現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

「なぁ。ミメテックスて何のこと」と聞いてきた人がいましたので、・・・。

2022-05-18 18:32:23 | 学問

「生体模倣または生体模写」と訳されているはずだが、厳密にいえばミメテックスの前にバイオがつくかもしれない。平たく言えば、見た目を真似てみるということになりそうだけど、詳しいことはウイキュペデアやネット検索してみることだな」テクニカルタームを理解することで学びの取っ掛かりにはなる。

 「現代技術の多くがこのことで成り立っていると思われる。たとえば、新幹線のノズルが長くなっているのはカワセミを真似たともいわれているじゃないのかな」


無知と言う罪

2009-04-27 11:28:57 | 学問

 「知らなかった。」ということで何らかの罪を逃れようとしている人たちがいる。本当に知らなかったのだろうか。知りえる立場にいたはずであるが、どうなっているのだろうか。多くの法律、例えば道路交通法においてすら「知らなかった。」は通らないはずである。

若い頃、仕事で車を動かさなければならず何回か違反切符を切られた。以前進入禁止ではない道路だったので何の疑いも無く入ってしまったこともある。「いつから進入禁止になったのですか。」と聞くとつい一週間前にそのようになったらしい。後で確認すると確かにその標識はあった。見落としてしまっていたということであるが、罪は罪である。

また、地元のスーパ―に商品を納品する際、解かっていて反対駐車をしたことがある。そこは非常に狭い道でそのまま駐車をしてしまうと他の車の往来を極端に妨げてしまうので、反対駐車、進路方向の逆に駐車することで往来がスムースに行くことになる。

婦人警官に道路交通法違反で切符を切られそうになった。「本当に交通違反ですか。」と聞いた。「如何しても反対駐車だと言い張る。」「違反切符を切っても違反金は払いませんょ。」というと怪訝な顔をし始めた。「違反は違反だ。」と言い張るので「この状態であなただったらどのように駐車しますか。」ときいてみた。「如何しても、進路方向に止めてください。」というので、車を動かして見せることにした。そしてそのように止めたら「あ、」といっただけで黙ってしまった。都合よく、他の車が来た。道路をふさいでしまって通行できない状態になってしまうということがようやく理解できたらしい。「道路交通法の前文になんと記載されていますか。」と聞いてみた。

条文にだけ囚われていて大切な事を見落としていると言える。(前文にはこの法律の趣旨と目的が記載されているはずである。この法律は、交通が円滑に行く為の云々ということである。)この場合ですら、知らなかったでは通らないのである。たまたま、私がその事を知っていたので、違反切符を切られずに済んだということである。

「か。」といって、人間が生活している全部を知りえる環境にはない。全知全能の神はそこまで人間に知恵を付与してはくれなかったのである。生活の多くの分野で知らなかったでは済まされないことがある。ところが、平然と、「私は知らなかった。」と言ってはばからない人たちがいる。裁判などでは「人に強要されたのでそのように言ってしまいました。」と言って前言を簡単に翻してみせる。なんという世の中になってしまったのだろう。戦前の拷問による自白ならいざ知らず、権利が認められている時代にあって尚、このようなことが簡単に起こってしまう。

捜査する側にも問題があるらしい。長時間の取調べや権力を行使する側の自重を期待するしかなさそうであるが、権利という考え方がそのようにさせているのだろうか。知らなければならないことは聞く事で解決が付く、努力するという対価を払わなければならないが、・・・・。

特許においては知らなくて出願してしまえば出願費用が無駄になる。権利化されていることを知らなくて作って売ってしまえば特許侵害になってしまう。出願する前に先行技術調査を確りしなければならないことになるのと同じではなかろうか。


ピーターの法則

2009-02-06 11:09:53 | 学問

生涯学習の理論的なバックボーン

 かなり若いころ、高校時代であったかもしれない。「ピーターの法則」ということを知る機会があった。友人の影響かもしれない。「今は何とも言えないけれど、この本を読んでおくょうに」と差し出されたものである。すっかり読んでしまったので彼に返して自分用に一冊かって置いた。

 今でも時々、彼の顔は夢に出てくる。同級会などの案内も来ているがなかなかタイミングが合わないのでしばらく会っていない状態であるが、元気で頑張っているものと推測している。

 何のことかというと「階層社会において絶えず学び続けなければ無能レベルに限りなく近づくということらしい。」多くの人が、学校を卒業してしまえば、机に向かって学ぶという行為を止めてしまう。卒業と同時に多くの学んだこと、日常生活に対して影響のないものを返品してしまうということが起こる。「自分だけはそのようなことのないようにしよう。」という決意とともに・・・・・。

この決意の最大のメリットは専門的な事を優しい言葉に置き換えなければならないことである。その全部をするには時間的に問題があるが、関心のあるものだけはそのようにしてきた。そうすると、何年も忘れずにいることが出来るのである。如何しても使用しなければならないときは言い換えて説明するようにしている。

もちろん机なんかいらないのだが、日常生活の中でその時々の課題を見つけて解決するという方法でも、なかなか学びのチャンスはないと考えられる。多くの会社の現場ではまだ、作業と習練ということを主眼においている所が多い。それも大事なことであるけれど、仕事の現場がクリェィテブな環境になっていないこともある。

最近、この反省から一人の人が一つの製品を全部組み立てるなどの改善が見られるが、多くの現場はライン生産である。

この点、女性のほうが人生のおのおのの機会に学びのチャンスはあるのかもしれない。家庭のこと、子供のこと、健康のこと、台所や料理のこと、地域社会のこと、趣味のことなどなど問題提起される環境にいることになる。忙しさのなかで継続するということが出来ない可能性は十分あるが、その点だけクリアーすればより多くのことが学べる環境に居ることになる。

中学時代のホームルームの時間に図書館で読んだイソップ物語【狐の王さまの話】の中にもピーターの法則と同じような記述があったような気がしてきて何度か読み返してみた。上記の事柄を理論的な面でバックアップしてくれる事柄ではないかと考えていた。

関心のある事柄を優先しながら一生涯学び続けるという決意は、生涯学習の決意は、理論的なバックアップをえたことで確かな確信となったのである。生涯、それが体力的に不可能となるまで学び続ける決意を(人生大学)と呼ぼうではないか。死を持って卒業式としよう。またもや変な決意をしたことになる。

そんな訳で50歳の手習いもたいした苦痛ではないのである。長野発明研究会の最高齢者は80歳を越えている人が三人ほどいる。まだ、彼らの年までは頑張れるということである。年に3、4回しか例会に出席しないが、体と時間的な都合と新たな着想が合致したときはでてくるみたいである。彼らに表彰状を差し上げたいと思っている次第である。こればかりは私独りではどうにもなるものではないが、チャンスがあったら会員に提案してみたいのである。見習いたいのはそのバイタリテーである。

 注 体験、経験プラス理論的裏付けイコール信念、確信ということだと思われる。

   【参考文献、ピーターの法則、L.J.ピーター他 ダイヤモンド社】

   【老い学や我は学徒か60歳いつまで続くこの道はるか】


相互学習の可能性

2009-02-02 14:45:32 | 学問

(ラバウル実験学校の試み、「面白中学の三年間とその後」より。)

 名南製作所(このことは、相当後になって知ったことである。)や先生の行った模擬裁判所他のことから生徒並びに人々が相互学習すればよいということに気が付いた。

もちろん、中学生時代に吹奏楽ができたのだが、単一の楽器の持つ特性と全体の演奏との違いを感じ取ってはいたが「このことだったのか。」と気が付くまでにしばらく時間がかかった。私の脱線授業は時間がかかってしまうのが最大のネックである。

具体的事として、我々の師父の時代に行われた「ラバウル実験学校」を取上げてみようと思います。第二次世界大戦において連合軍が唯一占領できなかったところがラバウルであった。

多くの人が知っていてよい事柄であるが、米軍の占領政策や戦後の混乱の中でどうでもよいこととされたか、隠されたものと思われる。ラバウルはアメリカ軍も恐ろしくて近寄れない島であった。この島は硬い岩石で出来ている上にいくら艦砲射撃しても、飛行機で爆弾を落としてもびくともしないだけでなく、アメリカ軍が攻撃をしている間は洞窟の中で将棋や碁などをしてリラックスしていて、敵さんが痺れを切らして引き上げにかかるところを見計らい魚雷や砲撃をして甚大な被害を及ぼしていたのである。

こんな理由があり本国が降伏してから一か月の後にようやく、武器は島の北側に集めさせ、兵隊は南側に集められて【どちらがどうだかハッキリしないが、武装解除が行われ、】初めて占領がかなった島である。軍事的なプロセスについては父親が話したのかも知れない。中学時代のことである。

司令官は自害したものの、残された人がこれからつらい捕虜生活が始まるのだが、残された上官が「これからの日本は文化、経済で立国するしか路が残されていない。戦争に来る前に農業をしていたものは農業の仕方を、商人だったものは商売の仕方を、俳句を、歌を、裁縫を、漁業に携わっていたものは魚の釣り方を、いままでの軍の階級に関係なくその人が先生となり他の人が生徒になることで国に帰るまでの間相互教育が行なわれたのである。」

このことは私が名古屋に旅立って二年目にどれかの本の中で読んだ記憶がある。

ひょっとするとラバウル小唄の中にそんな想いが込められているのかもしれない。だとしたら何かロマンを感じてしまう。その本が現在でも家の何処かに残されているはずであるがどこへ紛れ込んでしまったのか分からなくなっているので、なんという本の中にあつたことなのか良く分からない(その本を知っている方や「ラバウルの実験学校の体験者」は情報を寄せていただきたい。)。

名古屋で定時制に通う段になり始めたころから幾分過ぎた時期であり、其れでなくても時間的に無理のある夜学の生活を皆で協力して乗り切る方策に「ラバウルの相互教育の実験」と「個性豊かな楽器とその調和の事」や「中学生時代に担任のした幾つかのこと、ついで学と呼んでいる。」を何人かに話して理解をとりつけ、ある人が先生になりそのほかの人は生徒という相互学習を試みた。もちろん有志だけの参加である。

教科だけではなく誰かがよんで感銘を受けた本や映画などもその対象になっていたようだ。又、日曜出勤や家の都合により参加できないときはそちらを優先するなどとして、休んだ人は何をやったのか誰かに確認しておく(クオリファイ)ということを最低条件にして、場所も学校でする時、県立図書館であったり、時には喫茶店であったり、友達の家であったり、このことは長い夏休みや冬休みに集中していたと考えられるが、

長野県
の出身で先生をしていた人であったりもした。

先生のいない教科に関しては皆で智恵を出し合い、生活上の問題点(残業と学業の両立)も皆で協力しあうことで解決できた問題も多かったと思う。

そうこうしているうちに、山里の中学でやってきた先生の何気ない実験と似ている部分があることに気が付いたということである。もちろん、場所と時間的なずれはどのようにしても埋めることが出来ないものの、特にホームルームや道徳といった時間に行われたことが(教科の中でもさまざまなことをしているが省略している。)、生徒の自主性と旨く合致した方法で行われたのではないかと考えられる節が随所に見られたのである。

もう少し時間がたって、学生時代にもこれと同じことをしてきたし(覚えなければいけないテクニカルタームについて議論しあった。)、卒業してからも幾分メンバーが異なっていたが、このときはオペレーション・リサーチの具体的なこととしてミッドウェー海戦に参加した艦船のすべてのプラモデルを作り、その装備や時間等をパソコン並びに計算式に当てはめて作戦のあり方を研究しあった(それを、フィクションにしたものが「ジャンボを釣った人々」である。電卓を用いて時間のかかる作業をしたときもある。


学びの原点に

2009-01-19 12:49:02 | 学問

好奇心を学びの原点にすえて

 タルムードに限らず多くの教育書で触れているが、実際のところ、好奇心を教室や全ての学びの現場で上手に使いこなせているとは思えないのだ。確かに好奇心は制御しやすい性格のものではないのかもしれない。先生方も好奇心を利用すればよいのか理解していないのかもしれない。制御するのが難しいので避けて通っているのやら・・・・・。

しかし、これに基づかない学びは単に学習するという行為と、図書館を作ってしまいかねない。頭でっかちのいびつな人間になってしまうといえる。原体験が不足している為に、好奇心が沸いてこないのかもしれない。

はるか昔、農業を手伝うことで自然の摂理と収穫の喜びと何よりも社会に参加しているという誇りと、親や祖母たちとの豊かな会話の中にこそ真の創造的な教育の根幹が隠されていたような気がする。

近年、山村留学なるものが取りざたされているが、最近の農業は変化してしまっているのでどのくらい効果があるのかわからないところがある。多くの疑似体験を通して学習ということが行われているなど、マスメデァ等の影響によって感動及び感性に基づかない学習になってしまっているような気がしてならないのだ。

かといって、社会の全部を実体験できるようなことはどだい無理な話である。【質問するということは学びの第一歩である。学問は習うことだけではない。習うということは受身のことであり、質問するということは、積極的に自分から学ぼうとすることである。好奇心のない人間は成功しない。】といっているように学びの姿が積極的な状態をさしている。

昔、その道の奥儀を極めようとした求道学の精神が本当の意味の学びの精神なのかもしれない。現代的に表現すれば、ライフワークを持つということなのかもしれない。かなり年齢のすすんだ人でも生涯を通じて目標を持っている人は若くも感じるし生き生きしている。

私のところに来るメーカーの人たちも、以前の人たちに比べて何か魅力に欠けているのではないかと感じてしまうのは、ただ、商品を売りお金を集金していくだけの寂しい存在になってしまってはいないか。何らかの提案や問題解決のアイデアや個人としてライフワークは持っていないのではないかと考えさせられる。「そんなことをしているなら一軒でも多く回れ。」と発破をかけられているのかもしれない。

場合によっては、日本の企業風土の中に作業だけしていれば良いという考えかたが有るやも知れない。そのほうがその人にとって楽であるということかもしれないが、いつまでたってもスキルはアップして来ないだろう。

名南製作所のようなクリェィテブな環境にはなっていないのである。一通りのプレゼンテーションは出来るのだが、アイドマの原理さえ知らない。会社の看板を背負っているので営業できているとしか考えられないのである。そのほうが効率という面から判断すれば合理的であるのかもしれないのだが、何か物足りなさを感じるのは私ばかりではないらしい。

   注 アイドマの原理 プレゼンテーションやセールス・トークの際に説明する手順。論理学の起承転結や三段論法などのテクニック。

    【参考文献、ユダヤ人の発想 M・トケイヤー加瀬英明訳 徳間書店刊】【鍵括弧の部分はそのまま引用させていただいている。】

     この文章の前に、タルムードの書式について書いたものと、その書式にのっとってテレビの番組を図式化したものがある。図式化したものをブログに乗っけたいと試みたがスペース的に無理だったので削除してある。写真にとって拡大して見ていただくしかなさそうだ。

    【参考文献、不思議な会社 鎌田勝著 日本経営出版会】