ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

カメラに纏わる話

2012年05月12日 | 季節の話題
 五月の中旬となったのだが、昨日と今日は関西地方は何てとも涼しいと言おうか、寒さを感じるほどの気候であり、移動八百屋のお客さんと会話も、この時期にしては寒いですねとか毛布や毛の衣類は衣替えで終ってしまったのに、こんなに寒いので再び持ち出したとか言った話題や体調管理が難しい朝晩の寒暖差などが中心となってしまう感じであった。

 今朝の訪問宅で、十数年前に愛妻を亡くされて今は一人暮らしのご年配の知人が、いつもの様にゆっくりと玄関先に出てこられたのだったが、買い物が済んでからでいいから、ちょっと写真を撮ってほしいと仰って、懐かしくも感じてしまうミノルタの一眼レフカメラを持参されていて、少しおしゃべりしたのであった。

 今時、デジタルカメラではなく一眼レフカメラを愛用している人は少なくなったとは思うが、とっても愛着のあるカメラを長く使っておられるシニア年齢の方もたくさんおられるし、若い世代でもデジタルカメラの便利さや簡便さは分かるが、写真を撮るという過程を楽しむためには、やはり一眼レフカメラがいいということで、データはデジタルでも一眼レフスタイルのカメラを持っている人も見かける。

 その御仁のカメラには、ファインダーの下のところにデータが貼ってあり、絞りとシャッタースピードの目安が印刷された指示書のような内容で、今朝の少し曇り気味の天候では、絞りが8か11で、シャッタースピードは、125分の1程度がいいと言うことだったので、久しぶりにファインダーから被写体である彼と玄関先の季節の花である「つつじの花」を構図的に入れて縦横の二枚の写真を撮影したのであった。

 現代の子どもは乳幼児の頃から、カメラのレンズを向けると必ずと言っていいほどカメラ目線で笑顔を振りまいたり、ピースサインですぐに撮影被写体として応じることが習慣化していて、俗に言う「写真慣れ」が当たり前の子どもたちが多いのだが、昔のカメラでの写真撮影は子どもたちにとっては退屈であり、長くシャッタースピードと絞りを何度もチェックする父親や写真屋さんの作業を待てなくて、本当に飽きた頃にシャッターが押されることも多く、機嫌の悪い顔や動いてしまった体で、ピンボケになったり、うまく写真に納まらないこともあった様に記憶している。

 何とか「五月のつづじの花とおじさん」の撮影会は無事に終わったのだったが、果たしてうまく写っているかどうかは、フィルムカメラのために、後日の現像、焼付けが完成しなければ不明なのだが、現代っ子の多くは撮影が済むやいなや「見せて!」とデジタルカメラのメモリーを覗いて喜んだりもう一枚と願ったりもするのであるが、この写真の出来上がりを待つという時間の経過も何とも懐かしさを感じて、いづれ見せていただくとして楽しみでもある。

 そういえば、私の持参のカメラもそう今までに10数台に及ぶだろうけれど、十数年前に思い切って買ったキャノンの一眼レフカメラを、その当時毎年の様に夏休みに出かけていた中国・内蒙古の大草原に持参した際の思い出の一つであるが、現地のある遊牧民のご家族に写真を撮ろうと薦めたところ、ご家族の皆さんとご近所の方々も含めて10数人が、わざわざ民族衣装に着替えてきて下さって、慎重にアングルを決めて絞りとシャッタースピードも選んで数枚の写真撮影をしたことがあったのだったが、後日になってフィルムが何故か装填されていなかったことが分かり、残念やら被写体となられた方々には、まことに失礼だったのだが出来上がりの写真を送付することができなく、とても自問自答したが二度と撮影をする機会がなく帰国してしまったのであった。

 また、数年前にネパールとインドを約二週間一人で旅した時のことであるが、持参したデジタルカメラを帰国三日前だったと思うのだが、インドのブッダガヤという、お釈迦様が修行をされたというガンジス河に近い町のレストランで置き忘れ、気付いて引き返した時には既にカメラは無くなっていて、レストランの従業員に尋ねても知らないと言われ、地元の警察に紛失届けあるいは盗難届けは提出したが返ってくることはなく、せっかくのネパールとインドの旅の写真記録は全く残ってはいないのであった。

 

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