ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

アラフォー選手が元気!!!

2009年05月12日 | プロスポーツ
 今年のプロ野球ペナントレースは、セリーグでは巨人が好調に首位をキープし、パリーグでは何と楽天が首位を走るという番狂わせで、約一ヶ月半が過ぎた。

 我が愛する阪神タイガースは、真弓新監督の指揮の下でアニキ金本知憲選手の絶好調ぶりは目立つものの、どうも調子に乗れず、いまだ五割に届いたかと思えば、また借金をする生活に逆戻りという低迷振りで、少しファンをガッカリさせている。

 そんなむ中で、今晩の甲子園球場での対広島カープ戦では、もうすぐ41歳になるというベテラン左腕の下柳投手が二安打完封ペースで九回を投げきった後、同じく41歳になった金本アニキが九回裏の攻撃で先頭打者としてバッターボックスに入って、劇的なレフと観覧席に入る9号ホームランを放ち、サヨナラ勝ちを演じた。

 阪神ファンならずとも、41歳になる投打のヒーローに拍手喝采し、緊迫した投手戦を制した二人の立役者のプロ野球選手としては高齢な金本と下柳に驚くばかりである。

 しかし、ここ数年プロ野球界での「アラフォー世代」の活躍には目を見張るものがあり、その日本人選手としての筆頭は、横浜ベイスターズで現役で活躍する工藤公康投手であり、なんと46才のおっさんである。

 続いて43歳の小宮山悟投手(ロッテ)、山本昌投手(中日)とつづき、40才では、ローズ(オリックス)、山崎武司(楽天)、木田優夫(ヤクルト)らも活躍している。

 阪神タイガースでは、現在故障中で一軍復帰が待たれる、矢野輝弘捕手もいて、金本、下柳、矢野がそろえば、アラフォー三人衆としてのトリオで甲子園球場での「お立ち台」がまた実現する日も近いと思われる。

 その予行演習の如く、先日は下柳投手が勝利に貢献したヒーローインタビューに一人で登場し、「心細いです」と語ってたくさんのファンの喝采を浴びていたし、今晩は金本選手が一人でお立ち台に上がり、勝利の喜びを語りながら少し寂しそうであった。

 それにしても金本知憲外野手は、41歳の誕生日を迎えた4月3日の開幕ゲームで、絶好調の二打点を上げる活躍で今期の口火を切って、4月当初のゲームで、二試合も三本のホームランを打つという離れ業をやってのけて、断然トップの成績で、四月のセリーグ月間MVPに選ばれるという大活躍をしたのである。

 景気低迷の日本の経済界、また政治の混乱、不信感が渦巻く昨今の中で、こんなにも「ガンバッテイル」という姿と成績を示してくれる、プロ野球界の「アラフォー選手」たちに、ほんとうに拍手喝采をおくりたい心境である。

 願わくば、このアラフォー世代選手たちに刺激を受けて、若手や中堅選手たちも、自らの選手生命をかけての思い切ったプレイを通して、私たち野球ファンだけでなく、日本中の元気のない輩たちを励ましつつ、「みんな元気に頑張ろう」とのエールを送ってほしいものである。

 プロ野球の大好きな国民の多い日本。アラフォー選手たちが日本を明るく元気にするひとつの大きな要素になると言っても過言ではないだろう。

 
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小沢一郎代表辞任。

2009年05月11日 | 感じたこと
 やっと民主党の小沢一郎衆議院議員が代表を辞する決断をしたニュースが「号外」まで出て、今夕に全国に伝わった。

 「小沢一郎」という政治家は、1942年生まれの66歳で、ご他聞にもれない二世議員の一人で、小沢佐重喜衆議院議員を父に東京で生まれだが、父の郷里岩手県水沢市、現在の奥州市で三歳から十四歳まで生活し東京移住後、小石川高校を卒業し、父と同じ弁護士を目指して東大を志望したが、2年間浪人して断念し、慶応大学経済学部、日本大学大学院法学研究科と進学した。

 大学院在学中の1969年に、父の急死に伴い旧岩手二区から衆議院選挙に自民党公認で立候補し、27歳の若さで当選し、この総選挙を党幹事長として指揮した田中角栄の木曜クラブ、後の田中派に所属し、田中手法の政治の薫陶を受けた人である。

 その後は竹下派の勉強会、創政会を経て、経世会(竹下派)の七奉行のの一人として活躍し、第一次海部内閣時代には、党幹事長に就任して、苦戦が予想された衆議院選挙で、経団連傘下の企業から選挙資金300億円を集めて勝利したことから、自民党の若き「剛腕」と称された。

 その後、首相最有力候補と言われた時期もあったが、1993年5月に著書「日本改造計画」を発表し、政治家の著作としては異例の70万部の大ベストセラーとなり、小沢の政策、政見を広く国民に初めて問うものであった。

 1993年6月、宮沢内閣不信任、解散後に武村正義らの新党さきがけの結党離党の流れに乗って、自民党を離党し新生党を結成し幹事長にあたる党代表幹事に就任し、日本新党代表の細川護煕氏を首相にと非自民勢力の結集に尽力した。

 その後も政争の影に常に小沢ありといわれるような実力者として活躍し、小沢外しや小沢崇拝など極端な実力者として、賛否両論、好き嫌いが折衷する政治家のひとりとなった。

 1994年9月には「新進党を結成」したが、96年の総選挙での敗北がきっかけで批判を浴び、97年12月には公明党や民社党との合体や保保連合などの画策後、新進党を解党し、自由党を結党し与党を復帰を試みようとした。

 2002年の衆議院選挙後に、民主、自由両党の合併を協議し、最初は小沢への拒否反応が強かった民主党だったが、2003年9月に正式に合併し、今に至ったわけであり、小沢一郎の政治家としての変遷と剛腕ぶりは、やはり保守政権下での政治力に表れていた。

 今回の突如の「代表辞任」というニュースも、小沢流の計算尽くされた「読み」からの決断であると思われるが、もうすぐ67歳になる小沢一郎にとっては、最後の「大芝居」を打ったと見た方がよいだろう。

 この夏に行われる衆議院の総選挙を前に、最後の賭けに出た「小沢」の策と読みが吉と出るか凶と出るかは、国民、有権者が握っている各一票に託されているのである。

 遅きに感じる小沢辞任で、シャッフルされた新生民主党の誕生と若きリーダーシップが出て、本当の国民主体の責任政権を作っていただきたいものである。

 
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アレルギーとアトピー。

2009年05月10日 | 感じたこと
 皆さん方の中にもアレルギー体質の方もおられるたろうし、子どもさんにアトピーの症状、すなわち皮膚の炎症が出る方もいると思います。

 数十年前からアレルギーやアトピーについて知っていたつもりですが、アレルギーとアトピーを混同している場合もあって、食物アレルギーの症状の赤ちゃんを持つママから、アトピーとアレルギーって同じ意味ですか? - 教えて!というメッセージをいただきました。

 いわゆる「アレルギー」といわれる歴史は相当古く、古代エジプトの文献や古代ギリシャの文献にも記述があるそうですが、「アトピー」とは、ギリシャ語で、「不思議なもの・奇妙な」という意味の言葉だそうです。

 しかし、現代医学上では「アレルギー」という言葉は、1906年にウイーンの小児科医であるピルケーという方が提唱した言葉で「免疫反応の異常」あるいは「敏感な反応」のことです。

 それではどう違うのかというと、おおまかな言い方ではアレルギーは、触れたり食べたりしたものを排除しようとする反応のことであり、アトピーは、アレルギー反応の症状の一部で皮膚の炎症のことを指します。

 すなわち、花粉症はアレルギー反応ですが、アトピーではありません。

 喘息もアレルギーですが、アトピーではありません。

 そこで、たとえば「卵アレルギー」の子供がいて、喘息を起こしたり戻したりするのは「アレルギー反応」なのですが、顔や手足の皮膚が赤くなったり痒くなって我慢できなくなる症状はアトピーといえるのではないでしょうか。

 結局、アレルギー症状の一部がアトピーという皮膚炎なのですが、デリケートな感情でケアに明け暮れている若いママさんの場合、ちょっとした言葉の行き違いから心情を害することもあるようです。

 それでは「いったいどう違うの?」と聞かれた疑問に対しては、専門家の間では厳密な区分けがされている様ですが、一般的には混同されて使用されている言葉になっています。

 厳密な意味の違いとしては、

 「アレルギー」は、ある物質に対して、普通とは異なった身体に有害で過敏な反応を示すこと。 ex.花粉症、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、食物アレルギーなど。

 「アトピー」は、遺伝的に血液中のIge抗体の値が高く、アレルゲン皮膚テストは陽性であり、遺伝や体質が深く関係している状態を示す。ex.気管支喘息、アトピー性皮膚炎など。

 ただし、その原因としては各種多様なものが上げられており、埃、ダニなどのハウスダストや食物アレルギーからくるものがあります。

 特に幼い乳幼児における「アレルギー症状」や「アトピー性皮膚炎」においては、専門医や薬局などで相談しながら、対症療法としての対応とダスト、食品などの原因物質の究明に時間がかかる場合が多いですが、気長にゆっくりと付き合いながら体力と成長を待ちながら、除去食や代用食を試みましょう。

 
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長い夏がやってきた。

2009年05月09日 | 季節の話題
 ゴールデンウィークが終わると、何と一足先に「夏がやって来た!」って感じの気温の上昇ぶりに驚くやら、あきれるやらの今日一日であったが、明日はもっと暑くなり、ひょっとすると30度を越す真夏日となるかもしれない。

 それにしても昨日などは、北海道で30度を越す地域が出現し、何と海水浴の真似事をする人まで現れて、南の沖縄の気温よりも北の北海道の気温の方が高いという珍現象となった。

 ここ十数年の「異常気象」とやらは、ある気象専門家筋に言わせれば、「異常ではなく」、これが普通なのだそうで、昭和30年代から50年代頃の安定した、四季の移り変わりや穏やかな気温の上昇や下降の方が異常だったのだと言われている。

 地球環境が人類の特に20世紀後半からのエネルギー消費を中心とする経済活動が原因で、大きく変化して「気候の変動」をきたしているとも言われているが、人類の経済優先の活動だけでなく、宇宙の変化もあると推測されている。

 いずれにせよ、今年の三分の一の月日が、すでに過ぎたわけだが、暦の上では、「立夏」と呼ばれる日、すなわち五月五日が過ぎたので、もう「夏の風情」が出てきても不思議ではないのだが、昨日の最高気温や最低気温を十度近く急激に上回る気温になったので、びっくりした人も多かっただろう。

 それでなくとも「花粉症」などで鬱陶しい春を過ごした人々にとっては、ここ二週間ほどは例の「新型インフルエンザ」騒ぎで、不安な日々を送っていた直後に、今度は「真夏の様な暑さ」に急に見舞われるとは思ってもみなかったので、体調を崩す人も出たことだろう。

 特に高齢の方々や幼い乳幼児は「体温調節」が上手にコントロールできない人もいるので、インフルエンザだけでなく、「風邪に注意」が必要である。

 そんな中、昨日ちょっと面白いラジオのコメントを聞いたのである。

 日本の四季の移ろいの中で、実は暦の上でも「夏が一番長い」というのである。

 何故にそんなことが言えるのかと思ったのだが、実は「暦の上」では、立春、立夏、立秋、立冬という「季節の分かれ目」があって、365日もしくは366日の一年を四分割すれば、一つの四季、すなわち春、夏、秋、冬、それぞれが等分されていれば約91日か92日なのだが。

 実は、立夏(5月5日)から立秋(8月7日)までを「夏」とすると、何と94日もあり、他の季節と比べて断然長いのだというのであった。

 ほんの二日か三日のことだが、暦の上でも「一番長い季節が夏」と言われると、なるほどと思ってしまうほど、私たちのここ十数年の「夏」を感じる月日がとにかく長いことだけは確かである。

 早ければ3月にも「夏日」と称される25度以上の日が存在するし、一般的には「残暑」と言われる時期も、9月だけでなく10月に及んでも「暑さが残る」ことも結構あると思われる。

 何と長ければ半年近くが「夏」を思わせる日を感じるほどの数年が続いていて、春と秋という多くの人々が愛し、大好きな季節は極端に短く、あとは「冬」なのである。
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いまどきの大学生。

2009年05月07日 | 日本の課題
 ゴールデンウイークが終わって、いわゆる「五月病」といわれる新社会人や大学生にとっての4月にスタートしてからの新生活の一ヶ月がようやく過ぎて、果たして「慣れたのか」または「ぼやっとしてしまった」定かではないが、なんとも「目的」や「モチベーション」を失った感のある若者が相変わらず多くいるみたいである。

 多かれ少なかれ、日本の「大学進学率」は、先進諸国の中でもトップクラスの率を誇り、今や「猫も杓子も」大学へと進学する時代であるが、「何のために大学に行きたいのか」問えば、何も勉強したいとか研究したいとかいう目的や気持ちがあるのではなく、ただ「いい就職のために」、とりあえず「大学くらい出ておかないと」と言った感じの大学生が多いのではないだろうか。

 小中学校の時代から、「いい高校に行く」ために勉強、すなわち「受験に強い学習」を学校だけではなく、放課後や土日、祝日までも「学習塾」などに通って勉強しているのは、決して「勉強が好き」なのではなく、「いい大学へ進学」するための「スキル」、すなわち術を学んでいるのである。

 というわけで、彼らの大半は「勉強や研究」というテーマに特に興味があるのではないので、「有名大学」や「希望の大学」、しかも自分たちが憧れたり研究したい課題や専門に対して目指した大学とは限らない、偏差値による自分たちの入学可能な大学を選ばされているだけなのである。

 結局、日本の高校教育までのカリキュラムとしての学習過程があるのだが、ほとんどが「大学入学のための」記憶と試験勉強に集約されてしまって、「自分は何に興味がある」とか「何について研究したい」とかいう学生はほんの一部に過ぎなくなっているのである。

 だから、彼らが大学に入学したら、初期の目的である「大学に入る」ことは叶えられたわけで、しばらくは「腑抜けの殻」や「何を目的に学ぶのかわからない」存在となってしまう場合が多々あるのである。

 なのに、彼らは高い授業料を払っている親、保護者に恐縮してか、まじめ過ぎるほど授業には出席するのだが、自ら質問したり先生を困らせる様な問題提起や研究する気持ちはさらさらないのである。

 ゴールデンウイークの最中でも日、祝日以外の講義は、先生が「休講」すると「授業料を払っているのに何故休講するのか」と先生に抗議したり、休まず学校へやってくるのだが、さして積極的な受講態度や問題提起はほとんどないと言う。

 いまどきの大学生に限らず、日本の大学生の受講態度はまるで中高生と変わらぬ「受身的な姿勢」で、やもすれば「先生、それ試験に出ますか」とか「資格を取れば就職に有利ですか」とかいった「目先の実利的手法や策に行動が限定」されている場合が多いと、知人の大学教員が話していた。

 最近の大学教育も変化せざるを得なくなって、一般常識や社会的儀礼、挨拶、電話や訪問時のマナーなどといった最低限、就職への社会人の常識なども教えざるを得なくなっているらしく、研究や課題を与える以前の幼稚さ、つまり大学教育以前のテーマが不可欠となっているというから驚きである。
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騙されるな甘い罠。

2009年05月06日 | 日本の課題
 「百年に一度の大不況」とやらで、麻生内閣は「景気回復優先」を掲げて、追加経済対策と称して10数兆円の補正予算を組んで、庶民に「政府の施策」の大判振る舞いを宣伝しようとしている。

 昨年秋以来の話題の「定額給付金」とやらを皮切りに、このゴールデンウイークで本番を迎えた「有料道路の限定千円制度」、そして「エコカー取得の減税」など、各種の庶民?の喜びそうな目先の「バラマキ施策」が目白押しである。

 しかし、「定額給付金」とやらは、政府の特別会計の埋蔵金と称される蓄積財源から2兆円あまりが支出されるらしいが、全て今までの国民の血税を無駄に溜め込んだものに過ぎない。

 また今回の「有料道路千円ポッキリ」施策についても、民営化された各道路公団ごとに税金が補填されることになるので、さらに「国債」という名の借金が未曽有に拡大して、将来に付けを残す形である。

 「エコカー取得補助金」と称する取得税や重量税の減税についても、結局歳入が減った分は、国債や予備費で賄う形になるので、まったく私たち庶民、納税者の負担は減らないばかりか、すでに既成の事実になりつつある「消費税の増税」などによる近いうちの国民の負担による「前倒し」のちょっとした「喜ばし術」なのである。

 多くの国民、庶民が「定額給付金」と「千円高速」にオドロされて、この春から初夏に「ちっぽけな消費拡大」を手伝わされたに過ぎないわけで、決して抜本的な「景気回復」や「経済の再構築」などにはなっていないのである。

 にも関わらず、「定額給付金」をいただいたお年寄りが、政府や行政に感謝と賛意を表していたり、「高速千円」を手放しで賛美している人がいたりして、マスコミが取り上げるので、政府は一時の「内閣支持率の低迷」を脱して、麻生首相も河村官房長官も上機嫌である。

 されど、「騙されてはいけない」。

 この目先の「甘い罠」は、ちょっと考えればすぐにわかるだろうが、権力を握っている政府の「国民の税金」を少し弄んで庶民を喜ばすという、典型的な仕掛けなのである。

 たった一人一万二千円、未成年者と65歳以上の高齢者には一人二万円という、一時金の支払いで、生活や仕事の状況がどう変わるというのだろうか。

 高速千円で喜んで車で外出したものの、結局ガソリン代、外食代など経費もかかって、疲れて帰った大人たちは、御和算で願って、どれほどの得をしたと言えるのだろうか。

 「エコカー」に至っては、なんとも「地球環境への負荷」を少なくするための貢献と称されて、さほど意味のない高価な次世代型電気ガス併用自動車を買わされるという、大企業の不況対策への協力策に過ぎないのだ。

 他にも、本当に中小企業や零細企業の経営不振の状況への援護策となるのだろうかと思える各種施策が、これからの庶民の生活のバックボーンである、就業、賃金の安定に寄与するかどうかは、全く不明である。

 いずれにせよ、庶民は騙されてはいけない。総選挙前の「あめ玉」に。
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讃岐うどん。

2009年05月05日 | 季節の話題
 「千円高速有料限定」につられて昨日早朝に家を出て、近くの八幡東インターから、第二京阪、京滋バイパス、名神、中国、山陽自動車道を経て、四国へと車を走らせた。

 奥さんが「四国には行ったことがない」と言っていたので、彼女にとっては初めての「四国行き」となったが、これも昨今ブームの「讃岐うどんを食べる」をテーマに明石海峡大橋を渡った。

 「千円高速」のはずが、なぜかNEXCO西日本と本四架橋の道路公団系列が違うためか、有料道路料金は千円ポッキリではなく千円と千八百円、つまり香川県の高松まで約二百数十キロを三時間余走って、〆て2800円だとETCは示した。

 明石市から淡路島を経て徳島県鳴門市に入って最初のサービスエリアで休憩を取ったのだが、早朝の六時半頃なのに駐車場は満車、さすがの「千円高速」の魅力に踊る利用者が多いことを実感した。

 高松では、情報誌にも乗っていた「さぬきうどん屋」に早速飛び込んで、まず一食目の「うどん」を食べたが、さほど「うまーい」と感じるほどでもなく、「こんなもんか」と平らげた。

 早朝にも関わらず、「讃岐うどんブーム」で、若い女性グループや家族連れなどの客層の人たちの出入りが多く、切り盛りしている老いた夫婦と思われる店の人は早くも「てんわわんや?」であった。

 せっかくだからと四国の名園「栗林公園」に立ち寄ったが、なんと五時半から開園していると知って驚きながら、県営の庭園のお世話をされる人々のご苦労と「松」を中心とする緑の美しさに感銘を受けた。

 続いて車を走らせたのは、「讃岐うどんブーム」の元祖と言われる「山越」という「うどん屋」だったのだが、田舎町のうどん屋に近づいた時に異状には気づいたが、道路から奥まった場所に店があるのだろうが、路上には車があふれ、駐車スペースには警備員がいて、なんと長蛇の人の列が延々三百メートル以上続いていたのであった。

 たかが「讃岐うどん」。されど「さぬき饂飩」である。こんなにもたくさんの人たちが全国各地から「千円高速」の特典はあるとは言え集まっているとは「驚き」であった。

 たぶん最後列に並んでも三時間近くはかかるだろう行列を横目に、なんとも言えぬ意外な光景にシャッターを押しつつ、私たちは素通りして別の「うどん屋」を目指していた。

 情報誌やインターネットで得た有名店は何処も同じ現象になっていて、「ブームの真髄?」を知らされることとなった。

 それから二食目、三食目と「讃岐饂飩」に挑戦したのだが、もひとつ満足する「讃岐の味」には出くわせなかったが、最後に坂出駅構内の「讃岐うどん」で一応、満足する味に出会えて、瀬戸大橋を経ての帰路につくこととなった。

 夕刻の五時頃に瀬戸内海の与島PAに寄る頃から渋滞の模様が出て、京都の自宅に帰還したのは何と十時半を回っていた。

 饂飩代〆て4千円、高速代も約4千円、土産代が五千円、ガソリン代約7千円。計2万円の出費、約650キロの疲れたドライブであった。
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忌野清志郎の死。

2009年05月03日 | テレビマスコミ
 今朝のトップニュースは、あのロックミュージシャン忌野清志郎さんの訃報だった。

 確かにRCサクセション以来のユニークな音楽活動を通じて、多くの人たちの耳と目に焼きついたロックミュージシャンのひとりであったことは間違いない。

 しかし、各局、各ニュース番組までもが、「清志郎さん」の死を悼むニュースをトップに近い取り上げ方で報道するのは、少し違和感を感じた。

 私自身は約40年近く前に、東京のライブステージで、初めてRCサクセションを聞いたのだが、「僕の好きな先生」というデビュー曲的なヒット曲が喝采を浴びてはいたが、それほどまでの人気と長寿のバンドになるとは思ってもいなかった。

 でも忌野清志郎さんの独特の搾り出すようなだみ声のボーカルのユニーク性と反体制的な、しかもセクシャルな内容を髣髴させるような歌詞の数々に、少しドキドキしながら、放送禁止や発売禁止にならないかと気をもんでいた。

 そんな少し過激な歌詞やパフォーマンスも、時代が変化したのか、放送局や人々が寛容になったのか、すれすれの問題歌詞も何とかクリアして、結構オンエアされるに至っており、じわじわと人気が出てきたようだった。

 あるテレビ番組では、忌野清志郎のことを日本のミックジャガーだと称していたが、果たして「ローリングストーンズ」のような衝撃的なミュージシャンやバンドだったのだろうかは、私自身は半信半疑である。

 それにしても、数十年前ならなかなか受け入れられなかったミュージシャンの一人であった忌野清志郎というロックミュージシャンの死が、現代になっては偉大な音楽家の死として、たくさんのコメントやお悔やみの言葉に包まれているのは、なんとも奇妙なのである。

 いつの時代にも、私の感覚的には、「ロックミュージシャン」なる音楽家は、時代の多くの聴衆やファンをつかむどころか、マイナーであっても熱い一部の支持者たちに支えられての過激かつユニークな活動家であったはずである。

 テレビに取り上げられて、ドラマにも出演し、あのユニークな衣装とメイクで受け入れられた忌野清志郎というミュージシャンは、タレントとしての才能は豊かだったと思うが、果たして真のロッカー、つまりロックミュージシャンといえるのだろうか。

 茶の間の普通のニュース番組や報道で語られる「忌野清志郎」の映像や楽曲の歌詞と比べて、特集されたり語られる人物像や業績に対する故人への評価が、特に間違っているというのではないが、どうも違和感がある感じの報道に終始していたと思ったのである。

 忌野清志郎さんが亡くなったことを告げながらの街頭インタビューで、「名前くらいは知っていますがファンでもないので・・・」と返答したおじさんのコメントが多くの人々の感想ではなかっただろうか。

 現代のマスコミ、テレビは、ちょっとしたニュースや話題を、ほんとに大げさなニュースに作り変えてしまっている様に、今回の訃報に際しても感じたのである。
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公然わいせつ罪。

2009年05月02日 | テレビマスコミ
 昨日、先日「公然わいせつ」容疑で逮捕、拘留され、処分未決定で保釈された、人気アイドルグループ「SMAP」の草なぎ剛が、起訴猶予処分の決定を下されたとのニュースが報道されていた。

 先週末だったか、とんでもないビッグニュースの如く「スマップの草なぎ剛逮捕!」というニュースが日本全国だけでなく、韓国でも大々的に報道され、とんでもないことをしたタレントとして、芸能活動を引退せざるを得ないかもしれないという大げさな推論まで伝わった。

 確かに、酒を飲みすぎて誰もいない真夜中の公園で裸になって大声で叫んでいたこと自体は褒められた行為ではなく恥ずかしい大人らしくない行動だったことは否めない。

 しかし、駆けつけた警察官に「裸のどこが悪い」と食って掛かったとか言われているが、ともかく酒の飲みすぎで醜態をさらす輩は少なくともいるが、警察が保護して一晩泊まらせて、注意喚起して「無罪釈放」されるケースがほとんどである。

 なのに、いくら有名芸能人だったからといっても、この醜態の背景にひょっとしたら薬物使用などが隠されているのではと推測した警察官が、草なぎ剛を逮捕、留置し、すぐに自宅の家宅捜索を行ったというから、とんでもない強権発動以外のなにものでもない、敢えて言えば「やりすぎ」とでも言うべき、警察の行き過ぎた行為であったと思われる。

 なのに一週間経っても、警察権力は自分たちの「非を認めない」ばかりか、自分たちの「面子」だけを守るために、容疑者として逮捕した「草なぎ剛」を「起訴猶予」処分としたのである。

 つまり、今回の逮捕、拘留、、釈放、起訴猶予決定に至った警察の対応、経過は、「行き過ぎた行為」を反省したり謝罪することなく、全く自分たちの行動や対応を正当化する形に終始したのである。

 「芸能人」であったがために、ムヤミナ逮捕、拘留を余儀なくされた上に、警察権力の一方的な家宅捜索まで受けてしまい、その挙句に、マスコミ、テレビ、新聞、雑誌を中心に、とんでもない「誹謗、中傷」まがいな報道までされて、鳩山法務大臣には、「とんでもない人間」とまで批判されてしまったのである。

 いくら、テレビを中心として活動する人気タレントだったとしても、そこまで誹謗、中傷された上に、一方的な謝罪、反省、そして謹慎という、重たい社会的制裁をも受けなければならなかった「大罪」だったのだろうか。

 決して「酒の飲みすぎで裸で騒いだ」行為を賞賛するつもりはないが、誰もいない公園で裸になったことで「公然わいせつ罪」は成立しないし、せいぜい迷惑防止条例違反、すなわち公園のご近所の方々に「大声で真夜中に叫んでいた」ことでの、ご迷惑を誠心誠意「お詫び」すれば済む話だったのである。

 日本の警察やマスコミの「著名人」に対する「嫌がらせ」にも似た、とんでもない越権行為や一方的報道に対して、反論することも難しい立場である彼に同情を禁じえないのである。

 確かに「とんでもない行動」ではあったが、深く反省し仕事に復帰されたいと思うのが多くの人々の思いだろう。
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