人鑑 写せ現の 我が姿 自分顔は 見られない故に
【人鑑より】
ある若者はその身の丈168センチで体重は60キロ少々であった。均整も取れていたし大学時代は学業も普通以上であったし、スポーツもそれなりにこなしていた。唯一つ劣等感に感じていたのは身の丈である。自分の友達と比べるとどうも7~8センチほど小さいのである。 そこで彼は、さまざまな運動をする傍らかかとの踵の高い靴を履いてごまかしていた。それなりに異性にももてたし青春を謳歌した。 やがて卒業して中堅以上の商社に勤めて何年間かすると仕事も一人前になり少々出世した。その頃、長く付き合っていた女性と結婚し二人の子供たちにも恵まれた。仕事にやりがいを感じた頃、自分の身の丈は180センチになっていることに気が付いた。というよりは錯覚である。 彼の実際の身長は相変わらず168センチのままだ。会社という組織と仕事の充実感と家庭生活が円満であったのでそのように錯覚してしまったのである。 子供たちも大きくなってそれぞれ独立した頃、自分も取締役付部長になった。何人もの部下たちをまとめながら充実した日々を過ごしていた。「ますます活躍して業績も伸びたが55歳を超えている。あと何年勤められるだろう。」という不安が常に付きまとっていた。「そうかと言ってキャリァーでもないし、関連会社に出向したとしてもせいぜい6~7年くらいし働けないだろう。」同級生たちの間では出世したほうである。 そして、定年の60歳を2年前にして早期退職した。たまたま、弟さんか起業していてその営業を手伝うことにした。「試食品見本を何人かに送れば、多く人が会員になってくれる。」と豪語していた。ところが会員になった人は一人も居ない。 以前は、会社という組織の中で彼の言うことを聞かなければならなかったということをすっかり忘れてしまっているのだ。身の丈が168センチしかなかったけれど、会社という組織と肩書きが身の丈を高くしてくれていたことなどすっかり忘れてしまったのである。 これと同じようなことはしばしば起こる。日本では、元、何とかという肩書きがいぜん通用する社会であるけれど、・・・・。 会社にしても、個人にしても,多くの人々が自分の身の丈を180センチあると勘違いしていただけである。「高下駄を履いていた。あるいは、履かされていた。」ということをすっかり忘れてしまっている。 そして、このことはいろいろな分野でおきているといえる。 機会ある度に時計のハリをゼロに戻して見るということが必要なのかもしれない。