後半の最後から2曲目に披露した「これは涙じゃない」のコケティッシュな言葉の内に秘められた悲しみが、甘いメロディに溶けてレイニア山脈の湧き水となって溢れ出す風景を幻視した。アルバムジャケットの暗闇に目を凝らせば浜崎の瞳が潤んでいることが分かるだろう。それは悲しみの涙ではない。その証拠に年末に東京大阪ONE MAN LIVE TOUR『Before dawn』(夜明け前)開催が発表された。喜びの涙は大歓迎である。涙は飾りじゃないのだから。
浜崎容子 FORGIVE ME
聴いてると
裸になりたく
なる歌声
浜崎容子「BLACK OR WHITE」終了!ご来場くださいました皆様、本当に本当にありがとうございました…涙久々のソロワンマン…新曲たちがまた年月をかけてどのような変化をしていくのか楽しみです!前の方に座ってて偉そうですみません!本日のステキなサポートメンバーさまと。(タグ見てね) pic.twitter.com/EjGO3kXiMi
ミニマルミュージックを蹂躙する日本地下音楽の秘宝。
ここに記録された作品は、溢れ出る才能の結晶であり、例え極少数だとしても形にして世に送りだしたDD.Recordsの功績を含め、日本の地下音楽の秘宝として高く評価されるべきである。 K.YOSHIMATSU(DD.RECORDS) MUSIC Archive
些か(というか全くの)脱線するが、読者に馴染み深いと思われるジャズ・ミュージシャンに譬えれば、筆者が38年の歳月に逡巡する理由が少し理解していただけるかもしれない。オーネット・コールマンのデビュー作『Something Else!!!! 』は58年、38年後の1996年は『Sound Museum: Hidden Man』と『Sound Museum: Three Women』の2作をリリース。マイルス・デイヴィスのソロ・デビュー作『The New Sounds』がリリースされたのは1951年、その38年後の1989年にリリースされたのは『Amandla』と『Aura』の2作であり、その3年後の92年に 最終作『Doo-Bop』を残してマイルスは他界してしまう。サン・ラのデビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra』が1956年、38年後の1994年を迎えることなく、93年5月にサン・ラは没してしまう。ジョン・コルトレーン『Coltrane』(57)、エリック・ドルフィー『Outword Bound』(60)、アルバート・アイラー『Something Different!!!!! 』(60)に至ってはデビュー作から38年後には天国に召されていた。
dip / Boris / Boris with ヤマジカズヒデ / 中山晃子(Alive Painting)
OPEN/START18:30 / 19:30
ADV./DOOR¥4,000 / ¥4,500(税込 / ドリンク代別)
LINE UPdip / Boris / Boris with ヤマジカズヒデ / 中山晃子(Alive Painting)
1987年から活動していたDIP THE FLAGを前身として1991年にヤマジカズヒデを中心に結成されたdip。1992年より活動開始し、海外でも高い評価を得るBoris。どちらも「サイケデリックロック」をキーワードに異なるベクトルで30年近く活動を続けてきた。日本のロックの裏番長と呼んでもよかろう。会場の渋谷WWWは元映画館シネマライズ。その特性を活かした中山晃子のAlive Paintingがステージの背景全体を時に生き物のようにのたうつ色彩、時にモノクロームの砂嵐、時にダダスティックな幾何学模様で埋め尽くし、異端ロックの魔物が発する圧倒的な音の響宴は、夢の中の怪奇と幻想の世界にメタモルフォーゼした。