ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

怒る人、切れる人。

2012年07月23日 | ちょっと可笑しいよ
 以前にも私のブログで書いたことがあったかも知れないのだが、ともかく世の中が忙しいのか、人間に余裕がなくなったのか、ちょっとしたことで怒ったり、切れたりする人間が増えていることだけは間違いない様である。

 先に掲げた写真はパロディーとして、当時のブッシュ大統領がフセインを討ち取ろうとしてる様と、あのマイケルジャクソンが子どもを可愛がっていると思いきや、虐待と言うか大きな傷を負わしたり死に至らしめる様な行為をしているのではないかということで、誰かが作為的に作ったものなのだが、偶然にも表題にあっているので無断で拝借したのである。

 最近だけではないのだが、私の周りでも近くのご家庭から大きな声で子どもを叱る声が聞こえてきたり、幼い子供が異常な泣き声で泣いていたりすると、ひょっとしたら虐待かと疑ってしまうことがあるのだが、翌日にはけろっとして何事もなかった如く親子の姿をたりするので、安心したり疑心暗鬼になったりもする場合がある。

 また仕事でまったく初めてお訪ねする訪問先で、突然に携帯電話に連絡が入って、ともかく先方さんが電話口でとんでもなく怒っておられるのだけは分かるのだが、なぜにそんなにも怒ったりされているのかが、冷静に考えても見当がつかないこともあって、相手の興奮や罵声を浴びながら、冷静にお話くださいと言っても、返って火に油を注ぐような事態になったことがあった。

 その原因は一方的ではないのだが、先方さんの不理解や十分な対応に対する思いにずれが生じているらしく、その場は電話ということもあるので、当方に落ち度や謝らねばならないことがなくても、「スミマセン」と謝った上で、直接再度伺って誤解が生じているとすれば、その誤解を解く努力をしなければならないと思い、再度の訪問を約束して電話は切った。

 しかし、その先方さんは直接の私への電話では気が治まらなかったらしく、会社へと電話し苦情かクレームをさんざん一方的に言った上で、とにかく解約すなわち無かったことにしてくれと通告されたそうである。

 その内容の詳しいことはともかくとして、昨今本当に常識では考えられないことで、急に怒り出したり、自分の勝手な一方的な主張ややりかたを是として、それ以外の手法やアプローチに対して、絶対的に許せないと感じられるのだろうかも知れないが、「出来ればこうしていただきたい」というような提案や主張ではなく、「絶対こうでなければ」と頑固突っぱねる様な口調と共に、相手をすぐに罵倒したり罵詈造言とでも言うべき言葉で、あたり散らす様な御仁が増えた様に思うのである。

 こうした現象が増加したと思うのは私だけだろうか。

 昨今の巷のニュースを見聞きしていても、何でそんなことで他人を傷つけたり中には殺してしまったりすることに至るのかが、全く理解出来ない様な事件が多発していて、決して理由が明確ならば他人を罵倒したり傷つけたり殺してもいいというわけではないのだが、あまりにも因果関係もなければ、出会い頭での葛藤とでも言うべき衝動で怒ったり切れたりする人が増えているのは間違いないのである。

 その原因の背景には、現代社会の煩雑化した情報とは裏腹に、自分と他人との関係において十分な愛情や友情、または信頼や信用を感じて、他人に任せるべきことや他人に依頼することも、また他人からの頼まれごとや依頼仕事なども十分なコミュニケーションを取って実現するという、当たり前の仕事や対応の関係を築くことが下手な人が増えているとも言えるのである。

 全てを断言することは出来ないのだが、混迷する価値観の多様性の中で、自分自身を失ったり自信を無くしたりしている人にとっては、少しでも優位に立ったり上から目線で指示したり文句を言ったりできる相手にのみ、とんでもないクレームやささやかな問題提起をも、大袈裟に突っかかって怒ったり切れたりするといったことで、そのストレスや自分自身の存在感を示そうとされているのではないかと推察しているのである。

 決して「切れ易い」とか「怒りっぽい」のは、子どもたちだけでなく、大の大人の社会にも蔓延しているイライラ感があって、その渦中の人々においては、ちょっとしたことで「切れたり」「怒鳴ったり」「叫んだり」「罵倒したり」する人間が増えているという悲しい現実を見る機会がちょくちょくあるのである。
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