野田第三次改造内閣とやらがスタートしたらしいが、どうやら国民の想いとは裏腹に、先の民主党の代表選挙でのご褒美的「大臣」や「民主党政権の卒業記念内閣」として、大臣になりたかったこ国会議員たちへの最後のチャンスをとの内輪向きの選考での大臣への推挙、または民主党として衆議院議員が後6名離党すると、政権維持のための過半数割れを起こすので、それを食い止めるための人事とか、マスコミを中心に取り沙汰され続けている。
私たち国民の多くは、とっくに政治への期待感などは薄れててはいるのに、国会議員の諸先生方や次の総選挙で立候補を目論んだり、再起を目指している輩たちは、民主党、自民党、日本維新の会の三つ巴での次の総選挙で、どのグループに属したら勝目があるかという一点のみで、政策や有権者の願いなどと関係なく、離合離散の連続技でマスコミを賑やかしているに過ぎない。
世の中はやっとこさ、秋の気配が濃厚となってきて、爽やかな10月の風を感じたりして気持ちのいい季節を迎えているのに、政界はいまだ五里霧中というべきか、暗雲漂う雲間に利権や利害や相克が重ねあわさって、どんより曇り空から今にも嵐を伴う台風や竜巻、雷が起きそうな機運である。
そんな世の中の空気とは裏腹に、日本は65歳以上の高齢者が3000万人を有に超えて、人口の約24パーセント強、すなわち4人の内1人は高齢者という「超高齢化社会」へと突入したことが報じられていて、ますます少子高齢社会へと突進んでいるのである。
私自身も立派な「社会的高齢者」の仲間入りをしているらしいのだが、本人には全くそうした自覚がないままに、高齢者のお宅へ毎日「お弁当」を配達する宅配サービスのスタッフの一員として頑張っているのである。
そんな毎日なのだが、ともかく私より高齢の方々と会話することが多い仕事なので、毎日とってもハッピーな気持ちになったり、感謝していただいたりと、うれしい時間を過ごさせてもらいながら、汗をかいているのだが、今朝も70代後半の女性にお弁当を届けると、明るい声で「毎日あんじょうしてもらって、ありがとう!」と言っていただいた。
「あんじょうする」なんて、久しぶりに耳にした言葉に、私はとても感動というか感激して、しばし「あんじようする」という関西弁の響きと深い意味に、改めて感心するやらしながら、その女性とお喋りした後、「あんじょうして下さい!」と意味不明な捨て台詞を言いながら、笑って別れたのであった。
そういえば、「あんじょう頼んまっせ」という言葉は、よろしく頼みますという意味だが、上手にとか具合よくという意味もあって、大阪人は普通に使っている言葉なのだが、最近は「あんじょうする政治」も、「あんじょうした人間関係」も乏しく、誰もが「あんじょうしてほしい」と願うばかりの危機感を募らせているのに、全く政治家や政党は国民や有権者よりも、自分たちの利害だけで動いていて、いつになったら「あんじょうしてくれる」のだろうか溜息しか出ない現状を憂うのみである。
私たち国民の多くは、とっくに政治への期待感などは薄れててはいるのに、国会議員の諸先生方や次の総選挙で立候補を目論んだり、再起を目指している輩たちは、民主党、自民党、日本維新の会の三つ巴での次の総選挙で、どのグループに属したら勝目があるかという一点のみで、政策や有権者の願いなどと関係なく、離合離散の連続技でマスコミを賑やかしているに過ぎない。
世の中はやっとこさ、秋の気配が濃厚となってきて、爽やかな10月の風を感じたりして気持ちのいい季節を迎えているのに、政界はいまだ五里霧中というべきか、暗雲漂う雲間に利権や利害や相克が重ねあわさって、どんより曇り空から今にも嵐を伴う台風や竜巻、雷が起きそうな機運である。
そんな世の中の空気とは裏腹に、日本は65歳以上の高齢者が3000万人を有に超えて、人口の約24パーセント強、すなわち4人の内1人は高齢者という「超高齢化社会」へと突入したことが報じられていて、ますます少子高齢社会へと突進んでいるのである。
私自身も立派な「社会的高齢者」の仲間入りをしているらしいのだが、本人には全くそうした自覚がないままに、高齢者のお宅へ毎日「お弁当」を配達する宅配サービスのスタッフの一員として頑張っているのである。
そんな毎日なのだが、ともかく私より高齢の方々と会話することが多い仕事なので、毎日とってもハッピーな気持ちになったり、感謝していただいたりと、うれしい時間を過ごさせてもらいながら、汗をかいているのだが、今朝も70代後半の女性にお弁当を届けると、明るい声で「毎日あんじょうしてもらって、ありがとう!」と言っていただいた。
「あんじょうする」なんて、久しぶりに耳にした言葉に、私はとても感動というか感激して、しばし「あんじようする」という関西弁の響きと深い意味に、改めて感心するやらしながら、その女性とお喋りした後、「あんじょうして下さい!」と意味不明な捨て台詞を言いながら、笑って別れたのであった。
そういえば、「あんじょう頼んまっせ」という言葉は、よろしく頼みますという意味だが、上手にとか具合よくという意味もあって、大阪人は普通に使っている言葉なのだが、最近は「あんじょうする政治」も、「あんじょうした人間関係」も乏しく、誰もが「あんじょうしてほしい」と願うばかりの危機感を募らせているのに、全く政治家や政党は国民や有権者よりも、自分たちの利害だけで動いていて、いつになったら「あんじょうしてくれる」のだろうか溜息しか出ない現状を憂うのみである。