ガリバー通信

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「受験」シーズン到来。

2012年01月12日 | 季節の話題
 いよいよ学生諸君にとっての受験シーズンがやってくるのだが、今週末の14日、15日に行われる大学入試センター試験を前に、多くの受験生が緊張の中に、今までの受験準備を振り返りながら、そのご家族の方々も共に祈るような気持ちで当日を待っておられることだろうとお察しする。

 寒さが一番増す時期のセンター試験ということもあって、一番心配しておられるのが受験する本人の健康状態ではないかと思われるのだが、受験生の皆さんは若い方が中心なので、十分心得ておられて、ご家族の配慮と応援の下で精一杯、自らの実力を「一発勝負」の試験で発揮されるようにと、部外者の私も心から応援したい心境である。

 この受験シーズンだが、もっと気候の良い時期に出来ないものかという考え方もあって、欧米諸国などで実施されている様な9月新学期、すなわち入学、進学時期を日本の通例の4月から半年近く遅らせて9月にしてはどうかというプランも、いろいろと検討されているらしいのだが、寒さは確かに厳しいが受験するという一種の通過儀礼とでも言うべき、人生に何回かあるチャレンジそのものは避けては通れぬものなのだろうと思っている。

 しかし、私たちの世代では、今の様なセンター試験もなければ、その前章でもあった「共通一次試験」もまだ実施されていなかった時代だったために、各々が志望する大学ごとに受験し、国公立の大学受験においては前期試験と後期試験に分かれていて、他の私立大学と共にせいぜい3大学くらいの受験にとどまっていたと思うのだが、最近の学生はほんとうに国公立以外の私立大学の受験方法が多様になり、また日程も多様なので多数の大学を受験する者も多いらしい。

 保護者の方々にとっては、受験料もさることながら地方や関東圏へと受験する子どもたちが事前も含めて何度も交通費と宿泊費や間接経費を費やして、この一生に一度しかないと思ってしまう大学受験に挑戦する時期は、大変な出費と共にご家族全員での「受験戦争」となる場合も多いと思われるのである。

 この受験シーズンは、決して大学受験だけでなく、高校受験、中学受験、小学受験も含めた子どもたちにとっては成長に応じて何度も何度も受験を経験するという子どももいると思われる大変厳しい季節であることは間違いない。

 この受験シーズンの多様な情報と共に、多くの学習塾や受験メソッドを指導する個人からグループでの授業をサポートする「受験産業」も多様な売り言葉と宣伝で、全国各地津々浦々で待ち構えていて、昨年の秋口から今年の受験日を目当てに、大いに生徒を集めて熱心な指導でサポートしていることだろう。

 こうした受験に挑戦する受験生たちには、心からしっかりと自分の実力を発揮できることを祈ると、エールを送りたい気持ちであるが、その子を取り巻くご家庭の特にお母さん方の、いじらしいくらいの支えというべきか協力があってこそではないかと思うほど、母親の我が子に対する「受験サポート」は熱を帯びていて、ご家庭全体がぴりぴりと緊張されていることだろうと推察する。

 こういった受験シーズンの社会的風景や家庭でのムードは、日本だけではなくアジアの隣国である韓国、中国、台湾などにおいても、日本以上の「受験戦争」というべき実態が加熱してたいるといわれていて、とにかく「大学受験」を中心に、そのご家庭にとって、我が子の受験での合格が、今後のその子の人生を決めるだけでなく、その一家の運命を決めるといった感の熱さで終始していると言っても過言ではないと言われている。

 私は、あえて言いたいと思うのだが、確かに「受験」を一大イベントとして熱心に挑戦すること自体は、その子その子の置かれた状況、環境、そして本人の意思において行われているとすれば、人生での大きな障害でも壁でもなく、心身共に大人になって行く過程での「チャレンジ」として意味のあるチャンスだと思うのだけれど、中には本人の意思や気持ちとはかけ離れた、親が主導し子にさせている「受験」もあると思われるので、その子にとってふさわしいものかどうかは不明であるばかりか、本人にとっては苦痛やストレスにしかなっていない場合もあると思うのである。

 すなわち、本当に子どもにとっての将来を思う気持ちで、その子の受験をサポートしたり支えたり応援したりしているつもりが、本人にとってはとんでもなく重荷になっていたり、まったく本人の意思とは裏腹な挑戦をさせている場合があるとしたら、それは本人にとっては不幸なことにもなるのではないだろうか。

 とにかく、受験に限らず、本人の意思や願い、夢とは親にとってもわからないケースも多々あると思われるし、ましてや本人も未経験なるがゆえに、その挑戦が自分にとって意味あることか否かがわからないと言うケースもあり、十分に親子や先生、塾の講師らとも話し合った末の結論だとしても、「やり直し」や「再挑戦」が十分可能なことだということは十分認識しておく必要があるのではないだろうか。

 つまり、大学入試だけではないが、受験に合格か否かで、全ての人生が決まるのではないことを十分認識した上で、これからの人生の一定の方向を「受験」というチャレンジで見極めて、ゆっくりと自分にふさわしい道、進路を模索し自問自答し、葛藤し、時には失敗をも経験して、自らのアイデンティティにふさわしく思える、選択肢を見つける「きっかけ」として考えればいいのではないかと思うのである。

 つまり、受験が全ての人生の進路を決定するのではなく、これからの可能性ある人生の選択肢の入り口の一歩に過ぎないということだと思うので、受験生の皆さんもご家族の方々も、自然体で自分らしく「健やかに精一杯」のチャレンジをしていただはたいと思うものである。

 

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