小学生時代の学校からの帰り道、池の土手のダンボールから何やら優しい泣き声がして、必ず立ち寄って中を覗くと、まだ目の見えない生まれたての子猫が数匹、ミャァミャァと上を見上げて助けを求めている様に思えるのだった。
そこで自分の方を一生懸命見てすがる様に泣いている、かわいい子猫を一匹抱いて家に帰ってみると、既に母が買い物の帰りに同じ箱を見つけて、別の一匹の子猫を連れて帰っており、どうしようかと相談の上、父が2匹飼うことは許さないだろうからと、母が先に連れてきた猫を、も一度池の辺の団ボール箱に返しに行って、僕のお気に入りの方を飼うことになるのであった。
そのうち、いつの頃からか雑種ではあるが小柄な黒猫を代々飼うことが続く様になっていた。
「黒猫」は、今ではクロネコヤマトの宅急便のお馴染みのシンボルとなっているが、まだまだ不吉な様に言われることが多かった時代に、目がとってもキュートで精悍な眼差しの猫らしさに、私自身も愛情を感じて可愛がっていたのである。
中学生の頃の夏の昼時、学校から帰って汗を流して自分のベッドにパンツ一丁で横たわって、漫画か本を読んでいた時である。その当時、我が家のクロネコは伝統的に「キータン」と呼ばれており、悪いことをすると「ゴン!」と名を変えて叱られるという、ご都合的な名前であった。
その「キータン」が私のおなかの上に乗ってきて、ちょうどヘソの上あたりに、キータンが乗って丸く座ると夏場とは言え、温かく感じて気持ちがいいので、そのまま本を読んでいたのである。
すると暫くして、キータンがしゃっくりの様な感じで動き出したので、猫でも夏風邪をひいたんだろうかと思っていたが、そのうち微妙に動きが病的になり、その後お尻から黒い包みのようなものが出てきたからビックリであった。中学生になったばかりの男の子には何が起きたのか全くわからない!
大きな声で階下の母を呼んだのである。「キータンが何かお尻から出したでぇー」と。私はてっきり内臓が何かの拍子に出てきたのかとしか思わなかったのだが、実は母によれば「猫のお産」だったのである。
どうも「仮死産」だった様で、ほって置くと動物は袋を破って見た後、食べてしまうそうなので、母がきれいに片付けて私の腹の上から、キータンとその出産劇の物体はなくなってしまったのである。
私は何とも奇妙な体験をしたみたいだった。普通は猫は自分の出産は飼い主にも見せず、縁の下や屋根裏で静かに済ませ、子猫の泣き声で初めて出産を飼い主や周りは知るに至るのだが、全く不意に私の場合は、私のおなかの上での猫の出産という、稀に見る出来事に遭遇したのである。
またその後も「黒猫キータン」は私には奇妙で、印象に残る歴代を送った様である。
高校生の時に、私が淡路島の夏の合宿で沖に出て泳いでいる時に、不覚にも溺れてひとつ間違えば、この世に生がなかったかもしれないと言う体験をして帰宅してみると、わが家の「黒猫キータン」が僕の替わりに?亡くなっており、僕の命の身代わりになってくれたのではないかと今でも思っている。
年月はひとつひとつ定かには忘れてしまったが、歴代の黒猫キータンは本当に奇妙な偶然と言うか、不思議な出来事と共に多くが記憶されているのだ。
ある年の夏だったと思うが、わが家の黒猫キータンが私達の不行き届きだったのだが、ハエや害虫退治のための有毒の小さな皿を間違ってなめてしまって、非業の死を遂げた時があった。私達家族はキータンの死を悼み、申し訳なく思っていた矢先に、何と本当に亡くなった黒猫キータンそっくりの可愛い黒猫が、わが家と隣の垣根の中に姿を現して、こちらを覗いていたので餌でおびき寄せて、キータン3世として続けて飼ったこともある。
この黒猫キータンの愛称は、実はその昔ラジオの連続ドラマで「パパ行ってらっしゃい!」という、中村メイコさんが一人5役ぐらい演ずる物語の主人公で、元気で明るい女の子の名前からであり、悪いことした時の別名「ゴン」も、このドラマの近所のやんちゃ坊主の男の子の名前であった。
少年時代から青年時代の私の忘れることの出来ない「黒猫キータン」の思い出は、今思い起こしても不思議な猫の連鎖とでも言うべき現象と共に、その当時の飼い主の私の人生に深く関わっていたことを思う時、たとえ猫と言えども、飼い主との関わりは「事実は小説より奇なり」としか言いようのない「縁」で結ばれていたような気がしてならないのである。
だから僕の犬、猫飼育経験から言うと、猫、犬とてペットであろうとも、愛情と共に真剣かつ真面目に面倒を見ないと、飼い主の人生に影を落としたり、大きく絡んでくるなどの経験をすることにもなるかもしれないのだ。
愛すべきペットは中途半端な気持ちや人間の勝手で飼うのではなく、出会いがあって飼う限りは、最後まで犬、猫の面倒をしっかりと見なくては、どこかで化けたり、あなたの人生に大きく関わってこと間違いないと思うのは、私の経験から自信を持って言えるのである。
愛すべき不思議な、歴代の黒猫キータン、今は何処に?
そこで自分の方を一生懸命見てすがる様に泣いている、かわいい子猫を一匹抱いて家に帰ってみると、既に母が買い物の帰りに同じ箱を見つけて、別の一匹の子猫を連れて帰っており、どうしようかと相談の上、父が2匹飼うことは許さないだろうからと、母が先に連れてきた猫を、も一度池の辺の団ボール箱に返しに行って、僕のお気に入りの方を飼うことになるのであった。
そのうち、いつの頃からか雑種ではあるが小柄な黒猫を代々飼うことが続く様になっていた。
「黒猫」は、今ではクロネコヤマトの宅急便のお馴染みのシンボルとなっているが、まだまだ不吉な様に言われることが多かった時代に、目がとってもキュートで精悍な眼差しの猫らしさに、私自身も愛情を感じて可愛がっていたのである。
中学生の頃の夏の昼時、学校から帰って汗を流して自分のベッドにパンツ一丁で横たわって、漫画か本を読んでいた時である。その当時、我が家のクロネコは伝統的に「キータン」と呼ばれており、悪いことをすると「ゴン!」と名を変えて叱られるという、ご都合的な名前であった。
その「キータン」が私のおなかの上に乗ってきて、ちょうどヘソの上あたりに、キータンが乗って丸く座ると夏場とは言え、温かく感じて気持ちがいいので、そのまま本を読んでいたのである。
すると暫くして、キータンがしゃっくりの様な感じで動き出したので、猫でも夏風邪をひいたんだろうかと思っていたが、そのうち微妙に動きが病的になり、その後お尻から黒い包みのようなものが出てきたからビックリであった。中学生になったばかりの男の子には何が起きたのか全くわからない!
大きな声で階下の母を呼んだのである。「キータンが何かお尻から出したでぇー」と。私はてっきり内臓が何かの拍子に出てきたのかとしか思わなかったのだが、実は母によれば「猫のお産」だったのである。
どうも「仮死産」だった様で、ほって置くと動物は袋を破って見た後、食べてしまうそうなので、母がきれいに片付けて私の腹の上から、キータンとその出産劇の物体はなくなってしまったのである。
私は何とも奇妙な体験をしたみたいだった。普通は猫は自分の出産は飼い主にも見せず、縁の下や屋根裏で静かに済ませ、子猫の泣き声で初めて出産を飼い主や周りは知るに至るのだが、全く不意に私の場合は、私のおなかの上での猫の出産という、稀に見る出来事に遭遇したのである。
またその後も「黒猫キータン」は私には奇妙で、印象に残る歴代を送った様である。
高校生の時に、私が淡路島の夏の合宿で沖に出て泳いでいる時に、不覚にも溺れてひとつ間違えば、この世に生がなかったかもしれないと言う体験をして帰宅してみると、わが家の「黒猫キータン」が僕の替わりに?亡くなっており、僕の命の身代わりになってくれたのではないかと今でも思っている。
年月はひとつひとつ定かには忘れてしまったが、歴代の黒猫キータンは本当に奇妙な偶然と言うか、不思議な出来事と共に多くが記憶されているのだ。
ある年の夏だったと思うが、わが家の黒猫キータンが私達の不行き届きだったのだが、ハエや害虫退治のための有毒の小さな皿を間違ってなめてしまって、非業の死を遂げた時があった。私達家族はキータンの死を悼み、申し訳なく思っていた矢先に、何と本当に亡くなった黒猫キータンそっくりの可愛い黒猫が、わが家と隣の垣根の中に姿を現して、こちらを覗いていたので餌でおびき寄せて、キータン3世として続けて飼ったこともある。
この黒猫キータンの愛称は、実はその昔ラジオの連続ドラマで「パパ行ってらっしゃい!」という、中村メイコさんが一人5役ぐらい演ずる物語の主人公で、元気で明るい女の子の名前からであり、悪いことした時の別名「ゴン」も、このドラマの近所のやんちゃ坊主の男の子の名前であった。
少年時代から青年時代の私の忘れることの出来ない「黒猫キータン」の思い出は、今思い起こしても不思議な猫の連鎖とでも言うべき現象と共に、その当時の飼い主の私の人生に深く関わっていたことを思う時、たとえ猫と言えども、飼い主との関わりは「事実は小説より奇なり」としか言いようのない「縁」で結ばれていたような気がしてならないのである。
だから僕の犬、猫飼育経験から言うと、猫、犬とてペットであろうとも、愛情と共に真剣かつ真面目に面倒を見ないと、飼い主の人生に影を落としたり、大きく絡んでくるなどの経験をすることにもなるかもしれないのだ。
愛すべきペットは中途半端な気持ちや人間の勝手で飼うのではなく、出会いがあって飼う限りは、最後まで犬、猫の面倒をしっかりと見なくては、どこかで化けたり、あなたの人生に大きく関わってこと間違いないと思うのは、私の経験から自信を持って言えるのである。
愛すべき不思議な、歴代の黒猫キータン、今は何処に?