昨年の東日本大震災から1年が経とうとしているが、東北三県を中心とした被災地の復興は進んでいるとは言い難い状況で、特に大量の瓦礫の処分に関して、全国の都道府県、自治体の協力がなかなか得られず、被災地の復興の都市計画や街づくりの妨げになっているという。
震災直後から何度も被災地へ個人ボランティアとして行かれている同世代の近くに住む方の話によると、新聞、テレビを中心とした報道は、一周年を前に特集番組が組まれていたり、復興へのエールを贈る様々な活動や動きをマスコミ的に伝えてはいるが、実際の状況は決して明るい話題だけではないという。
東北三県だけでも大変広範囲な被災地があり、その一箇所や話題のスポットだけが取り上げられているケースが注目されている様だが、実際は多くの溜息と共にとんでもない課題が山積していて、確かに政府の復興庁という名の役所、担当機関は出来たが、現地では殆どその成果が見届けられる状況がないという。
そんな中で、多くのNPOと称する団体、グループが行き交ったり、支援金や支援物資が突如としてばら撒かれたりしているらしいのだが、自立を目指して頑張っている人たちの中にも、「貰える物はもらわな損」とかいった感じの被災民もいて、NPOと称する団体の中には、その目的や活動が定かではないままに、多くの職員や関係者が右往左往しているところも多くあるというのである。
つまり、本当に必要な援助や支援が何処に必要か、また実際の経済的困窮度などを計る尺度や手続きが行政的には複雑であったりして大変な部分もあるのだが、一方では「言った者勝ち」たいないい加減な要素もあって、そんないい加減な情報や分配がなされたりしていて、正直者や制度や背景をじっくりと精査できる者にとっては、心痛い現実がまかり通っているというのである。
日本人はもともと滅私奉公とまでは言わずとも、まず困っている人を優先したり、自分はいいから弱い人、すなわち老いた人や障害のある人、また女性や子どもを優先的に支えてあげてという、とっても心優しい心情を持っている人が多かったはずだし、震災直後は、欧米諸国の人々が感動されるくらいに、「我慢」と「冷静」な被災民として評判だったのだが、一年近く経った現状の中では、「我先に!」といった焦りにも似た困った主張やごね得が出てきているというのである。
震災直後は、その被災の大きさや厳しさから、すぐには今後の展望や将来を考える気力すら失われたかの様な状態だった人たちも、ようやく少し元気を取り戻されつつある中で、一番の障害はこうした自分勝手な「我先に!」とか「利害を優先」した動きが出てきているというのである。
何事も冷静さを取り戻した時に、一番人間の本質とでも言うべき素性が発揮されるのだろうけれど、そうした人間の弱さや困っている心情を逆手にとって、自分たちの都合のいい手法ややり方で、義援金や支援の手を差し伸べる人たちの善意を利用する人たちと言ってもいい動きが出ていて、決して被災地は一年を迎えて、本当の暖かい春を迎えるにはほど遠い状態だと感じたと言われるのであった。
震災、津波被害に原発災害が暗く覆いかぶさってきている被災地では、いろんなデマ情報もあり、特に高齢者や一人で生活している人たちには、ちゃんと個人的に向き合って相談に乗ってくれるボランティアゆカウンセラーが必要だと強く感じたと、その方は仰っていて、十分な支援とは決して「金銭」や「物資」だけではなく、心から寄り添って「共に生きる」ことを良しとする仲間や隣人なのだが、なかなか被災地の仮設住宅や避難場所での慣れない生活では、そうした環境が育っていない様で、孤独な被災民になっている人が多い状態なので、できるだけ「話相手」や「安否確認」のための訪問などを続けていただきたいものである。
震災直後から何度も被災地へ個人ボランティアとして行かれている同世代の近くに住む方の話によると、新聞、テレビを中心とした報道は、一周年を前に特集番組が組まれていたり、復興へのエールを贈る様々な活動や動きをマスコミ的に伝えてはいるが、実際の状況は決して明るい話題だけではないという。
東北三県だけでも大変広範囲な被災地があり、その一箇所や話題のスポットだけが取り上げられているケースが注目されている様だが、実際は多くの溜息と共にとんでもない課題が山積していて、確かに政府の復興庁という名の役所、担当機関は出来たが、現地では殆どその成果が見届けられる状況がないという。
そんな中で、多くのNPOと称する団体、グループが行き交ったり、支援金や支援物資が突如としてばら撒かれたりしているらしいのだが、自立を目指して頑張っている人たちの中にも、「貰える物はもらわな損」とかいった感じの被災民もいて、NPOと称する団体の中には、その目的や活動が定かではないままに、多くの職員や関係者が右往左往しているところも多くあるというのである。
つまり、本当に必要な援助や支援が何処に必要か、また実際の経済的困窮度などを計る尺度や手続きが行政的には複雑であったりして大変な部分もあるのだが、一方では「言った者勝ち」たいないい加減な要素もあって、そんないい加減な情報や分配がなされたりしていて、正直者や制度や背景をじっくりと精査できる者にとっては、心痛い現実がまかり通っているというのである。
日本人はもともと滅私奉公とまでは言わずとも、まず困っている人を優先したり、自分はいいから弱い人、すなわち老いた人や障害のある人、また女性や子どもを優先的に支えてあげてという、とっても心優しい心情を持っている人が多かったはずだし、震災直後は、欧米諸国の人々が感動されるくらいに、「我慢」と「冷静」な被災民として評判だったのだが、一年近く経った現状の中では、「我先に!」といった焦りにも似た困った主張やごね得が出てきているというのである。
震災直後は、その被災の大きさや厳しさから、すぐには今後の展望や将来を考える気力すら失われたかの様な状態だった人たちも、ようやく少し元気を取り戻されつつある中で、一番の障害はこうした自分勝手な「我先に!」とか「利害を優先」した動きが出てきているというのである。
何事も冷静さを取り戻した時に、一番人間の本質とでも言うべき素性が発揮されるのだろうけれど、そうした人間の弱さや困っている心情を逆手にとって、自分たちの都合のいい手法ややり方で、義援金や支援の手を差し伸べる人たちの善意を利用する人たちと言ってもいい動きが出ていて、決して被災地は一年を迎えて、本当の暖かい春を迎えるにはほど遠い状態だと感じたと言われるのであった。
震災、津波被害に原発災害が暗く覆いかぶさってきている被災地では、いろんなデマ情報もあり、特に高齢者や一人で生活している人たちには、ちゃんと個人的に向き合って相談に乗ってくれるボランティアゆカウンセラーが必要だと強く感じたと、その方は仰っていて、十分な支援とは決して「金銭」や「物資」だけではなく、心から寄り添って「共に生きる」ことを良しとする仲間や隣人なのだが、なかなか被災地の仮設住宅や避難場所での慣れない生活では、そうした環境が育っていない様で、孤独な被災民になっている人が多い状態なので、できるだけ「話相手」や「安否確認」のための訪問などを続けていただきたいものである。