます少子化に拍車がかかってしまう。」と話している。新しい価値感を持った若者たちとどう向き合えばよいのかわからなくなっているのかもしれない。


聞く耳を持つと言うこと

2009-02-03 11:53:54 | コミュニケーション

「面白中学の三年間とその後より 」                                                                                           

 これは学校の先生から教わったことではない。あるとき、「お前、顔のイラストを描いてみろ。」といわれたので描いた。「目は二つあって、耳も二つあるが、口は一つしかない。」そんなこと言われなくても分かっていると思っていたら、「この比率を良く覚えておけ。」と来るではないか、「目は物事を良く見るためのもので、耳は良く聞く為のものである。口はコミニケィーションで自分の考え方を主張するものである。」と続ける。「唇よ熱く君を語れ。】と言うコマーシャルフレーズを思い出した。

「人の言うことや、やっていることをよく見聞きすることだ。百聞は一見にしかずというけれど、百聞も一見も大事なことである。」「人が何を言っているのか注意深く聞け、そしてそのとき、一切先入観をさしはさむな、分からないことだけ質問しろ。しつこいくらいに聞き出せ。」(場合によっては批判するな。)と言い出した。

学びの姿勢に通じるところがあると思っていた。「いったん、彼の主張を全部受け入れて、後でそのことを吟味して、あの考え方は採用できる。俺だったらこうする。ここを変えればもっと良いものになるというときに自分の考えや色を付け加えれば良いではないか。そのように振舞ってもお前さんのプライドが少しも傷つかない。」「難しく言えば、弁証法的な考え方だが、案外、いろんなものが見えてくるものだ。」アウフへーベンということなのかもしれない。「本当に理解しようと思ったらそういう手続きが要るはずだ。」深く掘り下げて再度自分流に構築しなおすと言う手続きである。

「多くの人はこの作業ができないために、失敗やらお金だけではないけれど何らかの利益をみすみす逃してしまうのだ。」(事実、人の言うことを聞かなかったために売れない商品を作ってしまった友人や会社を見てきた。アドバイスを求めてきている人たちでさえそのような間違いを犯してしまうことになる。変な欲や先入観にとらわれているのだろう。

中にはすばらしいセンスを持った人もいる。「人を見る目を養うこと」「イソップ物語、知恵の量」「知恵袋、」参照)「自分たちのことではないと思っているのかも知れないぞ。そういう人は感性が欠如しているのだ。課題を見つける能力ということになる。」「なるほど、良いことを言っている。」と納得するしだいである。

このことを生涯貫いてきたが、多くの人たちは何かの申し出があったら自分の先入観や知識、今までの経験などで反論したくなる。「そんなことをいったって現実はこうである。」「この状況をよく考えてみて欲しい。」「私のすることではなさそうだ。」自分の知識や地位などを披露したくなってしまうのだろう。する、しないは先様の判断することである。

この傾向はメーカーの営業マンに多い。自分は会社の看板を背負っているということに気が付いていないのである。反対から言えば、背負っているから制約があるのだろう。個人の名前でいろんなことを成し遂げてみていただきたい。三分の一も達成できないことになるだろう。

聞く耳を持つと言うことは、素材でも商品でも同じこと言える。素材と真剣に向き合っていると「なんと一緒に配合してくれ。この比率がベターだけれど、味が調わなければ何を追加してくれ。」

商品の場合は「誰のところに嫁入りしたいか。どこの問屋さんに、どこの地域に、直売で、通信販売で」訴えてくるものである。この訴えの分からない商品や素材はそれほど売れないということになる。

だいぶ後になってブレーンストーミングには欠かせない手法だということを知ったしだいである。そして長い間、メーカーの持ってくる商品を一人ブレーンストーミングという手法で吟味させていただいてきた。仕入れて売るということはその後判断すればよいということになる。

そんなわけでメーカーの申し出に対して即決したということはないが、自らが欲しいものはこの限りではない。この経験が特許や商品作りに生かされている。コンセプトといわれていることが極自然な形で出来上がっていたことになる。権利に成っている、いないに関わらず商品化してきたものは10種類以上ある。現在、継続販売されているものは半分しかない。時代とともに役割が終わったものと判断している。

  注 ブレーンストーミング。アイデア会議においてアイデアを批判するのではなくこうすればよりよいものになるとか。高次のアイデアを導き出すための会議の手法でオズボーン博士の提唱したものである。

  【ここに耳のある顔と耳の無い顔のイラストを入れる。】