in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

ムズング

2012年05月31日 | Democratic Republic of the Congo
インド軍の先導(エスコート;写真)で、ウガンダ国境近くにある現場まで出向く。道中でゴリラは見られなかったが、猿たちを見た。ゴリラは保護区の中に入っていかないとなかなか観られないらしい。

現場では、子供らに『ムズング~』、『ムズング~』(スワヒリ語で、白人という意味らしい)と 日本人の子供らが『ガイジン』、『ガイジン』と呼ぶような感じで声をかけられる。肌の白い人間がこんなところまでやってくることはめったにないらしく、テレビも何もない地域なので、動物園の動物状態。

あまり嫌味がないので、ほっておくのだが、あまりにもしつこい奴らには、現地職員から習った『ムウェイ』(黒人と言う意味らしい)と言い返すと、予想外の返事に子供らが固まっていた。

小数点の記号

2012年05月29日 | Democratic Republic of the Congo
現場職員が用意した積算を簡単にチェックしていると、セメント300袋と30万袋の間違えを見つけて、心臓が止まりそうになった。どうやら仏語圏では、数字の3桁ごとを区切る記号(空白を使う場合もある)と小数点の記号が、日本や英語圏と逆になるらしい。エクセルもそう設定されてるみたい。

300,000  300.000 
 
コンゴでは、左が3百で右が30万。これは慣れるまで時間がかかりそうだ。ハイチでは気がつかなかったが、戻ったら確かめてみよう。

写真は、ゴマにある銀行。立派な建物だ。

出張2週目

2012年05月28日 | Democratic Republic of the Congo
他機関とのMeeting。仏語中心なので、昨日食事したN氏に要所要所訳してもらう。Goma事務所代表のD氏(フランス人、元警察官)が健闘するも、やる気が見られない他参加者ののらりくらりとした議論に何も決まらなかった、というか事態は後退したように思う。

夜は、町で見かけたインド人(民間人)に教えてもらったインド料理屋に行って見た。事務所から車で5分ほどの距離。気候もよいので気持ちよく歩ける距離だが、ここもSecurity上、ハイチと同じで徒歩移動禁止なので、どこへ行くにも車。 
料理屋は、カルカッタ出身のインド人家族がやっている店で、久しぶりに本場のカレーを食べて大満足。店のスタッフが2008年に日本人旅行者が来たことがあると言っていた。スリランカ時代を思い出す。あっちのはもっと辛かったが。そう考えるといつもスリランカと比べる自分に気がつく。この業界に入る最初の場所やったというのもあるが、日本と比べようがない環境におかれた国々の方が地球上に多いこともその理由だと思う。

ここのGomaのインド料理屋は値段も良心的で、毎日来たいぐらい。お気に入りの料理屋があるかどうかで、その町の印象がかわる。あと、滞在しているホテルがビールを他店の3倍の値段でチャージしていることを発覚した。よくあることやけど。

日曜日

2012年05月27日 | Democratic Republic of the Congo
滞在中に仕上げないといけない新規プロポーザルを思案しつつ、プールで泳いだり溜まったメールに返事をしたり、昔なかなか進まなかった研究計画書の作成みたいで、10、15年たってもその癖は直らない。

そうこうしていると、南Kivu州のBukavu事務所代表Nから、キブ湖を航路するフェリーでGomaまでやってきたと電話がかかってきた。いろいろ話がしたいというので、食事しながらプロジェクトの話をする(内容略)。アイルランド人の彼はRwandaで3年ほど活動して、DRコンゴに来たらしい。アフリカに来るまで仏語を話せなかったというが本当だろうか。

連れて行ってもらったRestaurant(写真)は国連事務所が並ぶ一角に湖に面して建っている。毎度のことながら、その設備は一般国民が利用する食堂とのギャップが大きすぎる。もちろん値段も。

コンゴの危機

2012年05月26日 | Democratic Republic of the Congo
時差にようやく慣れてきて、午前中は宿のホテルでゆっくりしながら一週間を振り返ってみる。最貧国といわれるコンゴ民主共和国で活動することは、経験上、内戦時代のスリランカに、ハイチの貧困が加わった、かなり難しいものだと感じている。

60年代から国連が入り、外国人と働く現地職員はどうやったらうまく生きていけるか、言葉は悪いが狡猾さを身につけているような気がする。かといって、全てをチェックしだすと、仕事は何も回らない。バランス感覚が要求される。

同時にコンゴ民主共和国の歴史を追ってみた。下記の動画は、自分にとってもかなり衝撃的な内容で見終わった後、しばらく動けなかった。

コンゴの危機 ~知られざる真実~ 予告編

コンゴの危機 ~知られざる真実~ 本編

安全情報確認

2012年05月25日 | Democratic Republic of the Congo
今日は事務所で書類整理と技術スタッフらと打ち合わせ。ほぼ全てがフランス語なので、予想はしていたが意思疎通が思うように行かず疲れる。

先月配属された会計担当のケニア人Aは、Kivu周辺でも話されるスワヒリ語を使って現地職員と会話をしている。反則だと言いたいが、負け惜しみにしかならないので、こっちは紙に絵や数字をかいて意思疎通。面と向かってだとこれで何とかなるが、電話でのやりとりは手も足も出ず。英語を話せる職員を捕まえて、訳しながら伝えてもらう。ただし、本当に伝わっているかどうかは疑問。
 
午後からはハイチ事務所発行の自分のIDが6月初旬で切れることから、Security Briefingを兼ねてUNDSSを訪ねる。どの国に言っても思うのだが、対応してくれる人は愛想がよく、暇なのか歓迎してくれるからか長話となる。今回も例に漏れず、彼の昔の上司が日本人でとても親切だった、から始まって、云々かんぬん。早く切り上げたかったが、このところの安全情報を細かく知りたかったので、こちらからも質問した。自分の理解が深まり、予想外に実りある時間となった。

コンゴ民主共和国国軍(FARDC)と国軍離反兵勢力の戦闘は、結局のところ鉱山(金、ダイヤモンド等々)の利権争いに尽きるようだ。

(写真はゴマ市内)

現場への厳しいアクセス

2012年05月24日 | Democratic Republic of the Congo
朝7時に事務所を出て少し離れた現場Masisiに向かう。4月末の情勢悪化で仕事が停止していたが、今週からぼちぼち再開する。

地図で見ると、そんなに遠くない気がしたが、それはGoogle Earthの弊害か(後で、紙地図を広げて見ると、それなりの距離だった)。さらに舗装されていない山道がほとんど。ぬかるみでスタックしたところを、同業者の某NGOが助けてくれた(写真)。

今日一日で、NRC, CARITAS, CARE, Save the Children, World Vision等々、国際NGOの車輌とすれ違う。UNHCRが設営したルワンダ人キャンプもいくつか目にした。昔から人道支援が入っている様子が分かる。聞くところによると、ゴマ周辺だけで現在200人強の外国人援助関係者が入っているという。 

サケの現場

2012年05月23日 | Democratic Republic of the Congo
本部から連絡が行ってたのであろうか、現場事務所の私への対応はとても丁寧で、部屋も机も用意してあり、携帯電話も車も用意されていた。

今回のDRコンゴ出張は、北キヴ州の州都ゴマでほとんどを過ごす。北キヴだけでもハイチの国土面積の2倍以上とデカイ(人口は逆に半分ぐらい)。

プロジェクトの一応の経過は事前に聞いていたので、昨日のブリーフィングと合わせて、現場の一つへ。地名はSakeと書いて”サケ”と読む。焼酎と胡麻和えが無性に食べたくなる。

活火山が近くにあり、岩石で覆われた敷地に建物を建てている。職人の質がもう一つで、難航している。