10数年前の話である。私が子どもたちの遊び場活動のプレイリーダーをしていた時のエピソードである。
沖縄本島から少し離れたギシップ島での「無人島冒険学校」と称する夏休みの、体験キャンプを企画して、その下見のため儀志布島に一人で一泊した時のことである。
半日、島をくまなく歩いたり周辺の海で泳いだりして、まだ5月か6月だと記憶しているが、アダンの木陰に小さなテントを張って、寝袋に包まって一夜を過ごしたのである。夜中の何時頃だかわからないが、テントの周りでガサガサと音がするので、目が覚めて見渡すと何と無数のヤドカリが月明かりの下で動きまわっていたのである。
私は初めての経験であったが、ひとつひとつのヤドカリの背負っている家、つまり貝殻の大きさや色や形の違いも含めて、ひとつひとつのヤドカリの命を守るための大切な殻が、各々の個性と好みで選択されて、各々の体にひとつづつ付いていることに、改めて感動したことを覚えている。
ヤドカリさんたちは、私がキャンプしていようと、いまいと関係なく、毎夜こうして月明かりの下で,ぞろぞろとアダンの木陰や小さな岩の周辺からお出ましになって、砂浜や海岸線を縦横無尽に歩きまわり、えさを取って食べたり、遊んだり、恋をしたりしているのだろう。
全く人間様には日頃関係のない世界ではあるが、どっこい世界中で各種多様な生物が、その生態系と自然環境の下で、日々せっせ、せっせと自分達の営みを精一杯しているのであろう。
暫くの間、私は眠ることも忘れて、この感動的なシーンに見入っていたのだが、そうだ「お土産」に数十個のヤドカリを京都に持って帰って、その週末のこどもたちの活動現場で、子どもたちにひとつづつプレゼントしようなんて思いついてしまったのである。
たぶん30体ほどのヤドカリが捕まえられて、ビニール袋に少しの砂と海水を合わせて入れられて、空気を絶やさず持ち帰ろうと、私は細心の注意を払って、沖縄本島まで持ち帰ったのである。
その夜は那覇のホテルの一室で、洗面所の狭い洗面器に水を入れて、ヤドカリたちを放牧し、日中は幼稚園に用事があったので、連れて行って砂場で遊ばせたりもしたのである。幼稚園園児達が欲しがるのを、京都の子ども達へのお土産だからと、幼児達の手から全て回収して、その日の夕方の大阪行きの飛行機便に乗ったのである。
機中の人となってから、ふと気づいたことがある。「あぁ、空港の手荷物検査の時に、あのヤドカリの入ったビニール袋をカウンターに置き忘れた」と愕然としたのだ。せっかく1泊2日、大事に飼って、みんなの喜ぶ顔見たさに、今まで持ってきたのに・・・。
すぐに客室乗務員、今で言うキャビンアテンダント、つまりスチュアーデスを呼んで、「大事なものを空港カウンターに置き忘れました」と告げ、那覇空港に連絡をしてもらって、後便ででも届けてもらいたいとの気持ちを伝えた。応対してくれた女性は早速連絡をとってくれた。
私は、空港の乗降客の出入りするカウンター付近で、ビニール袋から脱出した数匹のヤドカリたちが、既に散歩し出しており、空港ではちょっとした騒ぎになっているのではないかと、想像しながら返答を待っていたのである。
暫くして、スチュアーデスが持ってきた返答は、こういうものだったのである。
「お客さまにとって、大事なヤドカリであることは充分理解できますが、沖縄の人にとっては、何処にでもいるただの小さな生き物なので、たぶん空港内のお掃除のおばさんたちによって、既にゴミ箱に捨てられているだろうと思われ、見つけることが出来なかったので、申し訳ございません」
私は再び愕然としたのである。しかし私にとっては大切な宝物であり、子どもたちの喜びの顔まで想像していたヤドカリたちのプレゼントが、私のちょっとしたウッカリミスで、今はもう手元には戻ってこない。
ひょっとすると那覇空港の何処かのゴミ箱の中で、ごそごそと動いている奴等を想像しながら、子ども達にもヤドカリたちにも悪いことをしたと、全く不可抗力の無念な気持ちでいっぱいであった。
あのヤドカリたちに言いたい。「ゴメンな、君達の住処から勝手に連れ出して」しかも空港のカウンターという、彼等の生息には全くいごこちの悪い場所に放置してしまって、その後の責任も取れないまま、大阪へ帰ってしまったガリバーを許してくれ。「ほんとうにごめんなさい。ざんねん!」