in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

XAPOYKI MOYPAKAMI

2016年03月27日 | Greece
最近はGoogleマップやカーナビがあるので、紙の地図を広げてどうこうということは少なくなってきた。それでも、距離の感覚や諸々の情報を得るには自分は紙の地図の方がしっくりくるので、本屋に行く。

で、入口に陳列されていた小説を見ていると、どこかで見たことがあるような名前のカバー。村上春樹氏の『海辺のカフカ』だった。

テッサロニキ

2016年03月22日 | Greece
イドメニや周辺を含む地域(日本でいるところの県になるのか)の中心テッサロニキでの会合に参加。人道支援団体の調整会議で、ギリシャ人を筆頭に欧米人が多数を占め、アジア系は私とインド人の2人だけ。まあ、ありがちな光景。それにしても部屋の天井が高い。

テッサロニキはギリシャではアテネの次に大きい都市で、紀元前から存在していた都市らしい。昔はどうだったかわからないが、現在の人々はのんびりしていて、道を聞いても親切に答えてくれる。高い失業率と関係しているのかもしれない。

送還?

2016年03月19日 | Greece
現状を出来る限りつぶさに把握したいので、現地の同僚らと一日車を走らせ、5ヶ所の避難所というか待機場所というかを訪れ、担当者や移民や亡命申請予定者らに話を聞く。

昨夜のEU諸国とトルコの首脳会議の結果を受けて、自分たちの処遇がどうなるのか不安を隠せない人々に質問を受ける。約5万人のギリシャ国内にいるこうした境遇の人々に、私個人が答えられることではないし、結果を受けて現場が実際にどう変わるのかわからないので、正直にわからない。答えられなくてごめんなさいと答える。

家財道具を一切売り叩いて、自国を脱出してきた人々に(誰が正しいとかの次元を超えて)、かける言葉が見つからない。それでも私の組織が出来る支援を続けていく、それしかない。


イドメニ

2016年03月18日 | Greece
国境が閉ざされて移民が溢れているイドメニにやってきた。遠目から見ると野外音楽祭の会場かと見間違う雰囲気なのだけれど、実際は災害直後の避難場所のそれに近く、なんでこんな状況になってしまったのか、言葉を失う。これまで携わってきた災害の中で、一番複雑な現状ではないだろうか。

アクロポリス

2016年03月15日 | Greece
日曜の演奏会に聴きにきてくれた同僚らと余韻に浸る間もなく、翌朝に職場に行くと、明日からギリシャに飛んでと言われた。担当している他の仕事の申し送りをして、公私ともにいくつかの約束をキャンセルするのがやっとで初めてのギリシャ訪問の準備は何も出来ず。昨日は移動とアテネ事務所で要約を聞いて、今日は朝から外部の様々な人々と会った。

某省庁の会議室から窓の外を見ると、アクアポリスが!!!。長年、この目で見たいと思っていた建造物をこうした形で見るとは。。。

表現したいこと

2016年03月07日 | Switzerland
演奏会の本番が迫り、練習にも緊張感が増してくる。オケの指揮者のA氏は、もともとスイス・ロマンドの首席クラリネット奏者だったのだけれど、音楽づくりの先頭に立つ指揮者の醍醐味にふれ、プロのオーケストラを退団してまでも指揮の道を選んだとのこと。なかなか真似のできることではない。

指導中も「こう演奏してくれ」と感情があふれ出るように言葉や体中で表現されるので、ああなるほどなと思うし、そう応えたいと思わせるのは彼の力量だなと感じる。一応、英語で指示が飛ぶのだけれど、興奮してくると(彼の母国語であろう)仏語になってきて、そうなると自分には意味がわからないのだけれど、何となくこうなんだろうなと察して演奏を続けている。

ライオン・ビール

2016年03月05日 | Switzerland
ジュネーブでライオン・ビールを見つけて迷わず買った。以前、近所のアジア系食品店でムンチーのレモン・パフが売られているのにも驚いたけど、それ以上の懐かしさがあった。現地では常温で飲むのが主流で、冷えたのをって言わなければ、ぬるいのが出てきたとか、個人的にはスリー・コインが好きだったけれどライオンが圧倒的に市場を占めていたなとか、いろいろ思い出された。

スリランカといえば、フランス映画『ディーパンの闘い』を昨年移動中の機内で観た(日本でも最近公開されたようだ)。当時の内戦の悲惨さや、難民受け入れ後の日常生活のこととか、現実味を帯びて描かれていたので、映画のテーマであろう家族のあり方以上に、これまでの仕事絡みのことを思い出して、胸がえぐられるようだった。力作です。