先代、五代目文枝襲名披露パーティーが行われたのが92年というから、
すでに20年の月日が流れている。スタッフの一員として参加させてもらい、South Side
Jazzbandの生演奏の前に談志師匠、水割り片手に座り込んでいたのを思い出す。
お師匠はん、Dixieland Jazzが好きなんだ。
六代目(松鶴)の「東の旅」で六軒家浜から船に乗船する際、乗船名簿で名前を確認される。
「竹内日出男、長谷川多持、中川清…」
この長谷川は五代目の本名である。あとは松鶴と米朝の本名。
次の文枝さん(以後敬称略)へとバトンが渡された。
これまで六代目といえば松鶴だったのが、今後はどう呼ぶのかな。
先代が襲名後10年そこそこで亡くなり、必ずしも名前を大きくしたとは言えない「文枝」の看板を
何処まで大きくできるかが、三枝の仕事だといえる…私なんぞが言うまでもないけどね。
「ゴルフ夜明け前」など新作落語の三枝で来たが、この先、どうするのか。
個人的には新作もいいけれど、スケールの大きな古典噺を聴かせてもらいたい。
歌舞伎における勘三郎のような存在になって、落語をさらに面白く、格を一段上げてもらい、
世界に通じるスタンダップ(シッティングか)コメディとしてアピールしていってもらいたいもんだ。
若き日の三枝人気はすさまじかった。MBS「歌え!ヤングタウン」が始まったのが1967年。
そのTV版ということで2年後に始まった「ヤングおー!おー!」で爆発的な人気をさらった三枝・仁鶴コンビ。
一躍アイドル並の存在となり、映画化もされている。
ヤンタン三枝の日は毎週土曜の公開収録で、千里丘毎日放送のスタジオは常に観覧客で満パイ。
今月の歌みたいなコーナーに我々も出してもらった。
吉幾三などがギター下げて、新人みたいな顔で来てたな。左様、古い。
あの頃の放送局は今のようにセキュリティもそううるさくなくて、
いくらでもアマチュア連中がギター提げて行き来していた。
今よりずっと文化度が高かったと思うのだけど、ああいう時代はもうやって来ないのだろう。
印象でいうと、米朝一門は師匠がああいう学究の人だからみんなマジメ。
松鶴一門は惣領弟子の仁鶴が松鶴襲名でガタつき信用を失ないバラバラ。
春団治一門は春之助が穏やかだからか、なんとなくのどか。草野球好き。
文枝一門は三枝以下、きん枝、文珍、小枝など輩出し、和気藹藹と活気あり。
染丸一門はようわかりません。
噺家には上方落語というものに留まらず、よき大阪らしさ、上方文化を伝え残す
担い手になってもらえたら、こんな嬉しいことはないと思う。
新しいものばかりがいいなんてことはあり得ないということを。
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