ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

何故、八百屋をやってるか。

2007年11月10日 | ガリバー旅行記
 度々、私のブログ「ガリバー通信」には、「やおやガリバー」という、有機農産物と無添加食品の「八百屋」が登場する。

 今年で14年目を迎える「移動宅配」で、週末だけ営業の「変わった無添加無農薬やおや」なのだが、よくも続いているものだと我ながら感心しているのである。

 そもそも「何故に無農薬やおやを始めたのか」とお思いの方もいると思うが、きっかけは「夢」であった。

 私の30代の頃の仕事場であった「プレイスクール」と言う名の子供達の遊び場活動と私立の幼稚園がある「雑創の森学園」に、ある時から「有機八百屋パンプキン」のトラックが週に二度ほど来ていて、私も時々お豆腐とか納豆を買っていたのである。

 この「パンプキン」の主人だったTさんが、私が縁あって毎年の様に行っている「中国・内蒙古」への旅に92年に娘さんと共に参加されたが、彼はモンゴル草原の川でイトウを釣りたいと願っておられた。

 しかし、私達の行った中国内蒙古の草原の小さな川には「イトウ」は生息しておらず、彼は残念な思いで帰国したのである。

 その彼が翌年に突然心臓発作で若くしてこの世の人でなくなってしまい、翌年94年の夏に、近くのホテルで「一周忌の記念会」を奥様が催された時に、私はスピーチをして、「彼の叶わなかった願い」を内モンゴルの人に、彼の愛用していた「釣竿」を託してはどうかと提案したのである。

 その年の内モンゴルツアーに、私は未亡人となられた奥様の了解を得て、彼の釣道具を持って再び蒙古草原に行き、蒙古族のおじさんに「イトウ」を釣れたらと託したのである。

 その年のある夜、私の夢枕に、亡くなったTさんが現れて、枕元でニコニコと笑っておられるだけで、死人に口なしとはよく言ったもので、何も話されなかった。
 
 
しかし、私は朝目覚めて、その夢をはっきりと覚えていて、何故に彼が私の夢枕に表れたのかと思いをめぐらせると、そうだ彼が「ガリバー、八百屋さんやらないか」と伝えに来たと感じたのである。

 早速京都の有機八百屋の先駆者であるI氏に電話したところ、彼曰く「昨晩、Tさんが来てくれていたお客さんの一人から、子供がアトピーなので食材に困っているので、来てくれないか」という電話があったと言うのである。

 全く偶然だったかもしれないが、やりたいと思った私に呼応する様に、来てほしいというお客さんからの要望があり、中に立つ八百屋さんも協力していただき、私はとんとん拍子に、ひき売りの経験をさせてもらい、ひきうりの中古車も譲っていただき、9月から営業を開始したのである。

 それから14年、いろいろあったが、何とか毎週金曜日と土曜日に、ひき売り移動宅配の有機八百屋を続けて来れたことは幸いだし、夢のような話なのである。

 「夢」は、現実を先取りした形で、私たちに人生を示唆してくれたり、教えてくれたりもする、とんでもない真実の場合があるのである。
 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする