ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

昨日は国際反戦デイ。

2012年10月22日 | イベント
 10月21日は、私たちの世代にとっては「国際反戦デイ」として記憶に強く残る日であり、たしか1966年に日本の労働組合の総元締めだった「総評」がベトナム反戦統一ストを実施した日であり、同時に全世界の運動団体などにも当時のベトナム戦争反対を呼びかけて、ジャン・ポール・サルトル氏が、世界の労働組合で初めての「ベトナム反戦スト」だと総評を称えたと言われている。

 その日は、その後新左翼と呼ばれた学生をも含む街頭闘争などによって、1968年、69年と受け継がれて、東京新宿駅などを中心に騒乱、暴動などに至って、そもそもの反戦デモを超えた事件まで引き起こす日となった。


 やがて、左翼運動の退潮などによって、大衆からは忘れられた記念日となった様だが、私の脳裏には今も「10.21」は、国際反戦デイとして記憶に残っていて、今年も全国各地とはいかないまでも、この日を覚えて集会やデモを行ったところもあった用でる。

 特に沖縄県においては、例のオスプレイの普天間基地への強行導入に対する県民の反対運動に加えて、またも起きた米兵による女性への性的暴行事件に対する怒りが重なって、たいへんな反対運動、つまり米軍基地の撤去と米軍の退去を含む根本的な沖縄差別の是正を訴える声が、日増しに高まっていて、ただ単なるオスプレイの配備反対や女性への暴行犯の米兵の処分などでは収まらない激しく悲痛な叫びが大きいた。

 この国際反戦デイの最初だった1966年には、総評が秋期闘争の第三次統一行動としてベトナム反戦を中心とするストライキを実施し、48単産、約211万人がストに参加し、91単産308万人が職場大会に参加したそうで、総評の内外への呼びかけに対して、国内から350人近い各界からの知識人や著名人が支持声明を出したり、世界各国の労働組合などからも連帯のメッセージが寄せられたという。

 その後も日米安保体制反対のスローガンを中心に、数年の間は国際反戦デイは続いていたのだが、バブル期に向かう頃からは、どういうわけか運動の動きは目立たなくなって、国民総経済人の如く、自分たのか、の金儲けか会社人間化してしまったのか、大きな津波に飲まれてしまったようにカゲを潜めてしまった様であった。

 あの学生、労働者を中心とする憤りと反対の嵐のエネルギーは何処へ行ってしまったんだろうか。

 今から半世紀近く前にあった、学生、労働者の怒りと政治や経済に対するエネルギーは、いつのまにか拡散してしまって、沖縄問題として矮小化されてしまつているとすると、誠に情けない気持ちでいっぱいである。

 尖閣問題などで中国や韓国と我が固有の領土などと言い争っているばかりではなく、日米安保条約で規定されている数々の日本の自治や国民の権利が踏みにじられている様な不平等な内容を、この機会に正々堂々とテーブルの上での議論に乗せて、一方的なアメリカの利害や言い分を認め続けるのではない、Noを含む建設的な内容の改定と基地の縮小、米兵の撤退などの具体策を詰める必要があるのではないだろうか。

 普天間基地の返還がうたわれて十数年、辺野古への代替基地なども要らないから、どうぞ速やかに米軍が日本から出て行く将来を見据えたプロセスをぜひ、沖縄県民だけでなく日本国民に示してほしいものである。

 民主党とか自民党とかの選択ではない、近未来の日本の政治の基本姿勢を基地も含む安保体制の矛盾と原発廃止に向けて動き出してと強く願わざるを得ないのである。

なんと、自民党は徴兵制についての検討を始めているとのニュースが俄かに伝わる国際反戦デイであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする