昨夜のblogを入力中にパソコンが故障し、まだ電源すら入らない状態なので不慣れなスマホからの投稿メールという形で、今日は,「高齢者の仲間入りした」自分自身がイメージする理想の高齢者像について記すことにする。
5月末から高齢者を中心に、沢山のお客様に食事を届ける新しい仕事を始めて、約一か月が経過したのでだいぶ慣れたという感じなのだが、以前からの八百屋の移動販売と言う形の延長の感じなので、全く違和感なく楽しくたくさんのお客様にお弁当の配送をしている。
そんな毎日なのだが、 お届け先は高齢者の独り住まいの方やご夫婦の家庭が多く、平日のみなのだが一週間に五日は毎日お会いすることとなるので、お天気の挨拶から始まってちょっとでも日々を楽しく過ごしていただきたいとの思いもあって、いろんなお喋りをしているのだが、とても面白いのである。
年齢はたぶん80歳を超えておられるお年寄りから、まだ私自身とあまり変らない年齢の方までおられるのだが、とても丁寧にお礼や感謝を口にされる方がおられる一方、ご本人は意識されていないと思うのだが、ちょっと失礼と感じる様なゾンザイな応対をされる方もいるもので、その方のお人柄と言うべき個性が感じられるのである。
ご夫婦の場合も当然様々で、奥さんが主導権をお持ちの夫婦もあれば、ご主人が全て決められたり、応対される家庭もあって、なかなか味わい深いと言うべきか、人間の年輪や育ってきた環境、または人付き合いの経験など、いろんな人生を感じたりするのである。
現在、私は健康に恵まれて元気に毎日を過ごさせていただいているので、このような仕事を続けることが出来て幸いなのだが、自分もそれなりのより高齢者の仲間入りをする時期がやって来て、仕事をする気力も体力も減退した時には、どんな年寄りになるんだろうかと推察したりすると、とっても愉しいし反面教師的勉強と言うか、教えられることが多く、いつまで出来るかわからないが少しでもお役に立つなら、やれる限り仕事として続けたいと思う仕事となりそうである。
ご夫婦の関係も含め、他人が推察できる範囲は限られているので、断定は出来ないのだけれど、とても素敵だと感じるご高齢の奥さんに接していると、自分自身も心が洗われた様に感じるし、たぶん現役時代はとても忙しく重要なお仕事をされていたであろうと推察できるおじさんにお会いしていると、時間があればゆっくりとお話を伺いたくもなるのだが、日々の出会いはせいぜい1分から3分ほどなので、じっくりとはお喋りはできないのだが、毎日ちょっとづつ話を積み重ねると、その人となりが見えてくるものである。
たかがお弁当を配達してくれる「おっさん」に過ぎないのだが、それなりに毎日待っていて下さる様に、声を掛けて下さったり、こちらからのお喋りだけでなく、自らご自分の経歴や若い頃のことをお話いただく方もおられて、ちょっとづつ親しい関係というか、気を許してくださる感じになっていく様で、とても感謝とご苦労様との挨拶を返していただくお客様も増えて、毎日が楽しいのである。
昨日記した「しあわせのパン」ではないが、私が届ける毎日のお食事の一食となるのだろう「お弁当」が、少しでもその方々の日常の中にあって、楽しみな食事の演出の一助となっているのならば、私も幸せだし、その方にとってもとても幸せなこととなるのではないだろうか。
些細な幸せを大切に、日々のお食事に関わるお弁当を、気持ちよく配達し続けたいと思っているのだが、いずれ素敵な高齢者になれる様にと、今から日々笑顔と元気をも届けられる人となりたいと思っている。
5月末から高齢者を中心に、沢山のお客様に食事を届ける新しい仕事を始めて、約一か月が経過したのでだいぶ慣れたという感じなのだが、以前からの八百屋の移動販売と言う形の延長の感じなので、全く違和感なく楽しくたくさんのお客様にお弁当の配送をしている。
そんな毎日なのだが、 お届け先は高齢者の独り住まいの方やご夫婦の家庭が多く、平日のみなのだが一週間に五日は毎日お会いすることとなるので、お天気の挨拶から始まってちょっとでも日々を楽しく過ごしていただきたいとの思いもあって、いろんなお喋りをしているのだが、とても面白いのである。
年齢はたぶん80歳を超えておられるお年寄りから、まだ私自身とあまり変らない年齢の方までおられるのだが、とても丁寧にお礼や感謝を口にされる方がおられる一方、ご本人は意識されていないと思うのだが、ちょっと失礼と感じる様なゾンザイな応対をされる方もいるもので、その方のお人柄と言うべき個性が感じられるのである。
ご夫婦の場合も当然様々で、奥さんが主導権をお持ちの夫婦もあれば、ご主人が全て決められたり、応対される家庭もあって、なかなか味わい深いと言うべきか、人間の年輪や育ってきた環境、または人付き合いの経験など、いろんな人生を感じたりするのである。
現在、私は健康に恵まれて元気に毎日を過ごさせていただいているので、このような仕事を続けることが出来て幸いなのだが、自分もそれなりのより高齢者の仲間入りをする時期がやって来て、仕事をする気力も体力も減退した時には、どんな年寄りになるんだろうかと推察したりすると、とっても愉しいし反面教師的勉強と言うか、教えられることが多く、いつまで出来るかわからないが少しでもお役に立つなら、やれる限り仕事として続けたいと思う仕事となりそうである。
ご夫婦の関係も含め、他人が推察できる範囲は限られているので、断定は出来ないのだけれど、とても素敵だと感じるご高齢の奥さんに接していると、自分自身も心が洗われた様に感じるし、たぶん現役時代はとても忙しく重要なお仕事をされていたであろうと推察できるおじさんにお会いしていると、時間があればゆっくりとお話を伺いたくもなるのだが、日々の出会いはせいぜい1分から3分ほどなので、じっくりとはお喋りはできないのだが、毎日ちょっとづつ話を積み重ねると、その人となりが見えてくるものである。
たかがお弁当を配達してくれる「おっさん」に過ぎないのだが、それなりに毎日待っていて下さる様に、声を掛けて下さったり、こちらからのお喋りだけでなく、自らご自分の経歴や若い頃のことをお話いただく方もおられて、ちょっとづつ親しい関係というか、気を許してくださる感じになっていく様で、とても感謝とご苦労様との挨拶を返していただくお客様も増えて、毎日が楽しいのである。
昨日記した「しあわせのパン」ではないが、私が届ける毎日のお食事の一食となるのだろう「お弁当」が、少しでもその方々の日常の中にあって、楽しみな食事の演出の一助となっているのならば、私も幸せだし、その方にとってもとても幸せなこととなるのではないだろうか。
些細な幸せを大切に、日々のお食事に関わるお弁当を、気持ちよく配達し続けたいと思っているのだが、いずれ素敵な高齢者になれる様にと、今から日々笑顔と元気をも届けられる人となりたいと思っている。