in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

一風景

2005年07月31日 | Weblog

Moratuwaの現場にて。

NGOからもらった三輪車を得意げに見せてくれる子供と、
彼を見守る祖母の表情の対比を表現してみました。

Kalutara Day

2005年07月31日 | Weblog
昨日に引き続いて現場周り。休暇の間の進行状況を把握しておかねばならない。Kalutara地区では、うちの機関は8ヶ所で仮設住宅を建設しており、合計は400戸ちょっと。進行中のものもあり、9月にはすべて完成する予定である。

R親方と担当業者を連れて、8ヶ所をすべてまわる。赴任したときは原っぱだったところに、仮設住宅が建ち、人の暮らしが始まっていることを思うと不思議な気がする(写真)。トイレや給水関係の作業が特に遅れている。昼過ぎに久しぶりの暑さにモウロウとなるも、気合で乗り切る。といっても、運転手から「疲れ切ってるよ」と言われた。普段からよく観察しているなあと思う。

ベルギー人K君、アメリカ人Sさんが家に越してきて、にぎやかになる。

Negombo Day

2005年07月30日 | Weblog
インド建築家M先生の一番部下の技術者C氏がAmparaから戻って来られたので、朝一から打ち合わせ。先日C氏が作成した5ページのレポートをもとに話が進む。ちょっとしたことをよくこれだけ延々と重要事項のように表現できることに感心する。反論したいたいことは山ほどあるが、Cチーフから「機嫌を損ねることのないよう丁重に発言しなさい」と釘を刺されているので、決断を迫られるところは「そうですねぇ」と口をにごして、Cチーフが戻ってくるのを待つ。

途中から、大ボスも打ち合わせに参加し、ますます社交辞令のような会合に。上の人らの話す内容は政治情勢が深く絡んだもので、自分らとは違うなあと感心しながら、横で黙って聞いている。別室で私が解放されるのを待っているR親方が様子を見に来て苦笑いしながら帰っていった。

午後からは、2週間前から着工したNegomboの現場に出向く。途中渋滞していて2時間かかる。まず、海沿いのレストランで食事をする(休日だからこれぐらいはいいでしょう)。

Oxfamから寄贈された木材(6/22参照)がしっかりしているので、仮設住宅の出来栄えもよい。避難所の敷地にテントをたたんでは建て、たたんでは建てという作業を繰り返しているので、なかなか進まない。被災者の人らは清掃や荷降ろしに協力的で、資材の盗難もないので、避難所の雰囲気がよい。避難所用に作られた仮設のトイレやシャワー(写真)を改良しなければならない。下水を海に垂れ流しでいいのだろうか。。。


水まわり/WATSAN

2005年07月29日 | Weblog
排水やトイレ設備関係の技術者を雇おうと依頼するも、大ボスに詳細の説明を要されてメールで返事する。さらに、例の市民グランドの排水溝は、何から手をつけてよいかも悩むほどなので、コンサルタントと契約して「お任せコース」をオーダーしようとするも、先方より破格の見積書を受け取り、上にお伺いを立てるどころではない。

そんなこともあってR姉御に連れられて、UnicefでのWater/Sanitation(水まわり?)会合に参加する。どの機関も建前は立派だが、本当に下水関係が大変なことをわかっているのか、はなはだ疑問を感じる。海外の支援国、支援者に気を配るだけでなく、もっと技術職員の意見を重視してほしい。それを見かねてか、R姉御が「次回は、それぞれ技術者を連れてきて、もう少し具体的な話をしましょう」と提案する。

事務所に戻って、R姉御と打ち合わせ。彼女が明日から旦那の母国UKに行くため2週間の休暇を取るので、その間に私がすべきことを引き受ける。各機関との会合参加、国内の現場事務所からの報告をまとめてManila事務所に報告等など、さらに仕事が増える。

来週月曜に日本から議員が視察に来られるということで候補地の確認をすると、役所が土地を改良するとかの名目で、瓦礫の山を候補地の中に持ってきており、ゴミの山が突然出現していた。大使館の方に候補地の変更を依頼するが、6/24の開所式に大使館の方が訪れて気に入ったらしく、変更ができない。したがって、瓦礫の山をできる限り平坦にするように指示をする。

夕食は、GホテルでR姉御の出身国レバノンの郷土料理を職場の同僚らと頂く。

引く手あまた

2005年07月28日 | Weblog
うちの機関は津波の前からスリランカで活動している。当時からの主な事業は次の二つ。
1)内戦時(’80~’90年代)の被害を恐れてインドに逃避した人々を合法的に帰国、生活再建を支援する
2)内戦に絡んで兵士となった人々が除隊した後の生活再建を支援する
1)のわかりやすい説明として(日本のK君が助言してくれた)は、数年前に北朝鮮の拉致被害者が日本に帰国できることになった事例をあげたい。その際に、政府や自治体が住む場所、仕事や学校、精神面でのサポートを積極的に協力した(今もしている?)。この時は被害者の数は多くなかったため、自治体が個別に対応できたが、被害者数が数千人という規模になってくると、それなりの支援機関が必要となってくる。このような支援を各国の紛争地域で専門に行っている機関が、私が所属している機関である。

なんでこの話を書いたかというと、そのインドからの帰国者の一時的な生活の場所として、津波被災者用の仮設住宅のデザインを利用できないかという申し出があった。以前からの事業にたずさわる職員と、津波復興事業にたずさわる職員とは、それぞれ事務所も違うため、ほとんど交流がないので、今日は珍しい来客であった。仕事を認められたと喜んでいるうちに、別事業にも組み込まれないか心配。。。

SさんとKalutara地区のすべての現場について、契約書ごとに支払いの書類をつくる。New York下町出身の若い彼女の単刀直入な発言と機敏な行動には好感が持てる。一方で、現地職員からは、その言動が攻撃的に思えるらしく、評判がよくない。一緒に作業をしながら、それとなく態度を少し改めるように話してみた(反論されたのは言うまでもないが)。

Permanent House

2005年07月27日 | Weblog
メールや書類の整理に追われた日。
業者や納入業者への支払いが滞っていて、会計部署に出向く。「お前がそんなことまでしなくてもええ」と言われても、日雇い労働者に支払う賃金を工面するのに苦労している業者の姿を日々、目の当たりにしているので、ほおってはおけない。もちろん、賃金の遅れが工期に影響するのは当然のことだが、彼らは理解していない。

仮設住宅の建設が一段落しても、幼稚園や診療所の案件があがってきて、何だか仕事が確実に増えている気がする。そんな中、A先輩の卒業校というご縁で、MIT-Harvard Design School team of architects and urban planners が提案するtsunami-safe(r) house というPeremanet Houseプロジェクトを検討することになった。突発的な横荷重に対して構造的に配慮しているのがポイントらしい(詳しくはこちら → Page1Page2)。

仕事帰りに軽く泳いだ。(写真)。


Back to Normal

2005年07月26日 | Weblog
朝から「休暇はどうだった?」、「日本はどうやった?」と質問の嵐。きちんと答えようとすると時間がかかるし、手短に話そうとすると「まあまあやったね」ぐらいの当たり障りのない会話になってしまう。「戻ってくるのを待ってたで」と歓迎されると悪い気はしない。

まずはCチーフに不在中の様子を確認する。立て続けの出来事にいきなり、現実の世界に引き戻される。心待ちにしていたAssistantについては、面接該当者が当日来なかったらしく、お流れになってしまった。ショック。明日から、Cチーフが2週間の休暇に入るので、その間の打ち合わせも行う。来週頭からは、R姉御も休暇に入るとのことで、そんな~である。

インド建築家M先生の一番部下の技術者C氏が東海岸のAmparaに立つ前に挨拶をと、事務所に来られたので簡単な挨拶をする。明日より、一緒にAmparaに向かう予定であったが、CチーフよりColomboに留まるようにとの指示を受けたので、現地のM氏とW君に対応を任せることとなる。

いろいろ横ヤリの入った技術職員Rの解雇の件(7/12参照)だが、最終的にCチーフが動いて解決する。この一件は、ものすごいエネルギーを使った。

夕方から、結婚式を間近に控えたCチーフのお祝いでGalle Face Hotelで祝杯をあげる。1時間ほどの予定が3時間以上になり、他の者は帰宅する中、Cチーフと事務所に戻って作業の続きをする。帰りはCチーフの車で送ってもらい、最後までCチーフの不在中の指示を車中で受ける。11時過ぎに帰宅。疲れた。

巨大ドリアン in Singapore

2005年07月25日 | Singapore
昼の12時に関空を出てから、約6時間で経由地のSingaporeに到着。乗換えまで約5時間あったので、市内散策を決行する。といっても、欲張って飛行機に間に合わなかったら、職場で笑い者になるので、ここは一点集中型にする。そこで、空港に張ってあったポスターで、気になった建物を見に行く。

それは、"Esplanade"という名の複合施設で、コンサートホール、劇場、商業施設が入っている。曲面状の屋根全体がトラスで覆われていて(JR京都駅の大屋根を丸くした感じ)、外側に鳥のクチバシ状の日よけが無数についている。一見、「うわっ」と思わせるが、しげしげ見るとよくできている。また、一回見たら忘れられない建物といえる。その形から、(果物の)ドリアンという愛称がついているとのこと。夜間には室内から証明がもれて、とてもキレイだそうだ。

駅の近くで夕飯を済まして、電車でChangi空港に戻る。Singaporeは、食事や文化、民族面で違和感なく住める国のように感じた。


日常/非日常

2005年07月24日 | Japan
お気に入りのチャリで、近所をぶらぶらしていると、久しぶりにひまわりを発見した(写真)。大阪もすっかり夏である。それでも、スリランカと比べると涼しく感じる。

こっちに戻ってきて、久しぶりに自販機を見た。テレビで祇園祭の映像を見ていると、テロや暴動が起こるのではと、とても不安になった。日本は、本当に安全な国である。これは素晴らしいこと。

帰国中に入手した本の中で、紹介したいもの。
『ヒマラヤに学校を建てよう!』AAF著
ご存知の方も居られると思うが、ボランティアによる設計士の方々の活動記録。工事の過程や労働者との交渉など、「そうそう!」と声に出したいぐらい共感できる。私の活動は有給だが、無償で活動されておられる関係者に敬服する。

『茶の本-The Book of Tea』Kakuzo Okakura(岡倉天心)著
日本の文化や日本人の思想について、上司や同僚らに話をしたいときに、参考になりそうと思って購入。日本というとBushido(武士道)が有名らしいが、私には死の美学を追求しているように思える。もう少し違った角度からの視点をと思い読み始めたところ。奥が深そうである。

今回の滞在では、先進国/途上国、現場/学術の世界における対比を、強烈に感じさせられた。あっという間に休暇が過ぎて、明日の便で戻る。 いろんな方から助言を頂いたので、明後日からの活動に生かしていきたい。

帰国直前は精神的にも参っていたので、かなり感情的な日記の内容になっていた。後半戦は、もっと余裕のある行動を心がけよう!(希望的目標)。思いのほか、このブログを熱心に読んでくださる方々がおられる。感謝。

再び、行ってきます。