レコード蒐集の喜びのひとつにギミックジャケットがある。『THE SOFT MACHINE』や『LED ZEPPELIN III』の廻転ジャケや『FAUST』の透明ジャケ、『JETHRO TULL / STAND UP』『QUINTESSENCE』の立体ジャケなど、製造するのが面倒くさそうな創意工夫を凝らしたジャケットは、中身のサウンドも一筋縄では行かないくせ者が多い。B級サイケの世界にどのくらいギミックジャケがあるかは知らないが、筆者が一番好きなのはT.I.M.E.というバンドの1stアルバムである。丸いセルロイドに星座記号が白く描かれ、内ジャケの写真が浮き出る見開きジャケは、開く度に超時空の扉を通り抜けるような気分がする。サウンドの方はツインギターが絶妙に絡み合いながら難解なクロスプレイに終止することなく、つぼを心得たポップなヴォーカルハーモニーが全体を貫く分かり易いアシッドロック。音の感触はシカゴのH.P.ラヴクラフトに似ているが、T.I.M.E.はジャケ通りのコズミック感を強く打ち出し、宇宙空間に漂う酩酊感に満ちている。より自由度を増した2ndアルバムと共に60年代サイケポップの隠れ名盤である。
Bill Richardson: Guitar , Vocals
Larry Byrom: Guitar, Vocals
Nick St. Nicholas: Bass guitar ~68
Steve Rumph: Drums ~68
Richard Tepp: Bass guitar ~69
Pat Couchois: Drums ~69
ビル・リチャードソンは、60年代半ばにサンディエゴ出身のガレージロックバンドThe Hard Timesのギタリストとしてデビュー。ロサンゼルスに活動拠点を移してライヴハウスWhisky A Go Goのハウスバンドとして活動し、ディック・クラークの人気TVショー「Where The Action Is」にたびたび出演。1966年World Pacific Recordsと契約し数枚のシングルをリリース。67年のアルバム『Blew Mind』レコーディング中にラリー・バイロンがベースで参加。アルバム・リリース後、ビル・リチャードソンは脱退。残ったメンバーはNew Phoenixというバンド名でママ・キャス(Mamas and Papas)のプロデュースでシングルをリリースしたがまもなく解散。
●The Hard Times / Blew Mind World Pacific Records – WPS-21867 / 1967
the Hard Times - Fortune Teller
ビル・リチャードソンはThe Hard Timesの盟友ラリー・バイロンと共に、カナダのロックバンドSparrowのベーシスト、ニック・セント・ニコラス、ドラムにスティーヴ・ランフを加えサイケデリックロックバンドT.I.M.E.(Trust In Men Everywhere)を結成した。World Pacific Recordsの親レーベルLibertyと契約、$500,000の制作費を得て68年にシングル『Make It Alright』とデビュー・アルバム『T.I.M.E.』をリリースした。
●T.I.M.E. / T.I.M.E. Liberty – LST-7558 / 1968
T I M E Label It Love
その頃Sparrowが名前を変えたSteppenwolfのメンバーがWhisky A Go GoにT.I.M.E.のライヴを観に来て、セント・ニコラスを引き抜きに来た。セント・ニコラスは復帰するために脱退し、Richard and the Young Lionsのリチャード・テップがベースで加入。ドラムもパット・コーカスにメンバーチェンジ。ジェファーソン・エアプレインを手がけたAl Schmidtのプロデュースで2ndアルバム『スムース・ボール』をリリース。10分超えのロングチューンを含み、前作よりアシッド感とハードロックっぽさが増したサウンドになった。しかし当時のマネージャーが詐欺師で制作費の前払金とバンドの儲けをすべて持ち逃げしてしまったためT.I.M.Eは解散に追い込まれた。
●T.I.M.E. / Smooth Ball Liberty – LST-7605 / 1969
T. I. M. E (Trust In Men Everywhere) - Flowers [US Psych 69]
ラリー・バイロンはSteppenwolfに加入し、70年までセント・ニコラスと共に中心メンバーとして活動。その後セッション・ミュージシャンとして数多くのレコーディングに参加した。パット・コーカスはバイロンと共に71年にプログレ・バンドRatchellに参加し2枚のアルバムをリリースしたあと兄弟バンドCouchoisを結成し79〜80年に2枚のアルバムをリリースした。
●Ratchell / Ratchell Decca – DL 7-5330 /1972
Ratchell - Warm And Tender Love
どういう訳かT.I.M.E.のUK盤のジャケはUSA盤とは異なるカラフルサイケなアートワークでリリースされた。そう言われてみればUKサイケのポップセンスに通じる部分もあるような気がする。
時間(TIME)とは
どこでも他人を
信じる気持ち
ところで、たった1回しか登場しないママ・キャスから強引に引っ張ってきたうえに、本文とほとんど関係ない話題で恐縮ですが、最近俺的にヒットだったのは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』におけるパーティーのシークエンスですね。
恥ずかしながら、シャロン・テートとスティーヴ・マックィーンとママ・キャスが友達だったなんて知らなかったので、こういうママ・キャスの使い方もあったのか! と目から鱗でした。
脱線ついでにいま少し語らせてもらうと、私、TOHOシネマズ日本橋で観たんですが、ピットとディカプリオがイタリアから帰国する辺りから泣き始め、ラストで涙腺決壊、上映終了後も泣き続け、三越前の改札をくぐる辺りまで泣いてました。いやあ、あれは近年稀に見る催涙映画だったなあ・・。
何がそんなに泣けるかというと、21世紀になって19年も過ぎてもまだ、チャールズ・マンソンのようなチンピラに何がしかの反体制的な意義を見出そうとしてる救いがたいカルト宗教マニアのバカどもに、タランティーノが愚直なまでの剛速球で正義の鉄槌を下しているからです。
僕が言っても説得力が無ければ、たとえば、すでに2011年にこういう発言をしていたアーティストがいたことを想起すればよいと思います。
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとか、あれくらいのレベルなんて問題外だからね。シュールとかダダとか、あれはお遊びをいかに本気でやるか、だけでしょ。お遊びじゃもうダメなのよ、『僕マジメです!』っていうしかない」(灰野敬二『ele-king vol.2』)
本文と関係ない話題でずいぶん引っ張ってしまいましたが、一応、『Smooth Ball』が発売された69年つながりということでお許し願えれば幸いです。では日曜、宇田川町で!