我が阪神タイガースの最終試合が今夜、阪神甲子園球場に4万7千人を超す大観衆を迎えて行われ、DeNaベイスターズ相手に3-0の完勝で終了し、今期で引退する金本知憲選手の引退セレモニーが試合終了後に行われた。
2012年度の阪神タイガースのペナントレースは、真弓監督の後を受けた生え抜きの和田監督の下、新しいコーチ陣の指導と共にスタートしたのだったが、投手陣が頑張ったのにも関わらず、肝心の打者陣の不調が続き、主砲ブラゼルと安打製造機的に二年連続最多安打のマートンが絶不調で、鳥谷、新井兄、平野らの主力の日本人選手も、いくら経っても調子が上がらず、勝てる試合も後半につまらぬミスや力尽きた感じで逆転負けするなど、さんざんなシーズンとして成績は、セリーグ5位という体たらくな結果に終わってしまった。
誠に残念なシーズンだつたが、そのシーズンを締めくくる試合が、まさかの金本選手の引退試合になるというのも、間違いないチームの若返りと大きな変革を必要とする必然的なシーズンとなったのであり、来シーズンは金本、城島、ブラゼルなどと共に球児や鳥谷らの去就もうわさされる中での、大きな転換期という印象を強く持ったシーズンとなった。
長年の阪神タイガースファンの一人としては、この十年間つまり2003年に星野監督の下金本が移籍してきてくれて1985年以来の18年ぶりのセリーグ制覇を果たし、翌々年の2005年にも岡田監督の下で、またも優勝したという実績を含め、昨シーズンと今シーズンはBクラスに低迷してしまったが、常に優勝争いに絡んで熱戦を繰り返したという、稀な強いタイガース時代となったのであった。
というのは、私が阪神タイガースの熱狂的なファンを自覚して以来、昭和37年と39年の藤本定義監督時代、つまり三宅、吉田、鎌田、藤本の内野陣とソロムコ、大津、浅越らの外野陣に、小山、村山、バッキーなどの好投手と辻捕手でセリーグを席巻した時代に次ぐ、タイガースの黄金時代だったのである。
日本にプロ野球が誕生し、読売ジャイアンツとの伝統の一戦と、ここ半世紀近く言われる所以となった時代だと思われる、藤村、土井垣、景浦らが活躍した時代を第1期黄金時代とするならば、ここ10年のタイガースは第3期黄金期だったと言えるわけだが、その立役者であり、一番の功労者が背番号6の金本知憲外野手であったことは、ゆるぎない事実であった。
その不屈の精神で、広島カーブと阪神タイガースで21年間現役生活を続けた44歳の金本選手の引退セレモニーでの挨拶は、両親から始まり、自分の野球人生に関わった全ての方々と多くのファンへの感謝の言葉で始まり、引退試合となった相手チームのDeNAベイスターズへの感謝とエールの言葉を挟んで、最後に野球の神様への感謝という形で終わった。
終止笑顔でゲーム中も、引退セレモニーでも涙を見せずに通した金本選手だったが、やはりここ阪神タイガースでの最後の3年間は、肩の怪我からの故障で情けない成績で苦しんだ様で、最後にもう一度優勝したかったと寂しさも語っていた。
しかし、打点こそ偉大な長島選手には及ばなかったが、安打、打点、本塁打の全てで歴代ベストテン入りした記録は偉大だし、1492試合連続試合出場やフルイニング連続出場記録、そして本人が何よりも誇りに感じているという、1000打席以上の無併殺記録という地味な記録だが、全力疾走でダブルプレイを防いだという大きな勲章は、金本らしい誇りだと思うのである。
来年以降は決して観られない金本知憲選手のグランドでの現役選手としての姿を目に焼き付けようとテレビ画面を見続けたが、来期以降はどの様な立場で野球に関わって登場するのかが大変楽しみでもあり、いずれコーチや監督という形で再びグランドに立つ姿を想像しつつ、ファンの一人として、お疲れ様、ありがとうと言いたい。
2012年度の阪神タイガースのペナントレースは、真弓監督の後を受けた生え抜きの和田監督の下、新しいコーチ陣の指導と共にスタートしたのだったが、投手陣が頑張ったのにも関わらず、肝心の打者陣の不調が続き、主砲ブラゼルと安打製造機的に二年連続最多安打のマートンが絶不調で、鳥谷、新井兄、平野らの主力の日本人選手も、いくら経っても調子が上がらず、勝てる試合も後半につまらぬミスや力尽きた感じで逆転負けするなど、さんざんなシーズンとして成績は、セリーグ5位という体たらくな結果に終わってしまった。
誠に残念なシーズンだつたが、そのシーズンを締めくくる試合が、まさかの金本選手の引退試合になるというのも、間違いないチームの若返りと大きな変革を必要とする必然的なシーズンとなったのであり、来シーズンは金本、城島、ブラゼルなどと共に球児や鳥谷らの去就もうわさされる中での、大きな転換期という印象を強く持ったシーズンとなった。
長年の阪神タイガースファンの一人としては、この十年間つまり2003年に星野監督の下金本が移籍してきてくれて1985年以来の18年ぶりのセリーグ制覇を果たし、翌々年の2005年にも岡田監督の下で、またも優勝したという実績を含め、昨シーズンと今シーズンはBクラスに低迷してしまったが、常に優勝争いに絡んで熱戦を繰り返したという、稀な強いタイガース時代となったのであった。
というのは、私が阪神タイガースの熱狂的なファンを自覚して以来、昭和37年と39年の藤本定義監督時代、つまり三宅、吉田、鎌田、藤本の内野陣とソロムコ、大津、浅越らの外野陣に、小山、村山、バッキーなどの好投手と辻捕手でセリーグを席巻した時代に次ぐ、タイガースの黄金時代だったのである。
日本にプロ野球が誕生し、読売ジャイアンツとの伝統の一戦と、ここ半世紀近く言われる所以となった時代だと思われる、藤村、土井垣、景浦らが活躍した時代を第1期黄金時代とするならば、ここ10年のタイガースは第3期黄金期だったと言えるわけだが、その立役者であり、一番の功労者が背番号6の金本知憲外野手であったことは、ゆるぎない事実であった。
その不屈の精神で、広島カーブと阪神タイガースで21年間現役生活を続けた44歳の金本選手の引退セレモニーでの挨拶は、両親から始まり、自分の野球人生に関わった全ての方々と多くのファンへの感謝の言葉で始まり、引退試合となった相手チームのDeNAベイスターズへの感謝とエールの言葉を挟んで、最後に野球の神様への感謝という形で終わった。
終止笑顔でゲーム中も、引退セレモニーでも涙を見せずに通した金本選手だったが、やはりここ阪神タイガースでの最後の3年間は、肩の怪我からの故障で情けない成績で苦しんだ様で、最後にもう一度優勝したかったと寂しさも語っていた。
しかし、打点こそ偉大な長島選手には及ばなかったが、安打、打点、本塁打の全てで歴代ベストテン入りした記録は偉大だし、1492試合連続試合出場やフルイニング連続出場記録、そして本人が何よりも誇りに感じているという、1000打席以上の無併殺記録という地味な記録だが、全力疾走でダブルプレイを防いだという大きな勲章は、金本らしい誇りだと思うのである。
来年以降は決して観られない金本知憲選手のグランドでの現役選手としての姿を目に焼き付けようとテレビ画面を見続けたが、来期以降はどの様な立場で野球に関わって登場するのかが大変楽しみでもあり、いずれコーチや監督という形で再びグランドに立つ姿を想像しつつ、ファンの一人として、お疲れ様、ありがとうと言いたい。