マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

十三から南方へ

2007-07-04 11:15:36 | 

十三に小便横丁あり。新宿南口にもあって鯨カツ丼の店やら鰻のヒレや肝で飲ませる店があったもんだ。十三の場合、阪急の駅の側面と接する路地が小便横丁で、もう一本西側の横丁はちがうのだと主張されるが、なに利用者から見たら一緒や。

木川散歩から戻り、さぁメシだ。
小便横丁の『ニュー蓬莱』へ。ニューとは名ばかりで35年前の開店。

米粉はかなり焦がし気味。強火であおると見えるが、ちょいとよそ見してましたぐらいの勢いで焦げてる。これはこれでファンがいるのだろう。

焼餃子はほどほどに旨い

焼豚冷麺1000円。この焼豚もウェルダンやね。
焼豚自慢の店らしく、タイミングさえ合えば焼き立ての焼豚とも出会えるというのだが。まぁどっちでもいいや。
今回は麺ばかりを食うつもり。次の南方へと移動する。

南方の『勝盛』という蕎麦屋。会社帰りにここでアテで一杯。仕上げにそばをすすって帰るタラリーマンが多い。

カリカリポテト入りカレーそば アイデアは買うが食べにくい。
バラバラに出してくれた方が有難い。


さぬきうどんの『かわ平』へ。


一番食べてもらいたいという釜あげ。
いりことうるめ節、さば節などで取り、坂出の醤油を合わせただしが
ドンと大きな徳利で出される。

それと釜たま。
もう腹いっぱいだが、一軒寄ってクールダウンして帰ろうということに。
『ちろり』いい居酒屋だった…。

黒糖焼酎「気」、「満月」を頂く。毛馬胡瓜は浪速伝統野菜。

ごろいか  中のワタが抜群に酒にあう。

稚鮎じっくり焼き。一夜干しの稚鮎を時間をかけてとろ火で炙る。
これもワタが絶妙。思わず日本酒に切り替えた。
それからハイボールを一杯。
で、ここでもやっぱり麺が気になって・・・

麻婆カレーうどん。 ありそうでなさそう。
ピリ辛でコクあり、美味!
思わず取材の申し込みをするが、以前、口の悪いオッサンK谷のコーナーに出て、常連さんに迷惑がかかり番組は懲りたと断られた。
K谷め~恨むでぇ!


十三木川十銭天麩羅

2007-07-04 10:10:06 | 

十三から木川商店街の方へ歩くと、長屋がまだ生き残っている。


ワシの育った大阪住吉はこんな家ばっかりだった。
もうほとんど消滅してしまった。


だが、この辺りもほとんどは空き家。取り壊しを待つばかり。
洋食屋のウインドーを覗くと・・・


この手はわりに好きだ。ロウ細工の食品サンプルはどれもこれも日に焼け、うどんは干上がり、トンカツは焼け焦げ、まるで客を拒絶しているようだ。値段も一切判らぬ。

常連以外、一切来るなということなのか。入る勇気はないが、実はこんな店にこそ美味いものがあるのかもしれぬ。勿論ない方に賭けるが。

洋風スナックバーの跡。サントリーの看板が残るが、トリス、ホワイト、ダルマ全盛時代のものだろうか。玄関先奥行き1メートルだけの洋風。


静かな路地に公設東通り商店会という立派な名前がついていた。入っていくと小さな天麩羅屋があった。35年前、この界隈は公設市場があり、買い物客で大層賑わった、と「柳田商店」のおかん。

そんな公設市場もほとんど生き残っていない。織田作之助の「夫婦善哉」の冒頭、蝶子の父種吉は路地裏で蓮根や三度豆や南瓜などの十銭天麩羅屋を営んでいた。その描写を思い出す。200円の盛り合わせを買う。老人が買っていくのだろう。


通称つばめ通りの古書店。かなり本が積み上げられていて、整理して古本屋にでも売ればいいのに…と思う。
街も店も商店街も、住人と共に年をとって行くのは仕方ないことだ。
街も生きものだ。
この後も一日ぶら下げて歩いた天麩羅を深夜あけたが、油がまわっていて、胸にぐっとくる味だった。

  十三・木川界隈   大阪市淀川区木川西あたり