ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

震災瓦礫

2012年03月12日 | 感じたこと
 昨日、東日本大震災からの一年が経って、全国各地で2万人近い犠牲者及びいまだ行方不明の方々に対する追悼の思いと共に、誰もが出きるだけ早い被災地の復興を祈願し、黙祷を捧げたり祈ったとテレビや新聞マスコミが報じている。

 しかしである。あの膨大な量の震災被災地の瓦礫は一向に減ってはおらず、一年も経っているのにも関わらず、各地での復興の妨げにもなっていて、東北三県、岩手、宮城、福島の被災三県を除く全国44都道府県に対して、震災瓦礫の焼却処分を受け入れてほしいとの思いがあったのだが、東京都を除く全国道府県での実際の瓦礫処分は一向に進んでいなかったのである。

 その主な原因は、福島原発事故による放射能汚染への危惧と大型の処分焼却施設が無かったり、許容力が足らないからという理由だそうだったのだが、結局のところは「放射能の危惧」を大々的にアッピールして、地域的反対運動などを展開する一部の住民たちによる「地域エゴ」とも言うべき身勝手なクレームが一因だったのである。

 やっとこさ政府は震災瓦礫の処分について、全国自治体への焼却処分の協力についての関係官庁などによる会議を開いて、ようやく全道府県への協力要請から、一歩踏み込んだ法的根拠を基にした処分義務あるいは命令を検討しだしたと報道されているのである。

 実は昨年から東京都は東北三県の被災地の瓦礫処分についての受け入れを表明して行っているのだが、先月には何と国からの瓦礫受け入れを求められていない三県を除いては唯一の沖縄県ですら瓦礫の受け入れを表明したという報道がされていて、何と日本の核抑止力と自衛力を補うためという目的での米軍と言う名の外国軍隊のために日本全土の米軍基地の何と7割もの土地を国のために提供している「犠牲の島」でもある「沖縄」が、またもや長距離輸送というハンディはあるが、やはり東北三県のためには瓦礫を受け入れたいと申し出たというのである。

 日本全国の他の道府県では、復興庁や環境省が瓦礫処分の受け入れについて要請していても、現在10都府県だけが検討をし、ようやく青森、山形、東京が受け入れを開始したが、独自に放射性物質濃度の受け入れ基準を設けて具体的に動き出したのが、秋田、埼玉、神奈川、静岡、大阪の5府県で、まだ受け入れの検討もしていない道県が26に及ぶと報道されている。

 確かに原子炉等規正法では放射性物質として扱わないゴミの基準は1キロあたり100ベクレルと定められているので、震災後に国が示した焼却灰の埋め立て基準8000ベクレルに対する、安全性を疑問視する住民の声や不安はわからないでもないが、ともかく震災が起き、原発事故が起きた現実に対して、全国民が復興を祈り、ましてや「絆」を合言葉にしているにしては、情けないとしか言いようのない現状の「震災瓦礫の受け入れ」実態である。

 本当に被災地の方々の「痛み」や「苦しみ」を少しでも理解しようとして、少しつづでもその重荷を和らげるために、私たち全国民が「お互い様」もしくは、「皆が背負うリスク」として、この震災瓦礫を少しでも早く受け入れて、被災地の復興の手助けをすることなしに、「頑張って!」などと言う口先だけの言葉や励ましでは許されないのではないだろうか。

 やっとこさ、新聞、テレビを中心とするマスコミも、この問題に対して方向性を明らかにしながら、全国民すなわち全都道府県及び自治体が少しつづでも瓦礫処理を受け入れることを義務づける様な、強い政治的指導力が必要だと報道し出して、ようやく政府にこの瓦礫処理に対する関係協議の場がスタートするといった具合である。

 溜息混じりに書かざるを得ないテーマだが、放射性物質を含んだ震災瓦礫の大量ゴミの焼却処分を受け入れることもしないで、「絆」なんて言葉を使うことは出来ないのではないだろうか。
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「安全が最優先」

2012年03月09日 | ちょっと可笑しいよ
 東日本大震災、大津波、そして福島原発事故から1年が経とうとしているが、震災と津波に関しては100年に一度かどうかは定かではないが、地殻変動が起こす自然災害であるためになかなか予測は難しいのだが、やたら関西地方でも東南海大地震が発生する確率が高くて、そうした大地震が起きた場合の津波による災害シュミレーションなどをCG等を駆使してテレビなどでは報道している。

 一方、定期検査等によって停止中の原発の再稼動について、例の経済産業省の原子力安全保安院とやらが、ストレステストと称する安全評価をして、その結果が「妥当?」となった場合は、政府が地元自治体の可否を聞いた上で再稼動を決断すると言われている。

 先日、関西電力の福井県大飯原発3.4号機についての原子力安全保安院の「妥当」判断が出たが、今日四国電力の伊方原発3号機についても、ストレステストによる結果を「妥当」との審査書案をまとめ、専門家による保安院の意見聴取会に提示したとの報道があったのだが、最終報告書を今後まとめた上で、内閣府の原子力安全委員会に報告するとしている。

 とにかく、この原子力発電の再稼動については「安全性」についてのとんでもない意見の食い違いが顕著にある中で、いくら「安全である。」と専門家たちが語ったとしても、多くの国民にとっては、「もう騙されない」という気持ちが本当の気持ちであると思われるのだが、電力会社や政府は従来のルールに従った「通過儀礼的」手続きをした上で、原発の再稼動に舵を切りたいらしい。

 あの忌まわしい福島原子力発電所の1~4号機までの第一発電所で起きた「メルトダウン」という最悪の原発事故が起きたにも関わらず、まだ政府、電力会社は「安全が最優先」で進めると言っているのであり、いい加減にしてもらいたいとや思っているのだが、昨日も枝野幸男現経済産業相がテレビニュースのゲストとして招かれてす語ってはいたが、中身の乏しい「安全第一」というスローガン的言葉を繰り返すだけであり、一向に進展しない福島事故の検証や原因究明を待たずして、産業界や電力業界などの大きな利権の犠牲の様な「再稼動」への道だけを耳つめている様子であった。

 ともかく、「安全が最優先」という言葉のオウム返しだけを言っていれば、その内に国民も慣れっこになって、時間の経過と共に、やはり「電力需要」が増す夏場に対応できる体制としての「原発」による余裕の電力供給を再開させたいという気持ちが全面に出ていて、本当に原発立地の地域の人々の安全への祈る様な気持ちや全世界が注目している「原発再稼動」への危惧については語らないままなのである。

 大きな資金が投資され、大きな利権を生む構造を作ってしまった戦後の日本の電力発電構造の中に占める「原発」の割合は全54基を全て稼動させたとしても約2割強に過ぎないのだが、巨額の原発関連事業も含むマネーと関係者が早く再稼動してもらわないと困るといった背景だけが強く政府や電力会社にはプレッシャーの如く迫っている様で、「ストレステスト」も「安全確認」も、ただの「安全である」という先に結果ありきの「通過儀礼」に過ぎないことはお見通しなのである。

 長年の行政体質と共に、企業の体質も同様であり、決して一から検討し直したり、新たなリスクや情報に基づいての再調査や、別な角度や人材を登用してのチェックなどは行われない状態で、テストや調査を行ったと言われても、もう多くの国民は騙されないのである。

 「安全」とは、当然「危なくないこと」、「傷ついたり、壊れたりしないこと」であり、「想定外」という言い訳で、福島原発のメルトダウンに至った大事故を過去のことと払拭して、再び「安全神話」で、原発を再稼動させることなどは当然許せないことなのである。

 誰もが「安全最優先」の生き方を保障されるべきである。
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被災地の現状と課題

2012年03月07日 | とんでもない!
 昨年の東日本大震災から1年が経とうとしているが、東北三県を中心とした被災地の復興は進んでいるとは言い難い状況で、特に大量の瓦礫の処分に関して、全国の都道府県、自治体の協力がなかなか得られず、被災地の復興の都市計画や街づくりの妨げになっているという。

 震災直後から何度も被災地へ個人ボランティアとして行かれている同世代の近くに住む方の話によると、新聞、テレビを中心とした報道は、一周年を前に特集番組が組まれていたり、復興へのエールを贈る様々な活動や動きをマスコミ的に伝えてはいるが、実際の状況は決して明るい話題だけではないという。

 東北三県だけでも大変広範囲な被災地があり、その一箇所や話題のスポットだけが取り上げられているケースが注目されている様だが、実際は多くの溜息と共にとんでもない課題が山積していて、確かに政府の復興庁という名の役所、担当機関は出来たが、現地では殆どその成果が見届けられる状況がないという。

 そんな中で、多くのNPOと称する団体、グループが行き交ったり、支援金や支援物資が突如としてばら撒かれたりしているらしいのだが、自立を目指して頑張っている人たちの中にも、「貰える物はもらわな損」とかいった感じの被災民もいて、NPOと称する団体の中には、その目的や活動が定かではないままに、多くの職員や関係者が右往左往しているところも多くあるというのである。

 つまり、本当に必要な援助や支援が何処に必要か、また実際の経済的困窮度などを計る尺度や手続きが行政的には複雑であったりして大変な部分もあるのだが、一方では「言った者勝ち」たいないい加減な要素もあって、そんないい加減な情報や分配がなされたりしていて、正直者や制度や背景をじっくりと精査できる者にとっては、心痛い現実がまかり通っているというのである。

 日本人はもともと滅私奉公とまでは言わずとも、まず困っている人を優先したり、自分はいいから弱い人、すなわち老いた人や障害のある人、また女性や子どもを優先的に支えてあげてという、とっても心優しい心情を持っている人が多かったはずだし、震災直後は、欧米諸国の人々が感動されるくらいに、「我慢」と「冷静」な被災民として評判だったのだが、一年近く経った現状の中では、「我先に!」といった焦りにも似た困った主張やごね得が出てきているというのである。

 震災直後は、その被災の大きさや厳しさから、すぐには今後の展望や将来を考える気力すら失われたかの様な状態だった人たちも、ようやく少し元気を取り戻されつつある中で、一番の障害はこうした自分勝手な「我先に!」とか「利害を優先」した動きが出てきているというのである。

 何事も冷静さを取り戻した時に、一番人間の本質とでも言うべき素性が発揮されるのだろうけれど、そうした人間の弱さや困っている心情を逆手にとって、自分たちの都合のいい手法ややり方で、義援金や支援の手を差し伸べる人たちの善意を利用する人たちと言ってもいい動きが出ていて、決して被災地は一年を迎えて、本当の暖かい春を迎えるにはほど遠い状態だと感じたと言われるのであった。

 震災、津波被害に原発災害が暗く覆いかぶさってきている被災地では、いろんなデマ情報もあり、特に高齢者や一人で生活している人たちには、ちゃんと個人的に向き合って相談に乗ってくれるボランティアゆカウンセラーが必要だと強く感じたと、その方は仰っていて、十分な支援とは決して「金銭」や「物資」だけではなく、心から寄り添って「共に生きる」ことを良しとする仲間や隣人なのだが、なかなか被災地の仮設住宅や避難場所での慣れない生活では、そうした環境が育っていない様で、孤独な被災民になっている人が多い状態なので、できるだけ「話相手」や「安否確認」のための訪問などを続けていただきたいものである。
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4・3・2・1

2012年03月05日 | 感じたこと
 昨日の日曜日、我が妻も出演する「やましろ合唱フェスティバル」を聞きに行ったのだが、なんと彼女の出演するコーラスグループは3つもあり、午前中の10時半過ぎ、11時半頃、そして午後2時半前との予定となっていたので、私が今まで聞く機会がなかった、何と男性の合唱団のグループにも入っているとのことだったので、そのグループの合唱を10時半過ぎに聞いて帰ったのであった。

 以前から、彼女の合唱熱は相当なもので、以前は自らも発足メンバーとして30年近く歌い続けていた女性コーラスグループと20年近くになる混声合唱団、そしてアカペラを主体とした少人数の男女混合グループの3つで歌っていたのだが、女性コーラスグループは25年目の演奏会で卒業したらしく、こんどは何と男声合唱団にテナー?で参加しているという話だったので、初めて演奏を聞きに行ったのであった。

 男装の麗人?の様に宝塚歌劇団ではないが、男性に混じって我が妻も含む3人の女性も参加しての「男声合唱団」というグループでの演奏だったのだが、外国曲をなかなかいい感じのリズムと歌いっぷりで聞かせていて、とっても楽しませてくれたので、気持ちよく会場を後にしたのだったが、たまたま駐車場を出るところで知人夫妻に会って、その旨を述べると彼女たちも、その男声合唱がとても良かったとお褒めの言葉を残して帰られるところであった。

 我が妻の趣味の世界は「合唱」であり、学生時代から長年の好きな世界であり、いくつでも自分がやりたいだけ歌えばいいと思っているのだが、冗談でよく知人と話す時には、彼女の日常の4割が「合唱」で、3割が「孫や子ども」、そして2割が家庭のことで、残り1割に自分のことが入っているだろうかと自問自答げに話すのである。

 私の言うところの「4・3・2・1」は、実は自分の人生、生活の中での重点的な時間、あるいは関心事に対する気持ちの割合とでも言っていいのだと思うのだが、その100%を大まかに分析してみると、どうなるのだろうということであり、私の場合は4が仕事?、3が家庭、2が趣味、そして1が○○なのかな、と言うことになるのだが、家庭という内容は現在は老いた母の見舞いともいうべき訪問なのである。

 誰にとっても、その年齢や立場、そして家族構成や仕事の忙しさなどとの兼ね合いもあって、徐々に変化もすると思われる「4321」ではあるが、意外とこの四つの割合に照らしてみれば、自分の生活での力の入れようとか重要度が自ずから分かってくるので、一度自分の生活における時間、あるいは関心事に対しての割合を自問自答しつつ分析されてみるのも良いのではないでしょうか。

 実際上の時間や関心事としての割合とは別に、理想とするあるいは夢としての割合もあると思われるので、仕事人間と言われないまでも、できれば趣味と家庭を大事に過ごしたいと思っておられても、なかなか理想通りには時間が割けなかったり、時間は短くとも充実した内容の濃いとでも言うべき、対応や集中力で物事に向かったり接したりできれば、それはそれで良しなのかも知れない。

 私の趣味については、現在はこうしたブログを含むパソコンに費やす時間と、読書とウォーキングとでも言うべき体を動かすことなのだが、春の兆しが高まってきて、外を歩いていてもとても温かな日差しを感じる絶好のウォーキング日和の日も多くなってきたので、いよいよ一日「10000万歩」というウォーキング目標をせめて一週間に二日は達成したいと思っているのである。

 早速だが、今日は月曜日で大阪の母親を見舞いに出かけたのだったが、行きは雨が降っていたので、阿部野橋からチン電に乗ったが、帰りは阿部野橋まで約1500mと最寄のJR駅からも歩いて帰ったために約8000歩を達成、あと2000歩はどうしましょうか。

 
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仕事か趣味か?

2012年03月04日 | ちょっと可笑しいよ
 週末の有機八百屋の準備をしていたら、お客さんから携帯に電話がかかってきたので、お宅に伺っての移動八百屋のための訪問時間の変更かと思って話を聞いてみると、若い奥さんが「いただいたジャガイモの品種は何か?」とのお尋ねであった。

 彼女の話では、「とても美味しくてホクホクしていて、特別な品種かと思った」とのことであったのだが、品種は「男爵」という一番ジャガイモでは定番の普通の品種なのだが、長崎産の特別栽培のジャガイモか北海道産の無農薬のジャガイモかのどちらかだったと答えたのだが、ともかく美味しくて電話したのだと言われたので、とても嬉しく思ったのであった。

 翌日も朝から決まったお客さんの家へと販売に出かけたのだが、今度はキャベツが芯まで甘くて大好評だつたとの感想を聞かされて、昨日、今日と有機・無農薬八百屋をやっていて本当に良かったと改めて感じて大変嬉しく思ったのだが、本当はこういったお客さん、つまり消費者の感想や声を生産者である農家の方々に全て聞かせたいという気持ちになったのであった。

 私の場合は、とっても風変わりとでも言うべき「週末だけの移動販売八百屋」というスタイルの食品販売業というのが現在の仕事の形なのだが、1994年9月の創業ということなので、もう18年目という八百屋さんとしてもベテランの域に達している?かもしれない年月だけは経過しているのだが、果たして立派に「仕事だ」と言えるのだろうか。

 八百屋を始めたきっかけについては以前にもブログで書いたと思うのだが、地元の地方議員に当選して議員としての仕事を本業というか生業として生計を立てる形になったのだったが、議会議員の主な集中的な仕事場としての忙しい時期は、たいていは3・6・9・12月の年四回の定例議会が開催される前後であり、それ以外の月日は毎週、毎日出勤したり議会の仕事があるわけではないので、生活者住民の一人として「生活者の声」を聞き、「問題提起」をするきっかけとしても役立つとの思いから始めた面があったので、あまり採算や儲けなどは度外視しての自営だったのである。

 そのためもあって、目標は「赤字だけは出さない!」という経営理念と共に「お客さんにも喜んで貰うと同時に自分の家庭での食卓にも安全で美味しい食材を」という二兎を追う形での「有機・無農薬農産物と無添加食品販売」という自営というスタイルになったのであった。

 しかし、この18年間に及ぶ「やおやガリバー」の毎年の青色申告決算によると、目標通りに「利益が出た」という年は一年目だけであり、それ以降は当然仕入れ代金だけではないが、ガソリン代、水光熱費、電話、FAXなどの連絡費、運送費、そして年末にお届けするお客さんへの感謝のカレンダー代などの諸経費に雑費が支出されるので、ほぼ純利益は無くなってしまう程度の売り上げになっていて、私自身の労働に対する給料とでも言える「儲け」は無いという状況が続いているのだが、私はこれで十分満足しているのである。

 何と言っても自家使用という形で私と家内の二人世帯の食品のたぶん約8割り近くを賄えているだろうし、近くに住む娘家族の食卓にも私の八百屋の残り物とは言え、美味しくて安全な食品が相当量、「仕入れ」という名称で届けられていたり、娘が取りに来たりして活用されていると思うので、目には見得ないお金には換えがたい利益とでも言うべき特典がいっぱい付いているのである。

 その上に、自分自身の仕事としての軽労働?による健康維持や毎週の生活リズムの軸としての週末八百屋に対する準備、発注、その他の雑用などもあるのだが、何よりもお客様との会話や喜んでいただく笑顔や反応に、どれほど私自身が元気や生き涯を感じさせて貰っているかを思えば、仕事というよりも趣味、もしくは道楽と言った方が言いえているのかも知れない。
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弥生三月、雛祭り。

2012年03月03日 | 季節の話題
 今日は女の子の節句、「雛祭り」の3月3日で、春の日差しをとても温かく感じる半日だった。

 朝、八百屋でお客さん宅に伺うと、おしゃまな小学一年生の女の子が玄関先に何と晴れ着姿で登場し、とても嬉しそうにしていたので、「何処へお出かけ?」と本人に尋ねていたら、おばぁちゃんが「今日は雛祭りですから」との返答が返ってきた。

 そういえば、私の自宅でも娘はとっくに嫁いでいるので、娘は居ないのだが二月の節分が過ぎると、ささやかではあるが一対の「お雛様」が飾られていて、春待ち遠しい感じてあったのだが、やはり私たち男性にとっては特に感慨も少ないせいか、今朝は忘れていたのであった。

 あるご家庭に伺うと、娘さんがおられるのだが若いお母さんがお忙しくて、まだ「お雛様」を出されていないらしく、娘のためにも急いで今日だけでも出して飾って明日には片付けなければと仰っていて、何とも忙しいお雛祭りとなるらしいと思ったのだが、「ちらし寿司」だけは夕食に準備して、ささやかでも娘さんの成長と無事を祈るのだと言われていた。

 我が家でも夕飯には、「ちらし寿司」が用意されていて、私もお相伴に預かったというべきなのだが、日本では昔からお祝い事やめでたいことがあったら、お寿司を食べるか赤飯を炊くという習慣があったので、やはりお雛祭りは「祝い事」なのだと改めて思ったのである。

 この「お雛様」だが、実はお内裏様とお姫様と歌でも歌われている様に、普通は左側に内裏様、右側にお雛様を並べるのだそうだが、これは向かって左側が上位とされる慣わしから、天皇、皇后両陛下がお立ちになる場合も、向かって左側に天皇が、そして右側に皇后が並ばれるというルールになっているたいなのと同じである様だが、関西地方では反対に位置する場合もあるという。

 またお雛祭りの三月三日というのも、何時から始まったのかは定かではないのだが、旧暦の三月三日であった節句の習慣が明治時代以降の太陽暦の採用で、現在の三月三日になったために、地方によっては未だに旧暦の三月三日を踏襲する意味と共に、東北、北海道、北陸地方などでは雪解けを感じる四月の三日に「雛祭り」をするという地域もあるたいである。

 この「雛祭り」は、女の子たちの成長と幸せを祈っての伝統行事として続いているわけだが、古い時代は人形自体が子どもの頃の遊び道具として女の子たちのおもちゃとして大切に扱われていたというのだが、何故か天皇、皇后、そして宮中に仕える「三人官女」や和楽の「五人囃子」などの暖飾りの人形を見ていると、何とも可笑しいことも感じるのである。

 いくらおもちゃが少なかった時代とはいえ、天皇、皇后を初めとする人形をおもちゃとして遊ぶという習慣が何時頃からうまれたのであろうか。庶民にとっては憧れなのかそれとも雲の上の宮中の人たちを手にとって遊ぶという世界が、「雛人形」であり、お雛祭りも、庶民にとっては憧れの煌びやかな世界の模倣というべきか、真似っこだったのだろうか。

 余談ですが、1980年代に大阪の国道沿いなどに「333」と「スリースリー」という屋号の「うどん屋」があって、時折外食で寄ったことがあったので、何故「333」なのかと尋ねたら、社長の誕生日が「昭和3年3月3日」だからという奇妙な返答が記憶に残っているのだが、今はこの「333」のチェーン店は無くなってしまったのだが、私の友人の子どもさんも男の子で3月3日生まれだとのことなので、少し心配になっているのです。

 国民の休日、祝日を検討する段階で、3月3日も祝日にという案もあったらしいのですが、日本列島は南北に長く、まだ三月とは云え、北陸、甲信越から東北、北海道は積雪多い冬真っ最中といった時期でもあるので、やはり五月五日の端午の節句を「子どもの日」として祝日としたというのです。
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