ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

いまどきの大学生。

2009年05月07日 | 日本の課題
 ゴールデンウイークが終わって、いわゆる「五月病」といわれる新社会人や大学生にとっての4月にスタートしてからの新生活の一ヶ月がようやく過ぎて、果たして「慣れたのか」または「ぼやっとしてしまった」定かではないが、なんとも「目的」や「モチベーション」を失った感のある若者が相変わらず多くいるみたいである。

 多かれ少なかれ、日本の「大学進学率」は、先進諸国の中でもトップクラスの率を誇り、今や「猫も杓子も」大学へと進学する時代であるが、「何のために大学に行きたいのか」問えば、何も勉強したいとか研究したいとかいう目的や気持ちがあるのではなく、ただ「いい就職のために」、とりあえず「大学くらい出ておかないと」と言った感じの大学生が多いのではないだろうか。

 小中学校の時代から、「いい高校に行く」ために勉強、すなわち「受験に強い学習」を学校だけではなく、放課後や土日、祝日までも「学習塾」などに通って勉強しているのは、決して「勉強が好き」なのではなく、「いい大学へ進学」するための「スキル」、すなわち術を学んでいるのである。

 というわけで、彼らの大半は「勉強や研究」というテーマに特に興味があるのではないので、「有名大学」や「希望の大学」、しかも自分たちが憧れたり研究したい課題や専門に対して目指した大学とは限らない、偏差値による自分たちの入学可能な大学を選ばされているだけなのである。

 結局、日本の高校教育までのカリキュラムとしての学習過程があるのだが、ほとんどが「大学入学のための」記憶と試験勉強に集約されてしまって、「自分は何に興味がある」とか「何について研究したい」とかいう学生はほんの一部に過ぎなくなっているのである。

 だから、彼らが大学に入学したら、初期の目的である「大学に入る」ことは叶えられたわけで、しばらくは「腑抜けの殻」や「何を目的に学ぶのかわからない」存在となってしまう場合が多々あるのである。

 なのに、彼らは高い授業料を払っている親、保護者に恐縮してか、まじめ過ぎるほど授業には出席するのだが、自ら質問したり先生を困らせる様な問題提起や研究する気持ちはさらさらないのである。

 ゴールデンウイークの最中でも日、祝日以外の講義は、先生が「休講」すると「授業料を払っているのに何故休講するのか」と先生に抗議したり、休まず学校へやってくるのだが、さして積極的な受講態度や問題提起はほとんどないと言う。

 いまどきの大学生に限らず、日本の大学生の受講態度はまるで中高生と変わらぬ「受身的な姿勢」で、やもすれば「先生、それ試験に出ますか」とか「資格を取れば就職に有利ですか」とかいった「目先の実利的手法や策に行動が限定」されている場合が多いと、知人の大学教員が話していた。

 最近の大学教育も変化せざるを得なくなって、一般常識や社会的儀礼、挨拶、電話や訪問時のマナーなどといった最低限、就職への社会人の常識なども教えざるを得なくなっているらしく、研究や課題を与える以前の幼稚さ、つまり大学教育以前のテーマが不可欠となっているというから驚きである。
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