ガリバー通信

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「金本知憲」の引退。

2012年09月12日 | プロスポーツ
 今日昼過ぎの自動車のラジオで「阪神金本の今シーズン限りでの引退」ニュースを耳にし、私も含む日本中の阪神ファンにとって、自民党総裁選や民主党代表選の報道よりも、大ニュースであり早速我が家の妻と娘に一報のメールをしたほどであった。

 広島出身で広陵高校、東北福祉大を卒業したのち、ドラフトたぶん4位だったと記憶しているが、広島カープに1992年に入団した選手で、入団当時は細身でまださほど活躍を期待されていなかった外野手だったが、一軍初出場が岡山での阪神戦というご縁もあり、その後に広島カープの不動の4番バッターへと成長した彼は、11年後の2003年にFA宣言して縁あって、我が阪神タイガースへ移籍し、2003年には星野監督の下で優勝に貢献、2005年の岡田阪神の優勝にも不動の四番打者として活躍し、阪神ファンからは「鉄人・金本」、「頼れる兄貴!」として慕われ出したが、、本人は日頃の弛まない自身の体を極限まで鍛えることと、人知れない練習と技術向上への努力を繰り返して黙々とがんばった選手である。

 タイガースの選手の全てがチームメイトとして尊敬するだけでなく、他球団の選手も含め日本のプロ野球界の中にあって、世界にも誇れる連続イニング出場記録を打ち立てた張本人であるのだが、ともかく言葉ではなく存在感そのもので、特に若い選手にとっては「選手の鏡」とまで称された男が、ついに潮時を悟っての今期限りの引退を発表したことは、プロ野球ファンとして一抹の寂しさも感じる部分もあるが、ともかくご苦労様でした「お疲れ様」という労いの言葉と共に、「ありがとう!」という感謝の気持ちがこみ上げてきた。

タイガースの一員となって、金本選手自身は初めて優勝を経験したらしいのだが、阪神ファンとしては2003年と2005年のセリーグ制覇は、いずれも金本選手さまさまでありながら、何処かかつて在籍していた広島カープに対して、少し後ろめたいとでもいうべき感謝と遠慮を感じていたのだったが、ここ数年は完全なる阪神タイガースの金本選手として、成績いかんにとらわれず応援できる様になっていたのだが、故障が続き打たない守れない走れない兄貴を見るにつけ、「あーぁ」とため息が出てしまう場面が続出していたのであった。

 プロ野球選手としては、今後たぶん破ることが出来ないと思われる金字塔の連続イニング出場記録が途切れた昨年の試合以降は、ファンの誰もが金本選手への労わりの心とは裏腹に、時にはひどい野次や「プロやろ!」「打たんかいな!」などと叱責したり、中には「やめてしまえ!」と言うきつい言葉まで球場では飛んでいたので、本人にとっては修羅場に近い自問自答が続いていたのではないだろうか。

 プロとはほんとうに厳しいものだし、お金を払って野球を観に来ているファンにとっては、やはり選手一人ひとりに対する多大な期待があって、それに全て答えることは出来ないと分かってはいても、打者としての選手には少なくても2割5分から3割、いや時によっては10割をも期待してしまうものだから、選手にとってはたまらないほどのプレッシャーが続いているのだろう。

 著名で好成績を収めた歴代の有名選手の中の「巨人の長島」選手の名を引退会見で口にした金本選手だったが、ホームランや打点、安打数などでは長島選手を超えているのだが、プロ野球選手の中のヒーローとしてのスター性としては、どうしても王や長島には及ばなかったとの自覚と共に、苦境の時期に励ましてくれた仲間やファンや肉親についての想いもあってか、やはり鉄人・金本の目にも涙の会見となったのだろう。

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