in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

無題

2008年08月31日 | Weblog
それは激しい雨が降り止んだ後の穏やかな日曜の昼過ぎで、海岸沿いを車で走っているとまるで海水浴にでも行くような弾んだ気分になる。そんな晴れやかな気分を現実に引き戻すのは、セキュリティ・チェックポイントに立つ警察官や軍人たちで、その数はFortに位置する軍中枢部に近づくにつれて異様に増えていく。

普段なら、到底入られない場所も軍幹部婦人の同行で、彼女のお抱え運転手が運転する車はすらすらと通過していく。今日向かう場所は軍の付属病院。持病の高血圧が悪化し、監禁されていた駐屯地からこの病院へ転送された知り合いを見舞うために彼の妻とやってきた。彼らの幼い3人の子供たちは彼の母親と家で留守番している。

厳しい検問を過ぎ、敷地内に入る。携帯電話などの通信機器は取り上げられ、身分証明書を見せながら記帳する。中に入ってしまうと、意外と内部の空気は穏やかで、非番であろう若い軍人たちが道でクリケットをして遊んでいたり、宿舎の窓際で、洗濯物を干す人々の姿が見られる。

外国人が入ることはまずないであろう場所で、日本人を見かけた人々の眼差しは警戒心よりも好奇心でいっぱいであった。下っ端であろう角刈りの職員が、敷地奥の病院まで案内してくれる。病院に近づくに連れ、松葉杖をついたり、体のあちこちを包帯で巻かれたりした負傷軍人たちを嫌となく見かける。

病棟の入り口に立っていた白髪で丸刈りの入院患者に、知り合いの病室の場所を尋ねた瞬間、彼が当人であることに気がつき声を失った。ここ数週間で、黒かった髪が真っ白になり、数ヶ月前より20歳近くも年老えて見えた。かける言葉が見つからない。それでも彼は苦笑いをしながら、最近起こった出来事を話してくれた。それから今後の対応を一緒に検討した。

面会時間を過ぎて表に出ると、太陽の光はあまりにも眩しく、意気消沈した自分たちを容赦なく照りつける。帰り道の車中から、海岸沿いに手をつないだ親子4人連れを見つけて、「すぐにあんな生活に戻れるから」と、一緒に見舞いに来た知り合いの妻に努めて明るく声をかける。すると、堪えていたものが抑え切れなくなったのか、彼女の目から大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちてきた。

内戦の影響で

2008年08月30日 | 学校建設
他国と違い、スリランカでは外国人がテロの標的にされることはまずない。だから必ずしも安心というわけではないが、直接事件に巻き込まれる可能性は少ない。それでも、先日のアフガニスタンで拉致後に殺害されたNGOの日本人男性の事件は、スリランカの援助業界の人々にも影響を与えたと思う。

そんなことを考えていた一週間が終わる今日、コロンボでしばらくなかった爆弾テロが昼前に起こった。北部Kilinochchiの政府軍の攻撃に反抗する反政府軍の仕業と見られている。事件の一報が携帯電話に入ってくるとやはり気が滅入る。

北東部Trincomaleeで最近、戦闘が激しく行われ送電線が破壊された。現地のセメント工場もその被害を受けて、セメントの出荷が大幅遅れて、Batticaloaの学校の現場工事も数日停止することに(写真)。セメントを毎日数百袋使っているので、セメントがやってこないと仕事が進まない。天候でも人足でも資金繰りでもない理由で工事が遅れていく。せっかく、遅れを取り戻しつつあったのに。

今日3つの嬉しかったこと

2008年08月28日 | Weblog
1)ついに在住ビザ延長の判が押されたパスポートが返ってきた! 申請が却下されたらされたで、思い残すことなく日本に帰られると思い始めていたが、認められるとそれはそれでほっとした。長かった。

2)遅れていた学校建設工事が少々遅れを取り戻す。上司や支援団体から、毎週のようにプレッシャーをかけられているので、今週末はその圧力から少しは開放されるかな。

3)国際機関でインフラ復興に携わるKさんとお馴染みYさんとの食事会(写真は、前菜のロブスター寿司)。途上国を中心に世界を又に仕事をされてはるKさんには、今後の助言をいろいろ頂く。彼のブログには約500人/日が訪れるとのこと。いつかここでもご紹介できたら。スリランカの生活ではブログに書けない事のほうが多い、と意見が一致する。
Yさんは相変わらずのマイペースなんだけど、心身ともに弱ってる自分を力づけようと、最近はいろいろ気を使ってもらい、とても感謝感謝。

久しぶりにたくさん笑った一日だった。

沸点超え

2008年08月27日 | 学校建設
施工業者の対応の酷さに、さすがの自分も我慢の限界を超え、電話口で怒鳴り散らす。つい事務所内でやってしもうたものやから、スタッフ達はどんびき(日本語あってます?)でしばらく居心地が悪かった。おまけに、就業後に被災者への心のケア担当スタッフが何気にやってきて、ちょっとしたカウンセリング。まあ、雑談みたいなものやったけど、今日は派手にやりすぎてしまったなと反省。

歯医者に行きました

2008年08月20日 | Weblog
十何年ぶりに歯医者へ行ってきた。虫歯ではなくて、奥歯に詰めていたものが、先週取れてしまったから。その時は、自分の歯の一部だったとは思いもよらず、カレーに石が入っていたとばかり思い、プッと捨ててしまった。あとになって大後悔。

知り合いの歯学部卒の日本人Kさんに相談にのってもらい、Colomboの歯医者におそるおそる訪ねていく。看板も何もなく、普通の家かと思って中に入ったら、待合室の向こうに診察室があった。帰国するまでの一時的処置をしてもらったが、噛み合わせの問題で、あのギィーンギィーンと音のする機械で少々歯を削られて、げんなりして帰ってきた。最近ついてない。

お参り

2008年08月17日 | Weblog
Poya Dayの翌日、Kelaniya寺院に出かける。いつもは迷いごとがあるときに来るのだが、今日は以下のお願いをしにきた。というか、悲しいかな今の自分には、これぐらいしかできることがない。

 ・先日亡くなった同期Fがどうか安らかに永眠できますように
 ・再び軍に連れて行かれたD監督が一刻も早く釈放されますように
 ・日本にいる祖母が体調が少しでもよくなりますように

あまりお願いしすぎるのはだめかなと思い、自分のパスポートが早く戻ってくることは頼まなかった(さすがに10月までには戻ってくるでしょ)。熱心にお祈りしている人々(写真)に囲まれていると、自分の心も落ち着いてきた。

戦闘の邪魔になる仮設住宅

2008年08月12日 | Weblog
北部Kilinochchiでのこと。戦禍を逃れてきた避難民(写真;スタッフ撮影)のために仮設住宅をつくっている。UN諸団体、赤十字、国際NGOなどと連携して、今年の5月頃から準備し建設してきた。

それが本日、「貴団体が仮設住宅を建設中の地域はまもなく戦闘地域になりますから、すみやかに建設中の建物を取り壊してください」(要約)との政府か政府軍だかの通知で、計画変更。もう驚くこともなくなったが、やはり腹が立つ。

さらに、こうした費用は一切合切、各団体持ちで、政府はあーだこーだ指示するばかり。あまり気に入らない発言をする団体や個人には、政府側はあの手この手を使って国外追放。いろんな国の人々からの善意(寄付や税金)をこのように簡単に踏みにじるこの国の平和は、はるか遠くにある。

オリンピック

2008年08月11日 | Weblog
朝の出勤前に何気なくTVをつけたら、地元のTV局でオリンピックの水泳競技をやっていた。LIVEと書いてあったので、たぶん生放送だろう。バタフライ、背泳と続き、だれか日本人でないかなーと思って観ていると、平泳ぎの北島選手の登場。金メダルの期待がかかっているのは知っていたので、どんなレール展開になるのかなと思ってみていた。

50Mのターンまで横並びで来ていたけれど、よく見ると北島選手のストロークに伸びがあり、他の選手が結構ハイペースで泳いでいる中、すごい余裕が感じられた。案の定、折り返してから、他選手との差が顕著に出てきて、そのまま1位でゴールイン。感動的瞬間を目にして(TVを通してやけど)鳥肌が立った。すごいの一言。

海外から自国を応援している私のような人々は、日本人選手の活躍にとても勇気づけられる。感謝。

イカスミ、焼酎、牛タン、ミズヨーカン

2008年08月09日 | Weblog
目が覚めて寝床から出るも、何もする気が起きず、再びごろ寝。ジムに行くも集中できず、ダンベルなんか上がりもしない。今日は誰にも会いたくないと思っていたら、そんな日に限って夕食のお誘い。建設会社の部長Tさんから。

強引に誘われて仕方ない気分で出かけたが、Tさん宅のテーブル上のイカスミに牛タンなどの焼肉メニュー(シンガポールから空輸!)、ビールに焼酎にと普段夢の中に出てくる食べ物が勢ぞろいする光景を見ただけで、ちょっと元気になる(苦笑)。今回の日本人メンバーは6人中4人が千葉関係者で、例えば船橋は都会かどうかといった話題に花が咲き、そんな話を聞きながら黙々と極上料理と酒を頂く。

帰ってきたら、姫路のメル友Hさんから「高校野球に、オリンピックとラジオを聴くのが忙しいです。暑いけど、がんばってますか。」(要約)と見えない文字盤を駆使して、送ってもらった携帯メールがとても嬉しかった。時差の関係で、すぐに返事を書くのは躊躇われ、後日返事をすることにする。

2日前には、LAに住む元上司Mさんからメールがあった。「ミャンマー行きもええけど、人助けはほどほどにして、日本に戻って地に根を張って生活しなさい。君を待っている人はたくさんいるはずだから。」(要訳)とストレートなメッセージを頂く。Mさんには当時(11年前)は英語がそれほど出来ず仕事の段取りもわからなかった自分を、日本人だからというだけで根気よく指導して頂いた。

日系3世の彼は日本語がほとんどできないのだけれど、日本にいる日本人よりも日本人らしいところをたくさん持っていた。日本にいる日本人以上に、日本を愛していて、教えてもらうことが多かった。そのMさんとは10年近くクリスマスカードを交換するだけだったのが、3年前に奥さんを亡くされてからインターネットを学んで、最近は年に何回かメールのやりとりをするようになった。

そんなこんなで、いろんな人に気にかけてもらっている自分は幸せだなと思った1日だった。最後に、ここを毎日のぞいてくれてはる神戸のYさん、またいつか三宮の「いくら」に飲みに行きましょう。