御得意さんから聞かれた事です。
「消費税が八パーセントになる前に仕入れしておいて、八パーセントになってから売る」ということらしい。
「それはかまいませんね」
「だったら、あれを二四個買って置くから発注して置いて」
「余裕が有るなら 金のインゴットでしょう」と切り出して見た。
「そこまでは無理だな」と言わちゃったけど、・・・。
御得意さんから聞かれた事です。
「消費税が八パーセントになる前に仕入れしておいて、八パーセントになってから売る」ということらしい。
「それはかまいませんね」
「だったら、あれを二四個買って置くから発注して置いて」
「余裕が有るなら 金のインゴットでしょう」と切り出して見た。
「そこまでは無理だな」と言わちゃったけど、・・・。
「お先にどうぞ」とか「レデイ ファーストの思想はユダヤ教、タルムードの中にあるのかもしれませんね。
ところが言い出しっぺを尊重する思想もその中に含まれているはずです。
実際、どちらを立てるべきかは状況に左右されるのでしょう。
判断は主観的にならざるを得ない側面がある。「自らを優先すべきか、他者を優先すべきか」と、・・・。
「我良し、ひとよし、世間よし」の順序になるでしょうけど、・・・。
「表重なり、裏重なり」を心得るべき時期にきてはいますね。
じきに気づいてくれれば良いのですが?
「後、一年くらいで定年になるじゃない。どこへ行きたいか調べておいて、・・・。」
私はとっくに定年になっているが、自営業者である。
自分の事らしい。定年延長になる前から「あと5年いてもらいたい」と言われていたが、残り1年になる様だ。
「おいておけない人が一匹いるな」(参考文献。「人間になりたかった犬の物語」)
「こりゃ、死にされているものやら、・・・。こうなったら、徹底的に長生きしてやる」
脱線しちゃつたのでもとへ
「海外か、国内か。国内でも行っていないところは相当あるな」
「海外は安全性を優先させよう。お前さんはハワイとが、ガムには何回も行っているけど、・。」
「レートや消費税の影響も考えなくちゃなぁ」
と言いだした友人がいる。さて、さっきまで、なんのやり取りをしていたのだろう。「認知症にでもなっちゃったかなぁ」直ぐ前のことが解らなくなっちゃっているらしい。
しかも、突然である。
「お前さんの価値判断に寄るな」「そんな抽象的な事を聞いているじゃない」
「状況にも影響されるぞ」「聞いていることが解らないのか」と怒り出しちゃった。
「考えみな。若いころは友人や異性に関わる事がお前さんの関心事だったじゃないのか。その後、結婚して、経済や子供達を含む家庭が優先順位の高位に来たのじゃないのか」
「言われて見ればその通りだな」
「最近は、健康とか、社会性が関心事になっているだろう」
と、聞いて来た人がいます。め似子ばりに「何ででしょうね」と答えておくしかなさそう。
実際、なにも解らないのだから、・・・。
にやついてしまったことが良くなかった。「知って居るなら教えろ」と詰問されてしまった。
「特別、知って居るという事はない。ただ、我々は公式のない世界に足を踏み入れてしまっているのかも知れないなぁ。いろんな分野で、・・・。」
「その解決策は」「気の早い人だなぁ。まったく、・・・。一つずつ積み重ねて行くしかなさそうだけど、・・・。」
抽象的表現に留めて置きましょう。
このやり取りは社会経済的な分野についての議論の最中に派生して来た事です。そして、表題は従来の尺度からでは説明できない現象についてのやり取りと言うことになるのだろう。