ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

今シーズン終了!!

2012年10月09日 | プロスポーツ
我が阪神タイガースの最終試合が今夜、阪神甲子園球場に4万7千人を超す大観衆を迎えて行われ、DeNaベイスターズ相手に3-0の完勝で終了し、今期で引退する金本知憲選手の引退セレモニーが試合終了後に行われた。

 2012年度の阪神タイガースのペナントレースは、真弓監督の後を受けた生え抜きの和田監督の下、新しいコーチ陣の指導と共にスタートしたのだったが、投手陣が頑張ったのにも関わらず、肝心の打者陣の不調が続き、主砲ブラゼルと安打製造機的に二年連続最多安打のマートンが絶不調で、鳥谷、新井兄、平野らの主力の日本人選手も、いくら経っても調子が上がらず、勝てる試合も後半につまらぬミスや力尽きた感じで逆転負けするなど、さんざんなシーズンとして成績は、セリーグ5位という体たらくな結果に終わってしまった。

 誠に残念なシーズンだつたが、そのシーズンを締めくくる試合が、まさかの金本選手の引退試合になるというのも、間違いないチームの若返りと大きな変革を必要とする必然的なシーズンとなったのであり、来シーズンは金本、城島、ブラゼルなどと共に球児や鳥谷らの去就もうわさされる中での、大きな転換期という印象を強く持ったシーズンとなった。

 長年の阪神タイガースファンの一人としては、この十年間つまり2003年に星野監督の下金本が移籍してきてくれて1985年以来の18年ぶりのセリーグ制覇を果たし、翌々年の2005年にも岡田監督の下で、またも優勝したという実績を含め、昨シーズンと今シーズンはBクラスに低迷してしまったが、常に優勝争いに絡んで熱戦を繰り返したという、稀な強いタイガース時代となったのであった。


 というのは、私が阪神タイガースの熱狂的なファンを自覚して以来、昭和37年と39年の藤本定義監督時代、つまり三宅、吉田、鎌田、藤本の内野陣とソロムコ、大津、浅越らの外野陣に、小山、村山、バッキーなどの好投手と辻捕手でセリーグを席巻した時代に次ぐ、タイガースの黄金時代だったのである。

 日本にプロ野球が誕生し、読売ジャイアンツとの伝統の一戦と、ここ半世紀近く言われる所以となった時代だと思われる、藤村、土井垣、景浦らが活躍した時代を第1期黄金時代とするならば、ここ10年のタイガースは第3期黄金期だったと言えるわけだが、その立役者であり、一番の功労者が背番号6の金本知憲外野手であったことは、ゆるぎない事実であった。

 その不屈の精神で、広島カーブと阪神タイガースで21年間現役生活を続けた44歳の金本選手の引退セレモニーでの挨拶は、両親から始まり、自分の野球人生に関わった全ての方々と多くのファンへの感謝の言葉で始まり、引退試合となった相手チームのDeNAベイスターズへの感謝とエールの言葉を挟んで、最後に野球の神様への感謝という形で終わった。

 終止笑顔でゲーム中も、引退セレモニーでも涙を見せずに通した金本選手だったが、やはりここ阪神タイガースでの最後の3年間は、肩の怪我からの故障で情けない成績で苦しんだ様で、最後にもう一度優勝したかったと寂しさも語っていた。

 しかし、打点こそ偉大な長島選手には及ばなかったが、安打、打点、本塁打の全てで歴代ベストテン入りした記録は偉大だし、1492試合連続試合出場やフルイニング連続出場記録、そして本人が何よりも誇りに感じているという、1000打席以上の無併殺記録という地味な記録だが、全力疾走でダブルプレイを防いだという大きな勲章は、金本らしい誇りだと思うのである。

 来年以降は決して観られない金本知憲選手のグランドでの現役選手としての姿を目に焼き付けようとテレビ画面を見続けたが、来期以降はどの様な立場で野球に関わって登場するのかが大変楽しみでもあり、いずれコーチや監督という形で再びグランドに立つ姿を想像しつつ、ファンの一人として、お疲れ様、ありがとうと言いたい。
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日本人の栄誉!

2012年10月08日 | テレビマスコミ
つい先ほど、祝日だつた体育の日の夕刻のニュースで、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授にノーベル医学・生理学賞が授与されることが決まったことが報じられた。

 ここ数年、この季節になると必ず日本人のノーベル賞受賞候補者が報じられていて、文学賞での村上春樹氏と共に医学・生理学賞では山中教授の名は必ず出でいたのだが、世界中の偉大な研究者や各種の功労者がたくさんいる中で、どのように最終的に決定がなされるのかは定かではないのだが、50歳の若さで受賞者に選ばれたということは、現在に至る日本人受賞者19人(南部教授も含む)の中で一番若い受賞者となるであろう。

 山中伸弥教授の功績は、私ごときが語ることは出来ないのだが、多くの人間の病気や健康を害している多種多様な症状に対して、新たな新しい細胞として、内臓臓器はもとより各種の病原菌や毒素に犯されていない新たな細胞を作れるという画期的な技術とでもいうべき研究成果としてiPS細胞という発見をされた方で、今後世界中の難病や健康維持への新薬の製造などに大変な貢献をすることは間違いないとされているというのである。

 科学技術の進歩や医学の発達は、人類の将来の世の中をより一層は、豊かで幸せなものに出来るだろうと確信しているが、今までにその恩恵を受けることなく、この世を去った先祖や先達たちを思うと、出来るだけ早く、現在多種多様な難病や健康維持が著しく困難な人々への救いの手のひとつとしての新薬もしくは施術のすべが実現することを祈るのみなのだが、現実的には試作段階、臨床段階などを経て、本当に全ての人に役立つ形で、このips細胞が役立つ日はいつになるのか、それが一番気がかりである。

 話は全然変わるが、もう一人の日本人の栄誉は、弱冠22歳のプロテニス選手、錦織圭、世界のKEIの快挙である。

 楽天ジャパンオープンで、世界の競合を相手に持ち前の若さと正確な技術、そして奇跡的なミラクルショットを交えて、何と決勝戦でも奇跡的なショットを連発して、日本人初の世界ツアーでの2勝目の優勝を果たしたのである。

 18歳で鮮烈なデビューをしてから、多くのツアーで活躍をして、一躍日本の男子テニス界のヒーローとはなったが、連戦の疲れや怪我も重なって、もう一歩というところで勝利からは見放されることも多かったのだが、今回のジャパンオープンではホームゲームという利点もあったとはいえ、絶好調のショットの連続で、師匠とされているあの松岡選手も驚くようなミラクル打を相手コートの隅に決めて、ガッツポーズをするニシゴリを観てると、なんとも新しい日本人の姿として、誇れる想いすら感じる感動の試合であった。

 世界中に日本人としての誇りと自信を再び取り戻すきっかけとして、二人の日本人がここに新たな栄誉を授けられたり、勝ち取ったりしたことで、直接は関連性のない出来事ではあるが、尖閣や竹島の領有権問題、北方領土や北朝鮮による拉致問題など、近隣諸国との軋轢というべき不安と不穏な外交や政治状況のニッポンに、じっくりと穏やかに紳士的に話し合いと交渉を進めて行く国としての姿勢を明確にし、精神的なバックボーンをより強くさせる程の快挙ではないかと、嬉しく感じているのである。
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ビートルズ半世紀!

2012年10月07日 | テレビマスコミ
昨日、あのビートルズが母国イギリスで最初のレコードデビューを飾った日から満50年が経って、FM765のエフエムCOCOROでは、ずっとビートルズ特集をしていて、車のラジオから懐かしくてポピュラーなビートルズのナンバーの数々が流れていて、なんだか数十年前にタイムトリップした如きここちで聞き入ってしまった。

 日本では1966年にビートルズが来日し、一気に人気というか一時は社会問題化したと言っても過言ではないくらいに、ファンのみならず日本中がフィーバーはし、マスコミは特に大騒ぎしたが、大人たちの多くは当時は眉を歪めたのであった。

 言うまでもないが、当時のビートルズのマッシュルームカットは、男性が髪の毛を伸ばすということだけで変人扱いされる時代で、ビートルズの武道館での公演に行きたいなどと言ったら、不良少年、少女扱いされたという感じで、現在のポピュラーミュージックの全盛期の入口という感じのブームが日本で渦巻き、間違いなく西洋音楽の王者として君臨するグループだったのである。

 ビートルズの登場、台頭は決して音楽シーンだけではなく、若者文化の全てに多大な影響を及ぼしたが、今思い出してみると、私自身も高校卒業後、つまり1966年のビートルズの来日に影響されたのか、それとも学生運動の嵐が吹き荒れたことが原因だったのかは定かではないが、いつのまにか長髪となっていたのであった。

 ビートルズの影響、特に私が大好きだったのはジョン・レノンだが、彼の風貌、歌声、ファッション、そしてモノの考え方と共に、オノヨーコという日本女性と結婚後の、彼の人生観、宗教観、生活観など見聞きする全てのシーンや思想が刺激的であり、直接的ではないが多様に私の思春期の行動や考え方に影響を及ぼしたと言えよう。

 それなのに、何故か1980年代以降はレコードからCDへと音源が変化すると共に、あまり自分自身でビートルズをわざわざ聴こうということも少なくなって、時折テレビやラジオから流れてくるビートルズの曲を耳にして、懐かしさを覚えたりして、特に「レットイットビー」「カムトゥゲザー」「イエスタディ」「ゲットバック」などの名曲に接すると、当時のいろんなシーンを思い出して、いまだ青春だという気分になるのであった。

 数々の名曲があり、それなりの社会的背景や人生、恋、テーマが歌われているはずなのだが、あまり英語の意味や歌の内容にまでは想いをめぐらせることもなく、良い曲だなと聞き続けて現在に至っていて、ビートルズを深く考察したり考えたりすることもなく、半世紀が過ぎているという感じである。

 いつかはジョン・レノンの英語の詩を理解しようと、日本語訳と英語の対訳本まで買った記憶もあるが、ちっとも勉強したり深く学んだりすることもなく、ただ単にビートルズが好きというささやかなファンの一人として現在まで生きてきたのである。

 しかし、半世紀が経ったと告げられた今、大半のレコードは残念ながら古レコードとして売却してしまったので、手元に残った音源としてはその後に出された2枚組みのベスト版CDが2組あるだけなので、もう一度じっくりとビートルズを聴く機会を作りたいと思っているのである。

 やはり洋楽音楽の原点はビートルズから始まっていることは間違いなく、1970年代から1980年に音楽業界で仕事したのも、ビートルズとの出会いがなければありえなかったと思うのだが、もう一人の洋楽体験で大きかったミュージシャンはボブ・ディランであることも付け加えておきたいと思うのである。

 
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「あんじょうして!」

2012年10月03日 | 感じたこと
 野田第三次改造内閣とやらがスタートしたらしいが、どうやら国民の想いとは裏腹に、先の民主党の代表選挙でのご褒美的「大臣」や「民主党政権の卒業記念内閣」として、大臣になりたかったこ国会議員たちへの最後のチャンスをとの内輪向きの選考での大臣への推挙、または民主党として衆議院議員が後6名離党すると、政権維持のための過半数割れを起こすので、それを食い止めるための人事とか、マスコミを中心に取り沙汰され続けている。

 私たち国民の多くは、とっくに政治への期待感などは薄れててはいるのに、国会議員の諸先生方や次の総選挙で立候補を目論んだり、再起を目指している輩たちは、民主党、自民党、日本維新の会の三つ巴での次の総選挙で、どのグループに属したら勝目があるかという一点のみで、政策や有権者の願いなどと関係なく、離合離散の連続技でマスコミを賑やかしているに過ぎない。

 世の中はやっとこさ、秋の気配が濃厚となってきて、爽やかな10月の風を感じたりして気持ちのいい季節を迎えているのに、政界はいまだ五里霧中というべきか、暗雲漂う雲間に利権や利害や相克が重ねあわさって、どんより曇り空から今にも嵐を伴う台風や竜巻、雷が起きそうな機運である。

 そんな世の中の空気とは裏腹に、日本は65歳以上の高齢者が3000万人を有に超えて、人口の約24パーセント強、すなわち4人の内1人は高齢者という「超高齢化社会」へと突入したことが報じられていて、ますます少子高齢社会へと突進んでいるのである。
 
 私自身も立派な「社会的高齢者」の仲間入りをしているらしいのだが、本人には全くそうした自覚がないままに、高齢者のお宅へ毎日「お弁当」を配達する宅配サービスのスタッフの一員として頑張っているのである。

 そんな毎日なのだが、ともかく私より高齢の方々と会話することが多い仕事なので、毎日とってもハッピーな気持ちになったり、感謝していただいたりと、うれしい時間を過ごさせてもらいながら、汗をかいているのだが、今朝も70代後半の女性にお弁当を届けると、明るい声で「毎日あんじょうしてもらって、ありがとう!」と言っていただいた。

 「あんじょうする」なんて、久しぶりに耳にした言葉に、私はとても感動というか感激して、しばし「あんじようする」という関西弁の響きと深い意味に、改めて感心するやらしながら、その女性とお喋りした後、「あんじょうして下さい!」と意味不明な捨て台詞を言いながら、笑って別れたのであった。

 そういえば、「あんじょう頼んまっせ」という言葉は、よろしく頼みますという意味だが、上手にとか具合よくという意味もあって、大阪人は普通に使っている言葉なのだが、最近は「あんじょうする政治」も、「あんじょうした人間関係」も乏しく、誰もが「あんじょうしてほしい」と願うばかりの危機感を募らせているのに、全く政治家や政党は国民や有権者よりも、自分たちの利害だけで動いていて、いつになったら「あんじょうしてくれる」のだろうか溜息しか出ない現状を憂うのみである。
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リセットできないか?

2012年10月01日 | テレビマスコミ
昨日の日曜日に私たち団塊の世代の小学校時代の同期生の学年同窓会をやろうと決意して、来春の開催に向けての第1回の準備会をスタートさせたのである。

 私の母校は、大阪市立長池小学校なのだが、なにせ今から50数年前の1954年入学、1960年昭和35年卒業ということなのだが、とにかく戦後の第一次ベビーブームと言われた落とし子たちなので、一学年といえども約500名はいちと思われる同期生たちに、今回の企画をどう伝えて、どれくらいの人数が参集してくれるものやら全く未知数の状態での準備をはじめるに当たって、まずは10人に声をかけたのであった。

 卒業年度の8クラスの内、6クラスに在籍していた私も含む9名がまずは出席し、母校がある大阪阿倍野に近い天王寺で昼食を共にしながら、いろいろと相談を始めたのだが、久しぶりの友人もいれば、お名前しか知らない同期生もいたのだが、やはり同窓生ということで簡単な自己紹介から打ち解けて、約3時間の間歓談し、懐かしい友人たちや恩師の消息も含めて、楽しい会合となったのである。

 全員が間違いなく同い年であることはわかっていても、同じ学校でた学んだり遊んでいた頃から、半世紀以上も経過した現在を語りながら、脳裏に浮かぶのは幼い頃の少年、少女だった時代の面影や面立ちであり、不思議な空間にタイムトリップした様な気分にも時折なったのであった。

 食事と歓談と打ち合わせもお開きになる頃に、私は昨日の夜9時から放送されるテレビドラマで、あの一世を風靡した「東京ラブストーリー」で一躍トレンディドラマのヒロインとして名を馳せた女優である「鈴木保奈美」が主人公を演ずる「リセット」というドラマを思い出したので、同い年の同期生である8人に問うてみたのであった。

 もし、ドラマのテーマとなっているらしい、「17歳に戻れたら」という夢の様な想定だが、可ては能なら戻ってみたいかどうかと尋ねたのであった。

 一人の男性を除いて、私も含めて後の全員が今がいいと答えて、17歳でなくとも昔に戻りたいとは思わないと返答したのだったが、K君は笑いながら戻れるのなら、その時大好きだった女の子に告白してみたいと言うのであった。

 夜のドラマでは、鈴木保奈美さんが演ずる主婦と同窓の同い年の女性二人の三人が、ドラマの中の想定では45歳であり、28年前の高校時代に戻ってみ手るというストーリーが展開したのだが、結末は夢の様な昔の高校時代の姿と容姿、といっても別の若い女優さんたちが演じているのだが、自分の昔に戻ってはみたものの、現在までの人生を経験している3人にとっては、不可思議な世界であり、夢は夢として楽しいのだが、再び現在に戻ることを決めて戻ってくるのだが、現代を生きる時間としては約3時間のプチ家出といった感じで元の姿と生活に戻り、以前と違った想いで、家族たちとも接っして幸せな生活を取り戻すという物語となっていた。

 確かに、若さは魅力的だし憧れたりもするかもしれないが、現在に至る長い人生経験はなく、物事に対する感謝や対応の仕方に関しても未熟だろうし、深みが感じられない部分も感じられて、やっばり今が一番と感じる人が多いのではないだろうかと思いつつ、今が一番と思える幸せを改めて感じ、家族や知人、友人たちとの出会いや支えに、ありがとうと言いたい気持ちに再びなっていたのであった。

 確かに「カンチ!」と笑顔で読んでいた「赤名リカ」を演じていた鈴木保奈美は、今は石橋貴明の妻で3人のお嬢さんのママなのだから、それなりの年齢を感じさせる女優となっているし、簡単に28年や50数年をリセットなんか出来ない現実を生きる人生を楽しんだり、悩んだりしていい年の取り方をして生きたいものだと自分自身に自問自答したのであった。
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