マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

梅田の盲腸あたりで60年

2010-11-19 13:45:06 | Weblog

大阪駅と阪急梅田の間。 気分としては阪急梅田駅の盲腸あたり。

新梅田食道街が60周年を迎える。まことにめでたい。

昭和25年にできた当時、GHQがもたらした戦後民主化政策も、朝鮮戦争の勃発と共に、

組合活動などに急ブレーキがかかり、旧国鉄組合員たちが多数職場を追われた。

その数は全国で10万人ともいわれている。悪名高いレッドパージである。

そんな首キリに合った人たちの救済事業として新梅田食道街は始まったとされる。

旧大鉄局(今のヨドバシカメラ)の目と鼻の先で、飲み屋を開くのはさぞ複雑な思いもあっただろうが、

そんなこと言ってられる世相ではない。とにかく喰わんがために、飲み屋は暖簾を挙げた。

当初は18軒。素人ばかりでは埒があかんということで、「菱竹」さん「たこ梅」さんなどにも声がかり、旧国鉄関係者を中心に、未亡人たちもスタンドバーなんぞを開いた。場所がいいので賑わったが、二階工事中には浮浪者が住み着き、夜中降りてきては店が荒らされたなど、物騒だった話もある。

そこで中心になって活躍。 商店主たちのけん引役として管理会社とも折り合いをつけつつ
今の新梅田食道街の基礎を作ったのが、「北京」の先代、北京のおやっさんこと斎木信孝氏だった。
金盃の四斗樽を据え、4千丁(樽)も売って売って売りまくったのは伝説として残る。現在は2代目が世界の酒「北京」として、スタンディングバーを盛業中。姉妹店である「樽・金盃」の方に
昔をしのぶことができる。まぁ、私も受け売りであって、直接知るほどの年齢ではないのやけど。


食道街に遊びに来るたびに、北京の斎木氏に敬礼しに行き、フランスパンを買ってもらったというのは
「とり平」の3代目、中村元信さん。60年で3代目が仕切る時代になっている新梅田食道街。

どんなに梅田が生まれ変わろうとも、このちょっとくすんだ盲腸には、なんとか生き残っていてほしい。

こういう場所があるから街は面白いのであって、きれいに塗り替えるばかりで客は喜ぶものではない。

てなわけで、11月21日(日)12時~ 我々、ファンも応援してきた超特価の記念イベントが開かれる。

小さな一歩だが、食道街にとっては新しい一歩を踏み出す。

ぜひ、祝杯にお立ち寄りください。

http://www.torihei.com/60th.htm