野へ山へ

2004年~

△深山(みやま) 兵庫県立ささやまの森公園ー深山 周回

2022年09月02日 | 山行記

兵庫県立ささやまの森公園から深山へ登りました。

GPS軌跡


2022.8.29(月)
 △深山(みやま) 兵庫県立ささやまの森公園ー深山 周回
行程:自宅=兵庫県立ささやまの森公園Pー舗装道ー(深山古道)ー扇なりー庫阪峠ー舩谷山ー△深山ー舩谷山ー(東尾根)ー蛇岩ー満燈山ー公園事務所/P=~~往路に同じ~~=自宅
1/25000地形図:『福住』
メンバー:単独


ささやまの森公園 入口


深山へ向けて出発


森に迷路がありました。
時間があったらやりたかったです。大きな木工のカエルが目印


ここまでは舗装道、橋を渡ると地道(じみち)になります。


歩きやすい木製階段


扇岩




きれいな谷部


兵庫と大阪の府県境 庫阪峠
深山・深山古道・西尾根 の分岐です。
10分ほど歩くと・・


舩谷山(ふなたにやま)に到着。
ここは京都・大阪・兵庫の三府県境です。


だんだん空が広くなって来ました。


ダントボロギク(キク科)


薮を抜けると・・・ぱあっと視界が開け、小金ヶ嶽、三岳、八ヶ尾山方面が
見渡せました。


深山神社に参拝










少し霞んでいたのが残念ですが、三田の山々もよく解りました。
空気が澄んでいる季節はもっと遠くまで眺望が利く様です。
頂上では誰も居らず、一人で大眺望を堪能しました。


三等三角点
点名:天王(てんのう)
標高:780.55m
三角点を見落とさず、そろそろ下山。
再び舩谷山へ戻り、ここを分岐として東尾根へ。




木漏れ日差す快適な尾根を下ります。


やがて満燈山に到着。


満燈山 566m


ルート中に鉄塔の下を通過するのはとても好きです。
例えば母栖山とかも。


大回りをしてハンノキ林という場所に下り立ちました。


線路の様な木道をすすーっと下り、


再びささやまの森公園事務所へ帰着。
リアルで迫力のある虎が展示されていました。

☆約10年ぶりに深山を訪れました。
頂上はやはり素晴らしい眺望で、次は空気の澄んだ季節に
再来したいです。

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帰省

2022年09月02日 | 日々

母の新盆法要の他、3つの用事で千葉へ日帰り帰省をしました。
****************
①7月に亡くなった叔母の霊前へのお参り
②懐かしい場所を歩く(実家周辺)
③新盆法要
④親友との旧交を温める

8月27日(土)
行程:JR新三田=(宝塚線)=JR新大阪=(JR東海)=JR東京=JR津田沼/新京成 新津田沼=高根公団=叔母の家
   叔母の家=(新京成線)=津田沼=八千代台
   八千代台=(京成線)=形成勝田台=(東洋バス)=最寄りのバス停ーお寺(霊園)
   お寺ーバス停=(東洋バス)=勝田台/東葉勝田台=門前仲町駅ーエコんち
   エコんちー門前仲町駅=大手町駅/JR東京駅=(JR東海)=JR新大阪=~~=JR新三田
メンバー:単独
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(叔母の家へ)
叔母の霊前にてお参りをして、
従弟夫婦と積もる話をしました。
ここ1~2年の叔母の状況を聴くに、
想像を超える介護状況であったことを知りました。
叔母の状態、従弟夫婦の状況を推し量れなかったこと、
叔母ともう一度会っておけば良かった・・という後悔、
反省と虚しさでいっぱいでした。
95歳で生涯を閉じた叔母、幼い頃から可愛がってもらい、
気が合う大好きな叔母でした。
色々な思い出が今も新鮮です。
混沌とした想いを後に、従弟夫婦の家を辞しました。
***
今朝は新三田を始発(5時前)で出て、9時30分には
高根公団駅に着きました。
たった4時間半のアクセスなのに、何年間も叔母に会いに
行かなかった後悔。「叔母ちゃん、ごめんなさい」と遺影に。

(八千代台へ)

京成八千代台駅前
駅の北側はどこの部分も懐かしい風景が満載です。
過去、帰省の折は、早く父母へ会いたい気持ちで実家へ向かいました。


八千代台北にある図書館
幼少の頃、隣駅にしか無かった図書館、
家から歩いて数分のこの場所に出来た折は、
とても嬉しかったです。
亡父が幼い我が子達をよく連れて行ってくれた
ので、子供達にも思い出深い場所です。
場所を移動・・


実家周辺をうろうろ歩いた後は、習志野の原(自衛隊演習場)を見に行きました。
もちろん今は入場禁止の原、幼い頃はよく入ってわらび採りや散歩をしました。
まさにマイフィールド、昔は今より広大な面積でした。


側に建つ防衛庁官舎の公園
老朽化で使用禁止となっていて、草生した園内は寂しげでした。


自宅から数分のこの公園にも子どもの頃はよく通いました。


トンネル(土管)の突き出た、山型の遊具は、もう60年選手です。
私が生まれた時には既にあったので、残っていたことに驚きです。
・・・場所を移動。


どこかの畑の近くにはもう野菊が。
実家の庭に植えていた、ミヤコワスレ(キク科)を思い出しました。


実家近くの第四公園
この公園に隣接した幼稚園は母園です。
昔は中央に回旋塔?という大きな傘のような遊具がありました。
残っている遊具は昔と変わらず。でも子供は一人も居なくて侘しい感じです。


50年前は常に子供が遊んでいたこの場所。
ブランコも取り合いでしたが、今は・・
第四公園を辞し、少し歩いて第一公園へ。


第一公園のジャングルジムもおそらく50年選手。
手に残る鉄の感覚と、頭頂部の丸枠部分は確かな記憶。
右背後のラクダの背中みたいな遊具・・あれは小さい子用(?)でした・・


この山型の遊具、懐かし過ぎます。(表面)


(裏面)皆が大好きだった山型遊具、山の両側で石を投げ合い、
戦争をしました。すると孫などを連れたおじいちゃんに、
「小さい子も遊ぶんだからっ!危ない!」としょっちゅう、怒られたっけ。


壁の様な遊具も、丸い木の枝の様な遊具も、まったく変わっていません。


塗り直しや点検を繰り返し、50年以上、耐久している遊具群に
大感謝です。
児童公園ばかり巡り歩く予定では無かったのですが、ノスタルジアの
成せる行動です。
お寺(霊園)へ移動・・・


霊園近くの畑。
千葉へ帰省すると、いつも土が赤い(赤茶色)と感じます。
兵庫県の土はこげ茶色なので、顕著に違いを感じます。

お墓にて掃除をしながら、祖父母、父母、兄へ近況報告。
新盆法要を住職さんにおつとめいただきました。
社務所の方々と少しお話をして、霊園を後に。

馴染みの「京成勝田台」ではなく、初めての「東葉勝田台駅」から、
東京へ向かいました。乗り換えなしで東京方面へ早く行けるとは・・・
東葉線沿線が栄えるのは至極なのだなぁと得心しました。
門前仲町駅ではエコが迎えに来ていました。
彼女の家へ。


エコの愛犬、ナナミちゃん。

3年ぶり?に会うエコと積もる話をしました。
何と嬉しいことに、近々転勤で、二年間だけ、
京都に引っ越して来るとのこと!
そうとあれば、関西で一緒に遊んだり、
山へ行ったり出来そうで、今からとても
楽しみです。

 
エコの家のベランダからは遥かにベイブリッジ(bb)、高層ビル群の夜景がきれいでした。
隅田川の花火も一望とのこと。
終電ぎりぎりで三田へ帰れる時間まで語り、東京を後にしました。
以上、長い一日の帰省でした。

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