ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

オリンピックが始まった!

2012年07月29日 | イベント
 ロンドンオリンピックが開幕し、日本時間で早朝からの開会式の各国なんと204カ国と地域などの入場行進も含めて、アルファベット順での登場ということもあって、Jという終盤に近い順でのニッポン選手団の入場を待つ様にテレビ中継を見てしまった。

 自分が日本人であることから、ニッポン選手団を応援するのは当然のことなのかもしれないが、何故に「頑張れニッポン!」となってしまうのか、昨年の東北地方を中心に起きた東日本大震災と大津波の大災害をきっかけにも「がんばれニッポン!」とのスローガンやステッカー、広告などが目立っていて、そうだ東北地方の被災地と被災者のことを思うと、私たちも支援と共にエールを送りたいと思うのである。

 しかしである。何故かと再び自問自答してみると、どうもテレビや新聞、そして多くのマスメディアを中心とする宣伝と言うべきか、そういったスローガンやキャンペーン広告などを多く見聞きすることによって、ひょっとしたらそういう気にさせられているだけかも知れないとも思ったのである。

 全く次元が違うと感じられる人もおられるかも知れないが、実は私と家族全員はプロ野球の阪神タイガースのファンであり、ここ数年は必ずと言っていいほど甲子園球場や大阪ドームの阪神主催ゲームの観戦チケットを前もって予約して、楽しみに出かけているのだが、ここ数年に始まったことではなく、私が小学2年生の頃に端を発していることを思い出しては苦笑するというべきか、ちょっとしたきっかけからの阪神ファンになったことを自分ながらに思い出すことがあるのである。

 昭和30年代というと今から約半世紀以上前の1950年代半ばだったのだが、当時はテレビでの野球中継どころか、まだ自宅にはテレビそのものもなく、辛うじて新聞に掲載されているスポーツ欄でプロ野球の情報を少しだけ知ることができる程度の時代だったので、私自身もなんとなく当時からプロ野球界をリードしていた巨人軍をなんとなく知っている程度であり、小学生になった頃から草野球を始めた自分にとっても好きなチームは巨人だったのかも知れないのであった。

 同じく野球が好きな少年たちと見よう見まねで始めたへぼ少年野球チーム名は「長池ベアーズ」と称していたのだったが、ある日に雨が降って野球が出来ない午後に、友人宅に集まった10数人のチームメイトで好きなチーム毎に集まるということになった時、なんと大阪生まれの大阪育ちの自分の地元球団としての南海ホークスと阪神タイガース、そして阪急や近鉄という球団もあって、中でもタイガースが一番人気であり、記憶では半数くらいの6人が阪神が一番好きなチームという事実が始めて分かったのであった。

 何が言いたいのかと言うと、それ以来自分自身もやはり大阪の人間なのだから地元の阪神タイガースを応援したいと思う様になって、父親が最初に連れて行ってくれたプロ野球の試合は難波にあった大阪球場での南海と東映のダブルヘッダーだったのだが、しばらくして甲子園に阪神を応援に行きたいと思いだしていたのであった。

 つまり、自分の育った環境、家庭的な影響、情報の有無、そしてたまたま見聞きしたチャンスなどの違いなど千差万別だとは思うのだが、自らの郷土愛や愛国心、または母校といった自分との地縁や関係性からの条件が強ければ強いほど、そのチームや国や地域、学校などを自然に応援したいという気持ちが強まって行くのだろうけれど、ともかく現在の様にネットやスマホなども含む情報社会に生きる人たちも含めて、そのような気持ちをインプットされる機会が多くなっていて、いつのまにか地元のチームや選手の贔屓やファンになってしまっていることが多いのではないだろうか。

 「がんばれニッポン!」と、いつのまにかテレビの前で、ロンドンから送られてくる中継や録画を見ながら、オリンピックにはまっていく自分自身を感じつつ、昨今の阪神タイガースの不甲斐ない戦いぶりを尻目に、日本選手の勝利を祈るような気持ちで応援している我が心にびっくりしているのである。

 今晩は久々にタイガースも勝利したが、当分ここ二週間ほどはオリンピック放送に魅せられつつ、即席のニッポン選手へのエールを送る日本人のファンのひとりとなるだろうと思っているのだが、やはりマスメディアの度重なる放送や宣伝に踊らされているのではないかという自問自答も残るのである。
コメント (1)
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